初日の出の話





「ディラス!ディラス、こっち!」
数歩遅れて歩くディラスを、フレイはくるりと振り返ると大きく手招きする。
ただし、そうして呼ぶ声は、ぎりぎりしか聞こえない程度に潜められていて。
「……フレイ、寝なくていいのか?」
ディラスはどうも、声を潜めて喋るというのは得意ではないけれど、ただし普通に喋ってもそれほど通る声でもないだろうと判断し、いつも通りに声をかける。
すでに午前5時。なんだかんだと理由をつけられて昨日から寝ていないけれど、朝が近くなると急に、フレイの方から「今から出かけようよ!」と家から引っ張り出された。
さすがに眠い。
それ以上に、フレイは寝なくていいのだろうか。畑仕事は休めないだろうに、まさか徹夜する気だろうか。
「んー、今日だけは、ね?」
にっこりと微笑んで、彼女はディラスの手を取った。
昨夜は町の皆も、普段よりは随分と遅くまで起きていた。新年を祝う為だったのだろう。
ただし、毎日健康的な生活を送っている住人たちがたまの夜更かしをそれほど楽しめるわけでもないらしく、年が明けて一通りの挨拶が済むと、それぞれ眠たそうに帰宅していった。
こんな朝方では、もちろん起きている人の気配はない。
ディラスと、そして彼を引っ張るようにしてうきうきと歩くフレイだけが、町の空気を小さくかき混ぜている。
展望台に着くと、彼女は躊躇いなく扉を開いた。
そのまま軽い足取りで階段を上っていこうとする。
「まっ、待て」
「ん?」
「いや、手を、だな……」
照れてしまって最後までは言えなかったが、あとは「手を差し出す」という行動で続けると、フレイは大きな目を瞬いてから、ふわりと相好を崩した。
「あはは、ディラス、過保護」
「そんなことねぇよ……」
過保護、とは言ったものの、彼女は素直にディラスの大きな手に自分の手を重ねる。
そのままゆっくりと階段を上って、すっかり慣れた展望台でベンチに座った。
「ここからね、日がのぼるのが見えるよ」
すごく、すごく綺麗だから、一緒に見よう?
初日の出って言うんだよ、とフレイは微笑んだ。
「そうか」
綺麗な景色を見ることで彼女が喜ぶのだったら、もちろんディラスに異論はない。
ちらりとフレイに目をやると、ちょうどこちらを見ていた彼女と目が合った。
「起きてられて良かった。今年見ておきたかったから」
フレイは両手で顔を隠したと思うと大きなあくびをしたらしく、少し涙目のままふふっと笑った。
「そんなに無理しなくても、来年だって見れるんじゃ……」
「だめだよ!」
なんとなしに告げた言葉に返ってきた、否定の強さに思わずびっくりすると、フレイは得意げに指を立てた。
「来年はだーめ。赤ちゃんに、そんな夜更かしさせられないもん。8時には寝るの!」
「……そうだな」
ディラスも笑った。
そうだ。次に新年を祝う頃にはもう、家族が一人、増えているんだった。
「8時就寝か。店が終わって帰ったら、2人は寝てるんだな」
「えっ、あ、そっか。うーん、じゃあ子どもは寝かせて、私は待ってる」
「いや、寝てていいぞ?」
可愛い妻と、子ども。帰宅して愛する2人の寝顔を見られるなんて、贅沢な話だ。
本当にそう思ったけれど、フレイはふるふると首を振った。
「ううん、私はディラスに会いたいもん。ちゃんと毎日、おやすみって言いたいの」
「そっ、そうか……」
「うん。ディラス、大好きだよ。今年もよろしくね!」
トドメとばかり、最上の笑顔を向けてくる妻に、自分が返せることはなんだろう。
ぐるぐると脳内を駆け巡る様々な選択肢。ああするべきか、いやこうするべきか。
けれどまずは、悩むより先に。
「ああ」
とりあえず、照れも葛藤も置いておいて、隣に座った妻の手を握る。
「ディラス……」
「……こちらこそ、よろしくな」
フレイはその手をぎゅっと握り返した。
ほぼ同時に、薄暗かった空に光があふれる。フレイが勢いよく立ち上がり、ディラスもあとに続く。
笑顔のままに振り返ったフレイの姿が逆光で眩んで思わず目を眇めると、彼女は嬉しそうに軽く地を蹴って、その胸に飛び込んできた。
慌てて受け止めるとそのまま顔を上げて、僅かに首を傾げる。
大きな瞳が要求していることが何かは、分かる。
(俺の新年の目標は――もう少し、積極的に、だな……)
守れる目標かどうかは分からないけれど。今はとりあえず勢いに任せて。
(……初日の出、見なくていいのか?)
僅かな逡巡は、おそらく今口にするべき台詞ではないから。
ディラスは腕の中のフレイを軽く抱き上げると、彼女の要求どおりに軽く唇を落とした。