シゲチャンランド・冬の特別企画

2005年・新春インタビュー


アトリエにて


 2004年の冬に、“冬期休館中も楽しめる企画を・・・”と大西さん・ココさんへインタビューをし、ウェブ上に掲載したところ、『大西さん、ココさんと一緒に話しているようで楽しめました』というご感想を多々いただきました。
 そこでこの冬も、お二人にインタビューをしました。昨年同様、どんな話題で進めていこうかと悩みましたが、前回と変わらずゆる〜い感じでの和やかな、そして笑いに包まれた中でのインタビューとなりました。今年は大西さんの子供時代からアートの道に進んだきっかけなどをお聞きしています。
 そして、インタビューの最後に皆さんから公募していました、大西さん・ココさんへのいろいろな質問の回答も掲載していますので、お楽しみに。(長文のため分割してのアップとなります)




2005年・新春インタビュー [Part1]

*インタビューは、大西さん、ココさん、聞き手1、聞き手2 と色分けしています


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明けましておめでとうございます*今年もよろしくお願いいたします。
(*インタビューは2005年1月に行っています)
去年はとりとめのない内容でインタビューをしていましたが・・・今年はどんなことをお聞きしようか?と考えていて、結局まとまらずに、ある方にも相談に乗っていただきました。
昨年は大西さんがシゲチャンランドをオープンするまでの経緯や北海道での生活、ニューヨークに行っていた頃のことなどをお聞きしたのですが、今回は現在の大西さんを形成したこと、スタイルが確立される前のこと、アートに目覚めた頃のことや、子供時代の話などをお聞きしたいなと思います。
子供時代といっても広くあると思うんですけど、物心ついた頃はどういうお子さんだったのか、どういうことに興味があったのかを教えてください。

大西さん
とにかくボクはね、津別町*の「砂山グループ」と言われていてね・・・。
(*大西さんは北海道津別町出身です)

「スナヤマ?」

大西さん
砂山。家の裏っ側にね、砂山があったの。で、そこのガキどもはね、体育だけ!みんな5とかね。(一同笑)

運動系で・・・?

大西さん
そう、もう体育系!(笑)だから、本当に勉強より遊ぶことしか頭になかったね、その中の一人。生傷、擦り傷、全然もう・・いつもそんなの、しょっちゅう。まぁ、悪ガキだったんだね。(笑)

大西さんの子供時代の津別は、本当に大自然の中という感じでしたか?

大西さん
いや、どうなんだろうね?ボクよその街知らなかったから、こんなもんだろうと思っていたんだけどね。遊ぶところは家の裏っかわ、その砂山があって、いわゆる「林鉄(りんてつ=森林鉄道のこと)」って、木を伐りだして営林署が運ぶ、そういう鉄道が通っていたのね。それに飛び乗ったりとか、トロッコに乗ったりとか、そういう遊びばっかりしていたの。
あと周りが山なんでスキー滑って・・・スキー滑るって言っても砂山グループはね、みんなやんちゃだから、馬橇(ばそり=馬がひく木のソリのこと)ってあったでしょ?昔。馬につないで、あのデカーい木で作った。あれをね、近所のガキども全部で山の上まで押してって、それに全員乗って『ダーッ!!』て。
笑いをこらえる大西さん

馬のいない馬橇(ばそり)ですか?

大西さん
そう、そうそうそう!はははは。(全員爆笑)
神社につっこむとかね。ドーン!!(爆笑)山から飛び降りるとかね、そんなことばっかりやってたね。

体張った遊びですね!

大西さん
体張った遊び!はははは!(一同笑) 
うーん、なんか、もう、そういうことしか頭になかったしね。砂山の砂を・・・家を建てるときに砂を持って行くじゃない、山が半分削られていたりするのね、そこの上の山から飛び降りたりとか、その広っぱでソフトボールやったりとか、もう、とにかく遊びだけ!!鼻垂らし小僧。ふっふっふっ、悪ガキだったの。

ココさん
未だにそういう話、出るものね。

大西さん
うん、出る出る。

ココさん
かたや街の方の人達は・・・、なんたっけ?

大西さん
鍛冶(かじ)。

ココさん
うん、鍛冶さん。

大西さん
あの、鉄道関係とか、営林署の子供とか、おぼっちゃまなのね。
(ココさんを見て)でな、(その子の親たちが)砂山グループとは一緒に遊ぶな、と。ケガするぞと、近づくなって言う。(笑)

それは、小学校の頃ですか?

大西さん
小学校。中学校入っちゃったら野球部だったから。

あ、野球部だったんですか!

大西さん
そう、モロ!体育系。体育系で、そうだねぇ・・・
(少し照れくさそうに)意外と勉強できたんだよ。あははははは!(大笑)

ココさん
意外とね。いや!聞いてない、聞いてない。(笑)

いえ、郵便局に勤められていましたから・・・。

大西さん
いやいやいや、あれ、カンニングだから。

・・・えっ?!

大西さん
(驚きのリアクションを見て)あっはっはっはっはっ!(大笑)

ここはカットして・・・。

大西さん
いや、いいの、いいの。別に構わないの、僕は。はっはっはっはっ。(爆笑)

では、体育もやり、

大西さん
そうそう。

勉強もきちんと。

大西さん
いや、きちんとと言うかね、多分小さい頃って、ほら、先生にほめられたりとか、競争心が出てくるでしょ?ここまで勉強したら何番になれるかとか、野育ちの鼻ッ垂れ小僧がさ、そろそろ、なんか競争心とか、ここまで勉強して、あいつに勝ってやるとか・・・身内だけの競争だけじゃなくてね、社会出て通用するかとかさ、そういうライバル心とか、競争心が出てきて、それでその気でやっただけで・・・途中でパッタリと止めたけどね。はっはっは。くだらないと思って、勉強は。(笑)不純な動機だよね。勉強するのも。

大西さんは兄弟は何人で、何番目だったんですか?

大西さん
四人いて、・・・姉がいて、ボクが・・・取り敢えず男としては長男で、ボクの下に二人弟。

じゃあ、お兄ちゃんだから頑張ろう、とかありました?

大西さん
いやー・・・、なんかね、遊びたがりでねぇー。
・・・親からとかね、『今日はお前、ちょっと家の事を手伝え』って言われたら、野球とか約束してるでしょ?ボクはちゃぶ台ひっくり返して・・・(笑いをこらえながら)「俺は行くんだー!!」ってね。ふふふふ。

すごい!!

大西さん
結構、カーッとなって。小さい頃すごかったね。カーッとなったらね、とことん行かないと気が済まないんだよね。爆発タイプだったんだね。でも、今はこんなに穏やかでいるけどね・・・。

ココさん
(言い終わらないうちに)いやいやいや!随分、あるよ。(大西さん大笑い)
怖いよ、だから怒らせないようにしないと。(笑)

・・・えっ?? そ、そうなんですか?

大西さん
いやいやいやいや。(笑)

ココさん
そうそう、相当・・・。まだ大丈夫だけどね。(笑)

我が道を行きたかった、という感じですか。

大西さん
・・・いや、わがままなだけなんじゃないの?(笑)
なんか、自分の思い通りにやりたいわけでしょ?で、それを阻止するとか、これやるな!とか言われたら反発するっていう。だから、思いこみがちょっと強い子供だったかも知れないね。
自分の中で妄想癖があるのかどうかわからないけど、あの子とあの子は絶対俺のこと惚れてるとか思ってて、打ち明けると、全然興味ないって言われて。(笑)
自分で思い込む方なんだよね。本当、家まで訪ねて行って「つきあってください!」って。絶対好きなはずだからって思って言ったら・・・
(笑いをかみ殺しながら)・・・すぐ断られたね。はっはっはっはっ!

大西さん

それは、津別時代ですか?

大西さん
そうだね、津別。中・・・高校時代かな?
うーん、なんか思い込みが激しい。じゃないんですか?(一同笑)

ココさんは子供の頃って、どのようなお子さんだったんですか?

ココさん
えっ?!、私?・・・いたって静かな、地味な子です。ふふふふ。

大西さんとは、何歳違うんですか?

大西さん
1歳。

ココさん
数ヶ月。学年は1年違うけど。

大西さん
上じゃなくて、下ね! はっはっはっはっ。

ココさんは東京生まれの東京育ちで、遊び方が全然違っていました?

ココさん
男と女の違いもあるしね。

大西さんは砂山グループでしたし。(笑)
私はずっと北海道に住んでいるので都会の遊びって、どんなだったのかなぁ?と、年代も違うので若干違うと思うんですけど、どんな遊びをしていたんですか?

ココさん
でも、川越えたりしていたから。(笑)川っていっても、舗装されたような川だけど。それを走ってきて飛び越えるという、そういうのはやってたから、(大西さんと)おんなじか!あははは。

大西さん
いや、俺はあれだもん。ヘビを・・・白いヘビを捕まえては、木に頭と尻尾を釘で打ち付けて何日も放っておくとか、そういう遊びしていたもんね。

ココさん
こわっっ!!・・・なんだよー。

大西さん
はははは。

激しいですね・・・。 ?何かそんな遊びあったよね、似たような。

ちょっと違うけどね。ヘビを道路に並べておくんですよ。車の走ってくる方向に頭を向けて道路においておくと、トラックが走ってきて風船つぶしたような音がするの、『ぱーん!!』そういう。

大西さん
そっちのほうが酷いよね?

ココさん
おんなじよぉ!!釘だって!!

大西さん
俺は釘刺したけど、生きてたもん。

ココさん
同じじゃないっ!

ぼくらは死んでたヤツか、弱ったヤツ捕まえてきてやってたんですよ。

大西さん
ああ、そうか。

ココさん
こっちの方(頭)から行けば・・・そっか。

空気がたまっていって、

最後にパーン!!と。すごい音がする。

ココさん
へぇー。

木の町の生まれなんで。林材と一緒にヘビとかがくっついてくるんですよ。

大西さん
だって、(その頃は)なんでもいたもんね。
・・・ヤモリもトカゲもいるわ、遊び相手はそういうものだったね。(笑)

ココさんも体育会系だったんですか?

ココさん
どっちかっていったら運動の方が好きだったかなー?ははは。

ココさんは、末っ子だったんですよね。

ココさん
末っ子です!

お兄さんとお姉さんが・・・。

ココさん
そう、一番上が姉で、次が兄で、で私と。間が6つくらい違うのかな?
戦後、の生まれでしょ?ふふふ。

戦後の生まれで。

ココさん
そう、戦後のベビーブーム。

大西さん
団塊の世代っていうのかな。

ココさん
なんでも人数が多くてイヤだった。
遠足行くのでも、バスがバーッて10台くらい並んで、何号車、何号車って。どこ行くにもすごい人数だったから、あれがすごくイヤだった。
ココさん

大西さん
12クラスぐらいあったのか?(一クラスが)五十何人でなぁ。

ココさん
うーん・・・、一クラス53人くらいいて・・・。

うわーっ、すごーい!!(ご夫妻笑)

ココさん
・・・H、I、J、K?11クラスくらい。あの大人数で動きまくって。
だから運動会だの文化祭だのは結構楽だったね。(出る種目が少なくて)

大西さん
今の子は(クラスに)子供が少ないから、ボクたちから見たら可哀想だね。

ココさん
うん。ちょっと少なすぎだね。


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