「!」
弾んだ声で呼びかけられて、は声の方を振り返った。
中庭から渡り廊下を見上げると、その後ろの太陽がきらきらと輝いて、眩しさに目を細め手をかざす。
数秒して、光に慣れた瞳に映ったのは、大きくこちらへ手を振る先輩騎士の姿だった。
「あ」
なんだか久しぶりに会う気がする。
は慌てて踵を返すと、渡り廊下への階段を駆け上がっていった。
「ただいま。久しぶり・・・かな」
「そうですね、アカネイアはいかがですか?」
「うん、まだまだ落ち着かないけれど、でもジョルジュさんの傍にいると、色々勉強になるよ」
久々に見る、優しい表情、柔らかい声、落ち着いた仕草。
はいつになく上機嫌に微笑みながら、ゴードンの隣を歩いた。
淡い憧れを抱いていたこの穏やかな先輩騎士は、終戦後、恩師であるジョルジュの手助けの為、アカネイア自由騎士団に参加している。
アリティア一の弓の名手の座は、彼の弟ライアンと、そしてが競うものとなった。
「はどう?元気にしてた?」
「ええ、ライアンとも良いライバルとして頑張っています」
「そうか。あ、あとで家に帰らなきゃいけないから今日はあまり時間がないんだけど・・・」
ゴードンは、一度遠くに視線を移して、迷うような素振りを見せたが、すぐに思い直してに向き直った。
「あのさ、急で悪いんだけど、良かったら付き合ってくれないかな?」
「え?ええと・・・どこへでしょう?」
以前ホルスに「お付き合いを」と言われて焦ったことを思い出し、今度は慎重に答える。
あの時は「訓練に付き合って欲しい」という意味だった。
「うん、城下町へ行くんだけど。明日、空いてる時間でいいんだ」
その申し出を了解して、一旦二人は別れた。
「あとで家に帰らなきゃ」って。
家に帰るより前に、わざわざに会いに来たのだろうか。
少し期待して、それをふるふると打ち消すように首を振る。
(きっと、ここに何か用事でもあったついでだわ)
期待なんて全然出来ない相手なのに、それでも、ほんの少し会っただけで、心が安らぐのが分かる。
隣を歩いているだけで、幸せな気分になれる。
威厳が無いのを気にしていた可愛らしい先輩は、しばらく会わない間にまた少し大人びていた。
***
結局カタリナと話して、一日休みをもらったは、昼前からゴードンと町へ出た。
「なんだか、今日は可愛いね」
私服の彼女をゴードンが褒める。
「・・・それじゃあいつもは可愛くないみたいですけど」
「え!?あ、そうじゃないんだよ。ごめん、言い方が良くなかったね」
「いいえ、わかってますよ。冗談です、ふふ」
褒められると嬉しい。傍に居ると嬉しい。せっかくだから今日は楽しんできてくださいね、とカタリナが言ったのを思い出す。
女性らしい私服のあまりないにわざわざ服を貸してくれたぐらい、自分のことのように応援していたカタリナ。
まるで恋人どうしのように歩く二人を見れば、大層喜んだだろう。
「それで、今日はどうなさったのですか?」
「え、あー、どうしたってわけじゃないんだけど・・・」
歯切れの悪い返事に、首を傾げて見上げると、ゴードンはにこりと笑って言った。
「とりあえず、お昼ごはんを食べようよ」
ゴードンはどんどん喋るタイプではないが、沈黙の続くタイプでもない。
とにかくちょうど気持ちの良いタイミングで、気持ちの良い流れで喋ってくれる。
話すのも聞くのも上手な人だ。
そんな彼になら、なんでも話してしまいたくなる。
けれど、は彼に恋の悩みだけは相談出来なかった。本人に、何を言えばいいのか、わからないから。
かたくなにそこから話題を逸らすのを、逆に訝しまれたのだろうか、ゴードンが少し眉を顰めた。
「、何か悩みがある?ぼくが聞けることなら」
「え」
無いと言えば良かったのに、急にそんなことを言われたもので、の声は止まってしまった。
この沈黙のあとに「無いですよ」なんて言っても白々しい。
貴方には話せません、なんて、この優しい先輩に向けて言いたくない。
「あ、その・・・」
あなたが好きです?
無理無理無理!言えないそんなこと!
ひとりで慌てていると、ゴードンは何か言おうと頑張っているのを遮って笑った。
「無理に話さなくていいんだ。でも、困ったら言ってね?」
ああなんて柔らかい人。
その穏やかさにどれだけ癒されたか。アリティアを離れると聞いた時、どれだけ寂しかったか。
ゴードン殿が傍に居てくれると心が安らぎます、なんて。自分としては精一杯の告白だったのに、この鈍い先輩はちっとも気付いてくれなかった。
弓を引く凛とした姿勢も、努力を惜しまない騎士としての姿も、すべてに憧れていた。
「・・・もっと、ゴードン殿の傍に居たいです。安心します」
それだけを言葉にした。以前とほぼ同じ告白だったのに、今回の彼は、ものすごい勢いで赤面した。
***
「ジョルジュさんに言われたんだ。に会ってこいって」
結局また、彼の手のひらで踊らされたのだろうかと、は少し不満に思った。
彼の策士っぷりには頭が下がる。
「そろそろ我慢の限界だろうって。ぼくのことだと思ってたんだけど」
もそうだったなら、ちょっと嬉しいな。
そう言って、まだ照れたままのゴードンが笑う。
「ゴードン殿も、私に会いたかったのですか?」
「・・・そんなストレートに聞かれると、恥ずかしいんだけど・・・」
「あ・・・そ、そうですね。すみません・・・」
あまりにゴードンが照れるもので、今更ながらも恥ずかしくなってきた。
「ぼくはね、まだやることがあるから、アカネイアに戻るけど」
ひとことひとこと、含めるように口にする。
「でも、必ずアリティアに戻ってくるよ。にもライアンにも負けないように、もっともっと強くなって、あ、あと威厳も出るといいな」
威厳と聞いて、は笑った。
ゴードンも、一緒に笑った。だから待っててね、と言いながら。
「わかりました。待ってます。でも、アリティア一の弓の名手の座は、譲りません」
「あはは、強敵だね」
お互いくすくすと笑って、それからゴードンは立ち上がるとに向けて手を差し出した。
「ね、じゃあデートの続きをしよう」
「デ・・・デート・・・ええと、その・・・私で良ければ」
デートと聞いてますます恥ずかしくなってきた。は赤くなったまま差し出された手を握る。
逆にゴードンは、「待ってて」などとプロポーズ紛いのことまで言ったせいで、すっかりスッキリしてしまったらしく、楽しそうに彼女の手を引いて歩き出した。
ひらひらとスカートの裾が揺れて、は幸せな気分が大きく大きく膨らんでいくのを感じ、彼の横顔を見つめて優しく微笑んだ。