シゲチャン日誌・2002年8月

2002年8月4日

このところ天候が安定しない。8月だというのに14度という低温の翌日は、ガーンと30度まで上がって真夏日というぐあいである。温度計はエレベーターのように上がったり下がったりで、さぞかし耐用年数も縮むことだろう。
先日、和歌山の知人がランドにきてくれたが、この気温の激しい変化に「いったい、北海道の人はどうやって体温調整しているの?」と驚いていた。まあ、寒けりゃ厚着し、暑けりゃ薄着にするというふうに着る物で調整するしかないわけである。ところが、身体のほうは年齢とともにこの激しい変化についていけず、体調をくずしてしまい、全身が重くてだるいばかりである。
しかし、だるいだるいと言ってばかりでは気も滅入ってくる。天候が安定する時まで、このだるさを受け入れて付き合っていくしかないのだ。

2002年8月5日

朝、ランドに行くとチケットハウスの窓ガラスが割れて飛び散らかっている。ついに泥棒が押し入ったのだ。
ドアーの鍵は壊されているし、犯行に使われたゴム手袋の指紋がはっきりと残っている。バカな奴だ、金庫は毎日家に持ち帰っているものを。犯人は現場の状況からみて整理好きでかなり几帳面な性格なのだろう。窓ガラスはバールのようなもので叩き割ったのち、窓枠はきっちり2枚重ねて壁に立てかけてあるし、レターケースの上に置いてあった本はていねいにカウンターの上に置かれている。まるでプロの引越し屋のようなていねいさで物を扱っているのだ。
しかし、笑ってしまったのは、レターケースの中身といえば、スズメバチ、クワガタの死骸であり、鳥の羽と糸くずばかりである。さぞかし犯人はガッカリしたのだろう。腹立ちまぎれに100円ショップで売っているような安物の電卓を持ち帰っていた。

2002年8月17日

なんとも痛快な女性のライダーがきた。ゲートから入ってきた時はスーパーカブにプラスチックのコンテナをくくりつけているので、春先よく見かける山菜採りのおじさんがきたと思ったのだが、ヘルメットを取ると茶髪の若い女性であった。
そのいでたちたるや異様で、どうみても夜逃げ同然(失礼!!)で、生活道具一式をスーパーカブにくくりつけ、おまけに金網のザルをブラブラとぶらさげての道行きである。いいなぁー。
聞けば陸づたいでトコトコと名古屋から北海道まできたという。昨年はタイ・インド・中国・ヨーロッパを一年かけて旅行したというが、さすがにこの時はバス・汽車を乗り継いでの旅だったということである。しばらく一緒に昼食をとってから、彼女は再び荷くずれしそうなスーパーカブにまたがり、ランドをあとにした。拍手――。


MOUTH HOUSE

今年、ランドじゅうに飾りつけた旗。
あまりの怪しさにチケットハウスでUターンする人も多い。

たなびく旗

シゲチャンランド内、マウスハウスの外観。
中にいる「なのなの族」も約一カ月後の10月末をもって冬眠に入る。



2002年8月26日

午後になってから山と渓谷社の「ヤマケイJoy」の取材があった。東京時代からの知人であるイラストレーターの唐仁原教久さんが、ランドをイラストルポしてくれるのだ。脚本家三谷好喜さんの「俺はその夜多くのことを学んだ」(幻冬社刊)や、題名は忘れたが高倉健さんの単行本で全ページにわたりイラストレーションを担当している売れっ子である。彼のタッチでランドがどう描かれるのか、来年の「ヤマケイJoy」夏号が今から楽しみである。

LAND TOP