レオンとセルザの話





――レオン=バシュタット=VIII世 18歳――


神官にあるまじき荒い足音だな。
レオンはそんなことを考えながら、こちらへ真っ直ぐ向かってくる足音を待った。
部屋の扉はノックもなく乱暴に開かれる。
「レオン!ようやく帰ったか!新しい風幻竜様がお生まれに――」
「分かってる。だから急いで帰ってきたんだ」
「……まったく……、お前は相変わらずだな。1年も勝手をして。しかもマリアまで連れて……」
「悪かったよ。でも、とりあえず満足した。約束通り、神官を継ぐ」
「……。そうか」
父は一瞬、何とも言えない顔をした。
あれほど竜の神官になるのが決定事項であると言ってきた父も、いざレオンがその覚悟を決めれば思うところもあるのだろう。
まして少し前までは、産まれた時から決められていたその道にそれなりの反発を示していたのだから、胸中複雑なのではないだろうか。
けれど、そういった父の思惑など、レオンには関係ない。
神官なんてガラじゃない。その考えは変わらずとも、神官になるということは自分で決めたのだ。
「もう出られる」
一言そう告げると、父はすぐに厳しい神官の顔に戻り踵を返した。
そこでようやくレオンは、神官としてではなく、純粋に父としての彼の顔を見たのだと気づく。珍しいものを見たんだな、感想はそれだけだった。


*****


「セルザウィード様」
厳かに呼びかける父の声に、さすがに背筋が伸びる。
先代のネイティブドラゴンが世界にルーンを満たすためその寿命を終えたのは、レオンが生まれるよりもずっと以前のことだと聞く。竜の神官になる身とはいえ、実際にネイティブドラゴンを目にするのは初めてなのだ。
キュオォォン、と。
扉の向こうで、思っていたより高い鳴き声が響いた。
「何用じゃ」
想像よりもかなり高い、いっそ可愛らしいと言っても差し支えない、声。
「新しい竜の神官です。今後セルザウィード様に仕えさせていただきますのでご挨拶に伺いました」
「……入るがいい」
父はレオンを促した。くれぐれも失礼のないように、と目だけで制される。
重い扉を開きかけた、その部屋の奥から再び、可愛らしい声が響いてくる。
「そちは戻って良いぞ。その者と話をさせよ」
「はっ。それでは失礼いたします」
ネイティブドラゴンに仕える竜の神官として、その発言は絶対だ。
最早レオンに視線ひとつくれることなく父は退室し、残された自分はこの扉を開けて中に入るしかなくなってしまった。
さてどんな人物――いや、竜物――かぐらい、尋ねておけば良かった。前情報がゼロというのはいただけない。
どうでもいいが、何故このような重々しい扉をつけてあるのか。神官としてそれなりに力を持てるのならば、この扉は取っ払ってしまおう。
必要以上には鍛えたつもりの身体ではあるが、無駄としか思えないほどに重い扉に心の中で悪態をつくことで気を紛らわせる。
それでも勿論開けない重さではない。やがて開いた扉の先には、――想像したような者はいなかった。
それなりにネイティブドラゴンにまつわる話や絵画などにも目を通してきた。望む望まざるに関わらず、それはレオンの義務でもあった。最後の我儘にと、世界を巡る旅をする間にも、ネイティブドラゴンに関わるものがあれば目をとめてきたのだ。

「お前が、新しい風幻竜、か……?」
想像とは大きく違う姿に、つい本音が漏れる。
「お前とはなんじゃ!……コホン、そのとおり、わらわこそが偉大なる――」
「随分と小さいんだな」
「ち、小さいじゃと!?」
これでは声も可愛らしいものになるだろう。
レオンでも抱き上げられそうなほどの大きさしかない子竜が、だだっ広い部屋の中央に、場違いなほどにちんまりと鎮座しているのだから。
しかもレオンの本音に対して彼女の返す言葉の調子には、威厳のいの字もない。
「小さいとはなんじゃ!しょうがないのじゃ!ネイティブドラゴンとて、産まれたては小さいに決まっておろう!」
「はは、悪い。怒るな。可愛いな。想像とは違うが、……悪くない」
「可愛いじゃと!?わらわはそちの主ぞ!?」
「分かってるさ。セルザ」
「せっ・・・せるざぁ!?」
「ん?なんだ、不満か?」
立ったままでは視線が合わせづらいだろうと考えて、レオンはセルザのすぐそばまで近づくとしゃがみこんだ。
完全に不満であるという表情で、セルザが睨みつける。
「そち、本当に神官か?ずいぶん先代と感じが違うが」
「あー……そうだな。悪いが、俺も神官としては産まれたてなんだ。先代と同じには、まだなれない」
「……同じになる気など、さらさらなさそうに見えるがの」
図星を指され、レオンの薄蒼の瞳が僅かに揺らいだ。
けれどセルザの言葉がそれ以上、彼を責めることはなかった。
「まあ良い。わらわも正直、ずっとあの調子では肩が凝る。まったく、産まれたばかりだというのに気を遣ってばかりでの」
「はは、悪いな。偉大なるネイティブドラゴンに気を遣わせるとは、父上もまだまだだ」
「……そち、今後わらわの神官になるのじゃろう?そちなら気を遣わずとも良さそうじゃ」
具体的には何を?そう尋ねれば彼女は言った。
ひとつは、参拝に来る者たちの悩みなどを聞く、神官としての仕事。
もうひとつは、幼い彼女の、世話係。
ネイティブドラゴンの世話をする日がくるとは。竜の神官になるとは決めていたが、これは予想外だ。
「……世話と言われてもな」
「何じゃ。まあ食事さえ持って来てもらえればあとは何とでもなる。そんなことより、そちは神官の仕事の方が心配じゃ」
「ん?そっちは大丈夫だよ。……嘘をつくのは得意なんだ」
ニヤリと笑えばセルザは呆れたようにため息をついたが、咎めるようなことはなく、それどころかくつくつと小さく笑い出した。
「おもしろいの、そちは。まあ、よろしく頼む」
高い天井と、彼女にはそぐわない広さの硬質な部屋。
その中央に偉そうに鎮座するセルザにひとまずの別れを告げると、彼女は面倒臭そうにまだ小さな翼をぱたぱたと振った。
「じゃあセルザ、また明日な」
「食事を頼むぞ」
予想していたよりずっと、楽しそうな仕事だ。
今別れたばかりの偉大なるネイティブドラゴンの風貌を思い返し、レオンは小さく笑って屋敷への道を急いだ。



*****




料理長が誇らしげにかかげたレシピを見て、何がそんなにも誇らしいのか理解に苦しみつつもようやく呟いた言葉は一言。
「俺が作るのか……」
「そう伺っております。作り方はこちらに」
翌日、セルザに持って行く料理のことを厨房で尋ねると、それは神官が手ずから用意するものだと告げられた。
しかも、指定された料理が「牛乳がゆ」。これは苦々しい顔を隠せもしない。
「作れなくはないがな」
レシピもあるし、料理は一通りできる。
ただし、「牛乳」があまり好きではない。
「セルザウィード様はまだ幼くいらっしゃるとのことで、柔らかなものをお好みでいらっしゃいます。先日いくつかお持ちした中では、これを一番気に入っていらっしゃいましたので」
「そうか。分かった」
しょうがない。レシピ通り作ろう。味見はしない。
そう決めると手早く料理を済ませ、神殿へと持って行く。作ること自体には何の問題もなかった。

「セルザ、おはよう。入るぞ」
「そちか、おはよう」
相変わらず空洞のような部屋の中央にぽつりと座ったセルザに迎えられ、レオンはまず牛乳がゆを差し出した。
「食事を持ってきた」
「おお、牛乳がゆじゃの!」
「好きなのか?」
「うむ。まだ硬い物はうまく飲み込めぬ。普通のかゆというものも食べたが、こちらの方が好きじゃ」
「そうか」
「……」
「……」
差し出した牛乳がゆは、しかし手を出されることはない。
「どうした?」
「……わらわは自分で食べられはせぬぞ?」
「……ああ、そうか。食べさせればいいのか?」
「当然じゃ」
セルザの隣に腰を下ろすと、彼女は首だけをそちらに向けてあーんと口を開けた。
「昔、はぐれモコモコを飼ったことがあるんだが、懐かしいな」
「そち、今わらわにものすごく失礼なことを言ったのう……」
「ん?何のことだ?」
スプーンで小さく掬い、少し吹き冷ましてセルザの口に運ぶ。
彼女はおとなしくもぐもぐと口を動かして、それからむー、と唸った。
「甘みが足りんの」
「何?言われた通りに作ったが」
「足りんのじゃ。味見してみよ」
「……断る」
レオンの顔が苦々しく歪められるのを見て、セルザは楽しそうに笑った。
「なるほど、苦手なのかの」
「……それほど好きじゃないだけだ」
「だーめーじゃ。ちゃんと味見して、明日はもう少し甘くして参れ」
「……」
毎日食べていれば、好きになるかもしれんぞ?
くつくつと笑う子竜に、レオンは精一杯忌々しげにつぶやいた。
「多分、死ぬほど嫌いになるな」




*****





レオンは自分で最初に言った通り、嘘をつくのは得意なようだった。
セルザが見る限り、彼は自分の気持ちを参拝者たちにはまったく見せない。
逆にそれは人間味がなく、それゆえ懺悔の対象としての「神官」という仕事は向いているようだった。
それでいて、悩みごとの相談にはそれなりに親身になった。相手の思考を遮らない、良い聞き役を演じながらさりげなく道を示す。――それが彼の本心ではなくとも、一番倫理的な道を選んで。

「そち……器用じゃの」
「ん?何がだ?」
相変わらずどっしりと部屋の中央に鎮座した子竜は、少し大きくなったようだった。
毎日牛乳がゆを作らされ、順調に牛乳嫌いが進行しているのだが、もう諦めている。
セルザは毎日退屈そうにしているが、ここからあまり動くことも出来ないと言うし、最近はすっかりレオンを暇つぶしの相手として拘束している状態だ。
「何を考えておるのか、ちっとも分からん男じゃ」
「そうか。お子様にはまだ早いな」
笑って優しく頭を撫でてやれば、セルザは本気で重いため息をついた。
「……おまけに節操もないときた」
「節操がないとは失礼だな?俺は聖職者だぞ?」
「信じられんのう」
2人してけらけらと笑うと、誰もいなくなった神殿に笑い声が響く。
変わらぬ日々を過ごしながら、しかしレオンには最近気にかかっていることがあった。
「じゃあセルザ、また明日。……この部屋にひとりは淋しくないか?」
「淋しくなぞ無いわ。わらわはもう寝るのじゃ。おやすみ」
「ああ、おやすみ」

レオンがセルザと出会って、1年以上が経つ。
それなのに――
屋敷に戻ると、レオンは真っ直ぐに父の部屋へと向かった。閉じられた扉をカンカンと叩く。
「父上。聞きたいことが」
「……レオンか」
父はすぐに扉を開いた。
「そろそろ来るんじゃないかとは思ったが」
レオンの来訪は予想されていたらしい。
「話が早くて助かるな。……それで、どういうことだ?」
「どういうこと、とは」
「俺が疑問に思っていることぐらい、分かっているんだろう?」
ネイティブドラゴンの子どもの記録など、ほとんど残っていない。各地に残る伝説や逸話も、そのほぼすべてが成竜のネイティブドラゴンにまつわるものである。
だから子竜の時期について詳しいことが分かっているわけではないが、それにしても、いくらなんでも彼女の成長は竜として遅すぎるのではないだろうか。

――ようやく僅かに、大きくなった体。
――彼女は未だに牛乳がゆしか食べられない。
――あの場所から、自力で動くこともままならない。

セルザは「この地のルーンを守るためここから動くことは出来ない」と言ったが、レオンの見たところ、彼女は動かないのではなく、動けないのではないか。

「……既に国には伝えている。対策も探られているはずだが……セルザウィード様は、生まれつき体が弱っていらっしゃる」
「弱って……?」
「お前も感じているだろう。この地のルーンは枯れかけていた。風幻竜は、その命をもって大地を潤す。早くこの地を潤していただかねば、この地は死んでしまうのだ」
淡々と告げる父の言葉は、意味こそ分かるが受け入れがたい。
「じゃあ、セルザはすぐに死んでしまうということか」
弱っているから成長が遅い。成長に回すだけの体力がないのだろう。
弱っているから食事もろくに取れず、動くことも出来ない。
『セルザ』という呼び名に、父は僅かに眉を顰めたが、指摘されることはなかった。
「それを避けるため、国を挙げて対策を練っているのだ。本当はそうなるべきなのかもしれんが、この国には風幻竜様が必要だ」
「……分かった。何か新しいことが分かったら教えてくれ。今は俺があいつの神官なんだ」
ルーンが枯れかけている。それは世界を巡る旅の中でも感じたことだった。
ルーンが枯れれば死ぬ。その運命からは何人たりとも逃れられない。

「そうか、この違和感は……」
セルザのルーンが枯れかけている。それに気づいてしまったのだ。
レオンは常人よりも多くのルーンをその身に宿していたが、セルザのルーンは枯れかけているとはいえ、さすがにそんなものとは比べ物にならない量だった。だから気づくのが遅れたのだ。
他のネイティブドラゴンを見たことがないから比較対象もない。
「産まれたばかりなのに、死ぬのか……」
それが風幻竜としての仕事であるとはいえ、彼女は既に、レオンの友人で。

このままではセルザが死ぬ。

それを知ってなお、レオンは表情の欠片にすらも表すことなくセルザとの毎日を過ごした。嘘をつくのは得意なのだ。
セルザは自分がもうすぐ死ぬことを知っているのだろうか。いくら子どもといえど、彼女はネイティブドラゴン。恐らく知っているだろう。
それでいてレオンと変わらぬ日々を過ごし、偉そうにどっしりと座ってあくびをしているのだ。

(嘘をつくのが得意なのは、お前もか)

牛乳がゆはもう、味見なんてしなくても彼女の望む甘さに作れるようになった。
それでもレオンは、毎朝律儀にその味を確かめる。
そのうち味も麻痺するかと思ったがまったくそんなことはなく、今日も吐き出したいほどに不味かった。




*****





セルザの命を救う手段として、ひとりの少年がレオンの元を訪れたのは、それからしばらくしてからだった。
「セルザウィード様と強い絆を持つ方の、ルーンを送り込むことによって体力を回復することが出来ると思います」
もちろん初めてのことで、成功するかどうかも分からない。けれど今考え得る方法はそれだけ。
彼の丁寧な説明に、レオンは一も二もなく頷いた。
「俺で構わないか?俺はあいつの神官だし、絆も……あるはずだ」
まあこればかりは分からないが、と小さく笑う。
少年は真っ直ぐな瞳でじっとレオンを見つめた。嘘など全て見透かしてしまいそうな、なんとなく苦手な瞳だ。
「すごいですね……ルーンの量は十分です。ただ先ほども言った通り、この術は貴方とこの世界を切り離してしまいます。セルザウィード様の命は救えても、貴方は……」
「でも、誰かが必要なんだろう?だったら迷うことはないさ」
少年はやはりレオンを見つめ続けた。さすがに居心地が悪くて、レオンの方が目を逸らす。
「……貴方は、どうして迷いなく頷くんですか?」
話を聞く限り、この役目を引き受けることは命を捧げることに等しい。
それなのに、レオンが躊躇わない理由――?
「そうだな、あいつは大事な友人だし……まだ産まれたばかりの子どもなのに、可哀想じゃないか」
「セルザウィード様が、友人……」
「おっと、今のはナシにしておいてくれ。神官が主に命を捧げるのは当然だろう?」
「……わかりました。僕も全力で術の完成を目指します」
「よろしく頼む」




ふぁああああ、と今日も退屈そうに欠伸をして、セルザはぱたぱたと翼を小さく動かした。
「セルザ、少し大きくなったな。どれぐらいまで大きくなるものなんだ?」
「わらわが知るわけがなかろう。他のネイティブドラゴンにも会ったことがないしの」
「他か。聞く限りでは、この部屋いっぱい程度には大きいらしいな」
「ほう。ではわらわもそうなるじゃろ」
まだまだ余らせた空間の方が大きくて。セルザは一度部屋を見回すと、満足そうに頷いた。
「楽しみじゃのう」
ぱたぱたっとせわしなく翼を打ち、子竜の体はふわりと浮かび上がる。
「見よレオン!飛べるようになったじゃろう」
「……本当だ」
「どうしたのじゃ?」
「いや……」
弱っている彼女が飛べたのが意外で、思わず必要以上に驚いた顔を見せてしまった。
翼のある竜が飛ぶことぐらい、珍しいことではないのに。
「……最近セルザは太ってきているからな。飛べると思わなくてびっくりした」
慌てた様子は微塵も見せずに咄嗟に軽口を叩くと、セルザは素直に憤った。
「なんじゃと!?失礼な……そち、本当にわらわを敬ってないのう」
「そうか?そんなつもりはないんだが。それより、ゆくゆくは空も飛べるのか?」
「もちろんじゃ。優雅に空を飛ぶわらわ……それはそれは美しいぞ?まあ、あまり長くこの場を離れることは許されんがの」
「空か……羨ましいな。子どもの頃、一度は飛んでみたいと思ってたよ」
成長したセルザは、彼女の言う通りきっと美しいだろう。
しかし今のままではその姿を見ることは叶わない。
「そうじゃ!そちなら特別に、わらわの背に乗せてやろうではないか」
「背に?」
「わらわの背に乗って空を飛ぶが良い。夢が叶うぞ?」
思わぬ申し出に、レオンは本日再びの驚いた顔を見せてしまって、セルザが吹き出した。
「そち、たまには歳相応の顔もするのう」
「……そりゃな。しかし、主の背に乗る神官ってのもどうかと思うが」
「ははは、今更じゃの。どうせそちの振る舞いはちーっとも神官らしくないわ」
「それもそうだな」
ふわりとセルザは翼を持ち上げた。そのままちょいちょいとレオンに触れる。
呼ばれたのだと分かって隣に座ると、翼を畳む風をふわりと纏わせて彼女は笑った。
「うぅむ、そうじゃな……。そちは、わらわの初めての友人じゃ。神官というのは堅苦しくていかん」
「友人か」
奇しくもその言葉をセルザ自身から聞く事ができて。
レオンは思わずまた驚いた顔を見せそうになったが、すんでのところで表情を笑みに変えた。
「悪くないな」
こうして月明かりの下で2人で語らう時間は、本当に、悪くない。
彼女の背に乗り空を飛ぶ夢を――それは夢でしかないけれど――見ることも。




*****




セレッソの花がひらひらと舞い散るのを、レオンは塔の中腹からぼんやりと眺めていた。
神官の任は解かれた。あとは父が引き受ける。
セルザにはそう伝えてくれるよう頼んで。
最後に見た幼なじみの笑顔だけは心残りではあったが、今更どうしようもない。

「お待たせしました」
あの時の少年は、少し大人びたようだった。
「術は完成しました。必ず、成功させてみせます」

少年が大人になるように――あの幼いセルザも、大人になってくれるだろうか。

「育てていたら、情が沸いたんだ」
もともと子どもは嫌いじゃないしな、と続けると、少年がくすりと笑った。

「……この術は、永遠じゃないんだろう?」
「はい……。いつか、彼女が新たな絆とルーンを必要とする日が来ます」
「つまり、それまでの繋ぎってことだな」
「……すみません」
「謝ることじゃない。アンタはよくやってくれたよ。でも」
レオンは空を見上げた。偉大なる風幻竜が空を駆ける幻を探して。
「いつか必ず、他の方法を見つけてくれないか」
「……他の、方法……」
「ああ。セルザはな、優しいんだ。優しいし、嘘つきだし、意地っ張りで淋しがりなんだ。だからきっとこの術のことを知ったら……傷つく」
「……!」
彼女の背に乗って空を飛ぶ。その約束を守らないままに黙って姿を消す友人のことを、彼女はどう思うだろうか。
友人だと――言ってくれたのに。
「いつか他の方法を見つけて、セルザが寿命いっぱいまで生きられるようにしてやって欲しい。誰の犠牲もなくな」
少年はそれまで、セルザウィードという一個人の人格にまで想いを馳せたことはなかっただろう。あくまでも「ネイティブドラゴン」として見ていたはずだ。それでもレオンの言葉を聞いて、その事実を真摯すぎるほどに真摯に受け止めたようだった。
「約束、します。どんなに時間がかかっても……必ずその方法を見つけ出します」
以前会った時と変わらない、真っ直ぐに向けられる瞳。この瞳なら信じても良いと思える、不思議な力がある。
「ありがとう。これで安心して眠れるよ」
少年の髪をくしゃりと乱すように撫でると、急なことに「うわっ」と声を上げて彼は自分の髪を押さえた。
「アンタも無理はするなよ」
「……はい。でも、約束は守りますから」
頷きながらもしっかりと意志を通す言葉に苦笑する。
「ん、ああそうだ。セルザは成竜にはなれるのか?」
「え?それはもちろん」
「そうか」
きょとんとした彼を置き去りに、レオンはさっさと塔を登り出した。
「じゃあ、術を頼む」
「あ……はいっ!」
慌てて後を追う少年に、自分はきっと無理をさせるのだろう。
もしかしたら今後何百年と続く無理難題を、自分が押しつけたのかもしれない。
それでも、何百年と生きるはずのこころ優しき風幻竜のために、この願いがいつか叶えられるようにと。自分に出来ることは祈りだけ。

レオンの目の前にひらひらと降ったひとひらのセレッソの花が、不意に風に攫われて舞い上がった。
(セルザ――すまないな)
それでも、彼女が許してくれるのならば。目が覚めたら約束通り、その背に乗せて空を飛んでくれるだろうか。
どうか彼女が、レオンのことで心を傷めることが無いといい。
――この願いだけはおそらく、あの優しい風幻竜は叶えてくれないけれど。

幾度も間違いながら生きてきたが、竜の神官になると決めた自分の選択だけは間違っていなかった。
お蔭で友人の命を救うことが出来る。
自身のルーンを何者かに引き寄せられる苦しさに息が詰まりそうになりながら、それでもレオンは青空に優雅に舞う美しく荘厳な風幻竜を夢想して、静かに瞳を閉じた。

「わらわの背に乗って空を飛ぶが良い」
そう言って笑う声が、混濁する意識の中で確かに優しく響いていた。