ひ そ や か





パレス王宮内にある彼の私室は、使用人がいるわけでもないのにやはり片付いている。
恐らく、王族のいなくなったここは既に「王宮」とは呼ばないのだろうけれど、便宜上まだ「パレス王宮」と呼ばれていた。
随分と部屋の外は騒がしく、しかしそれは「活気がある」と形容するのが似合う。
はそっと窓辺に立って、この活気を作り出した一人であると思われるこの部屋の主を待った。
戦後、彼が中心となって設立したアカネイア自由騎士団には仕事が山積だと聞く。
(今は、迷惑だったかしら)
ミディアが結婚したこともあり、自らがその団長となった美しい金髪の弓騎士は随分と多忙らしく、幾度かここを訪れたものの、会えたことは無かった。
それが今日は、「ああ、お久しぶりです様!ジョルジュさんですか?いますよ」とあっさりと答えたカシムに連れられ、彼の私室に放りこまれたのだ。
彼はノックこそしたものの勝手に扉を開け、中をひとまわり見回してから「あれ、いないなあ」と呟くと、「じゃあぼく、見かけたら伝えておきます」とを残してさっさと立ち去った。
どうやら彼もそれなりに忙しかったらしい。しょうがなく中で待つこととなった。

机の上だけは、片付いているとは言い難いほどに書類が積んであって。
部屋を見回すのも失礼だし、書類に目を向けるのも良くないと思うし。結局窓の外ぐらいしか見ることが出来ない。
暇に飽かしてただぼんやりと外を眺める。深呼吸でもしようかとすうっと息を吸い込めば、なんとなくではあるけれど、別れ際に抱き締められた時の暖かな香りを思い出して、慌ててしまって咳き込んだ。
なんとか喉を落ち着かせていると、聞こえてきたのは固い床をカツカツと規則正しく歩く足音。
は息を潜めて、窓を背に、ぴっと背筋を伸ばして立つ。
予想通りかちゃりと扉が開いて、部屋の主はこちらを確認もせずに部屋に入った。
「すまんな。待たせたか」
まだ一度もこちらを見ていないというのに、彼は間違いなくに話しかけてきた。
「いえ。急にすみません」
どさり、と目の前の机に書類の束が投げられる。
ジョルジュは椅子にかけるとようやく初めて窓際のに目を向けた。
「どうした?そんなところに立っていないで、こっちへ座るといい」
トントンとそばのソファを軽く叩く。
3,4人は座れそうなソファなのに一人で中央に座るのも気が引けて、端へ腰かけると、ジョルジュはそれがおかしかったのか小さく笑った。
「相変わらずだな」
そう言って数枚の書類をさっさと抜き出すと、何か書き出す彼を、じっと見つめる。
久しぶりに会ったということもあり、つい視線を向けてしまうのだ。
「悪い、もう少しだけ待ってくれ。人が来る」
「はい。あの・・・出ていましょうか?」
答えると、彼は相変わらずこちらを見ることもなく、手も止めずに呟いた。
「駄目だ」
・・・ダメ、とは。
「ここに居ていい」ならば分かるが、出ては駄目だと言う。
しかしこれ以上話しかけるのも書きものの邪魔になるかと、は口を噤んだ。
すぐに少し早いテンポで扉が叩かれ、こちらも久しぶりに見る顔が覗いた。
「ジョルジュ、来たぞ」
「ああ、悪いなアストリア」
アストリアはに対して「久しいな」とだけ声をかけた。わざわざソファの端に座っていることは訝しんだものの、それには触れない。
先程ジョルジュがさらさらと書いていた紙を数枚渡されると、彼はちらりと机上に目を向けて「そっちも全て寄越せ」と手を出した。
肩を竦めてしょうがないなと笑ったものの、ジョルジュはそれを纏めて手渡す。
「素直じゃないか」
笑いながら受け取って、アストリアは再びに目を向けた。
「こんな時でも無ければ、こいつは休まないようだ。ゆっくり付き合ってやってくれ」
「は、はい・・・」
それがあまりにも柔らかい表情で、柔らかい願いとして告げられたので。
こんな方だったかしら。
は思わずまじまじと彼の顔を見上げ、それから慌てて頷いた。
そんな彼女に苦笑を返し、アストリアは書類の束を抱えてすぐに出て行ってしまった。



「さて」
親友の出て行った扉を閉めさり気なく鍵をかけて、ジョルジュはようやくを正面から見つめた。
「待たせたな。・・・あまり見つめられるから、穴が開くかと思ったが」
明らかに愉しんでいるトーンで告げられた言葉に、自分の視線を思い返して、慌てて目を逸らしたが、もう遅い。
くっと小さな笑い声が耳元で零れて、それから視界に美しい金色が飛び込んでくる。
「見るなと言っているわけじゃない。久しぶりなんだ、気が済むまで見ればいい」
まるで軽い軽い挨拶でしかないとでも言いたげな態度で、彼はを引き寄せた。
「お久しぶりです。その・・・もう大丈夫ですから・・・本当に、失礼しました・・・」
「ああ・・・そういえば。何度か訪ねてきたらしいな」
「いいえ、大丈夫です。マルス様も、自由騎士団の活躍には助けられているとおっしゃっています。こちらこそ、事前に連絡もなくお忙しいところにお伺いしてしまって」
軽くとはいえ抱き締められたままで、まったく落ち着かない。
ドキドキと体中を駆け巡る音は、自分の心音らしいと気付いて、ついでに高まる体温に居たたまれなくなる。とりあえず離してもらおうと身を捩ると、ジョルジュはその腕に少し力を込めた。
「そんなにオレに会いたがっていたとはな」
「えっ・・・」
照れ隠しに「そういうわけではない」と言おうにも、そういうわけ以外にどういうわけなんだ、という自問に答えられずに、は黙って俯いた。彼女は確かにジョルジュに会いに来ていたのだから、言い訳のしようが無い。
その様子に満足したのか、彼は驚くほど自然にの身体を解放して、それから背凭れに身を沈めた。
「城下町の方は回ってみたか?お前が良ければ案内ぐらいはするが」
祖国の傷は深いが、それでも人の多く集まる首都パレスの復興速度は目を見張るものがある。
広い街だから、方向音痴の一人では見て回り辛いだろうと考えて申し出たのだが、彼女は懸命に首を横に振った。
「そんなこと・・・お疲れなんでしょう、せっかく休めるのですからゆっくりなさってください」
そしてさらに言い募る。
「そんなに久々のお休みなのでしたら、私のことはお気になさらず。良ければ、私はまた出直しますから」
ふむ、とジョルジュは少し考える仕草を見せて、視線だけを隣に座るに向けた。
彼女は真っ直ぐな労わりの気持ちだけを100%こころに詰めて、本当に、心の底から自分のことを心配してその言葉を発しているのだ。それは分かっているのだけれど。
「・・・わざと言っているのか?」
「え?」
距離を縮めると、は再び身を固くした。
「オレに、そばに居てくれと言わせたいのか?」
「そんなつもりでは・・・」
握り締められた彼女の手を取って自分の方へ引き寄せて、ジョルジュは笑う。
「だったら、ここに居ますと言えばいい。お前が休めと言うなら休む。まあオレは、周りが言うほど無理はしていないがな」
「・・・はい、あの、でしたら・・・」
は顔を上げて、その距離の近さに頬を紅潮させながら、囁くように唇を動かした。
「・・・ここに居ますから」
すぐ傍で聞く彼女の心地よい声に微笑んで、その声を紡ぎ出した唇に口づけを落として。
やはりかあっと視線を逸らしてしまったの髪に、ジョルジュは満足げに指を絡めた。
「それでいい」


ふわりと、金色が視界を横切ったと思った次の瞬間にはもう、彼はの膝に頭を乗せていた。
「じゃあ、お言葉に甘えて休ませてもらうか」
「・・・っ!」
仮眠にも使うと聞くだけあって、彼が横になってもまだソファのスペースに余裕はある。が、は身じろぎひとつ、出来なくなった。恐らくは、緊張しすぎて。
「少ししたら起こしてくれ。ただ眠るだけでは勿体ないからな」
「は、はいっ」
言うが早いかすっと眠りに落ちるその要領の良さはさすが軍人だと思う。
も眠れる時には眠る、という癖がついているが、彼は輪をかけて早い。

ようやく手の届く距離に。
無防備なその金の髪を、そっとそっと、一度撫でた。
さらさらとした手触りに、思わずもう一度撫でる。
ジョルジュは目を覚まさなくて、けれど規則正しい寝息が微かに聞こえて、はその端正な寝顔に向けて、しあわせな微笑みを零して彼の手を握りしめた。