約 束





「晴れましたね」
は穏やかに口を開いた。
振り向けばやはり、立っていたのは金の弓騎士。アカネイアの将軍、ジョルジュだ。
「ああ。これから発つ」
「ええ、マルス様から聞いています」
メディウスを倒してから、マケドニア出身者は自国へと戻ったが、それ以外はほとんどの者がアリティアへと一旦帰還した。
アリティアまでの道中、姿を消した者もいる。
ジョルジュがその救出を目標として戦った、ニーナ王妃もそのうちの一人だった。
「ニーナ様のことは、申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げるに、ジョルジュは肩を竦める。
「やめてくれ。謝るとすれば、護衛としてついていたオレたち、アカネイア軍の方だろう」
「ですが・・・」
「ニーナ様がご自分の意志でそうなされたのだ」
「ジョルジュ殿は、ニーナ王妃をお探しするのですか?」
「いや」
話は多少長くなりそうだ。ジョルジュはそばのベンチに腰掛けた。
あの戦火に巻き込まれた城とは思えないほどに、ここには花が咲き乱れている。
「それはオレの役目じゃないさ。・・・オレは、自分がすべきことをする」
「すべきこと?」
「ああ。アカネイアの為にな」
「そうですか・・・」
そもそもジョルジュがアリティア軍に味方したのは、アカネイア王国の正しい姿を取り戻す為だと聞いている。ニーナ王妃が姿を消したからこそ、有力貴族である彼がやるべきことも多いのだろう。
何を言うべきか、いや、どう切り出すべきなのか。
本当に話したかったことを急に話すか、彼の「すべきこと」を応援するか、或いはその内容でも尋ねるか。
しかしアカネイア軍はこれから、自国へ向けて発つ。そう時間は無い。
「・・・ジョルジュ殿」
の緊張した面持ちに苦笑して、けれど敏いジョルジュは立ち上がった。
こうして真っ直ぐ見つめ合えば、長身のジョルジュを見上げることになる。
「結論は出たか?」
「・・・私は、あなたを尊敬しています」
「ああ」
音を乗せるべき言葉を探す。答えの準備は無い。
彼と再び向かい会った時に、自分の中には答えが自然に生まれるのではないかと、そう信じていた。
「ジョルジュ殿はアカネイアに戻られるのですね」
「そうだな」
「私は・・・」
そこで言葉を切って、は一度深く息を吐いた。
私は、マルス様の騎士で居たい。アリティア騎士で居たい。
だからジョルジュとは離れることになる。それがとても――
「淋しい、というのは・・・おかしいのでしょうか。祖父が亡くなった時にはとても淋しく感じましたが・・・あなたは、生きているのに」

これは望んだ答えだろうか。
あの時卑怯な告白をして、彼女のこころに僅かでも残ればそれでいいと、そんな気持ちで口にした言葉を、彼女はどこまでも真摯に受け止めた。
それでも彼女が頑なに恋を認めない、というわけではない。
ただ本当に、彼女には分からないだけなのだ。
自惚れでも何でもなくて、彼女は自分に恋をしている筈なのに。
ジョルジュは両手を伸ばした。「淋しい」という気持ちの理由を探すように考え込んでいたの身体を、自分の方へと引き寄せる。
とん、と軽い音を立てて、彼女の額がジョルジュの胸にぶつかった。
「あ、あの・・・ジョルジュ殿・・・」
「今は、黙っていてくれ。文句なら後で聞く」
「いえ・・・文句では無いのですが、その・・・」

「は、はいっ」

結局は黙り込んだ。
もちろん表情はまったく見えないけれど、確かに彼が笑ったのが分かった。
触れられることがこれほど心地よいと思えるのは、やはり恋のせいなのかと不思議な気持ちに満たされながら、回された腕にそっと自分の手を添える。
「お前に好意を持っているというあの時の言葉、信じて欲しい」
囁くように告げられた言葉に、はそっと頷いた。
「はい。・・・ありがとうございます。出来ることなら、もっとこの気持ちを知ってみたかった」
少し遅かったですね、と彼女が微笑む姿は本当に淋しげで。これで初めての恋は終わりなのだと、諦めている様子が見て取れる。諦めるなど彼女らしくないと思うが、戦い以外には臆病なところはやはり、彼女らしいのかもしれない。
「アリティアとグラは合併するらしいな。マルス王子・・・いや、王も、しばらくグラに手がかかるだろう。・・・もちろん近衛騎士のお前も」
彼が何を言いたいのかいまいち分からずに曖昧に頷くと、ジョルジュは口の端に笑みを浮かべて空に目をやった。
雲ひとつない晴天が四角く切り取られた庭園の空に、鳥が数羽横切っていくのが見える。
「グラとアカネイアの国境付近に、オレの私邸がある。あの辺りはメニディ家の領地だからな。ゴードンに用でアリティアに来るのに便利で作ったものだが」
まったく地図の思い浮かんでいない様子のに彼は苦笑して、一枚の紋を取り出した。
「アリティアからでも馬なら三日かからないぐらいの距離だ。グラのすぐ傍になる。お前が自由に使って構わない。オレはしばらくパレスでやることがあるが・・・連絡があれば、出来るだけ戻る」
「じ、自由にって・・・」
おずおずと紋を受け取って、しかし不安げに彼と紋を交互に見つめると、ジョルジュは深い笑みとともに彼女の頭を軽く撫でた。
「会いに来いと言っているんだ。今オレがお前にしてやれることは、そう多くない。それぐらいは受け取ってくれても構わないだろう」
「会いに・・・」
急な申し出に考えはついていかず、撫でられただけの髪が熱を持った気がする。
大きな手だ、と思う。この手でならば、また触れてほしい。
「これからも、お会い出来るのですか・・・?」
「オレはそのつもりだが」
ほわりとした表情を浮かべて、はその言葉を脳内で反芻する。
数秒して、ぱあっと笑顔が咲いた。
ほぼ同時に2階の窓からミディアが顔を出し、庭園に向けて声をかけた。
「ジョルジュ、悪いわね。そろそろ待てないわよ」
「ああ、今行く」
答えて窓が閉まるのを確認し、彼は再びに視線を戻した。
「・・・今はその笑顔で我慢しておくか」
「え、あの、私も」
見送りに出ることになってるんですけど。そう答えようとした瞬間に。
明るく降り注ぐ陽の光がふいに遮られる。
暗くなった視界に、金の髪だけが綺麗に光を浴びて煌めいた。
塞がれた唇から声は出なくて、先程まで見えていた四角い空も見えなくて。
風が強く吹き抜けてようやく、目を閉じるべきなのかと思い立ったところで、光が戻ってきた。
「捕らえられた蝶々が、逃げられると思うな」
確かに、彼は、笑っていた。
「蝶々・・・?」
「これからが、本番だろう?」
その言葉にぱっと頬を紅く染めたに対して、ジョルジュは微笑まなかった。
声を上げて、楽しげに笑って背を向ける。
「じゃあ、またな」
彼が自分の前でこうして笑うのを、ようやく目にすることが出来て。
それは、告白よりも口づけよりも、のこころを柔らかく包み込んでいった。