衝 動
以前にもこんなことがあったな、とはぼんやりと思い返した。
気だけは急いているが、あいにく足にかなりの怪我を負ってしまったせいで、今はおとなしくしているしかない。
利き腕の傷に薬を塗り込み包帯を巻き終えた金髪の弓騎士は、ふう、と一つため息をつき、少し離れた主戦場を見やった。
「戦えないほどではないな」
腕を一度曲げ、再び伸ばしてみてから弓を手に取った彼に、は慌てた。
「ジョルジュ殿!」
「ん?」
「その傷では・・・」
「待っていろ。誰か癒し手がいたら、声をかけておく」
自分は今、あの戦場に戻ることが出来ない。マルス王子から直々に「下がっていてくれ」と言われたほどの傷であり、応急処置こそしたものの、癒しの魔道を受けなくては歩くことも儘ならない。
だが、だからと言って目の前の彼に無理をさせたくは無かった。
――まだ手が届く内に。
一瞬の間を置いて、の伸ばした指先が、ジョルジュの手首を掴む。
「・・・」
俯いたまま。どうしたらいいか悩んでいるけれど、それでもとりあえず引き留めてしまったに違いない彼女を、彼は厳しい瞳で見下ろした。
そして、諭すようにゆっくりと、口を開く。
「お前が守るべきなのは、誰だ」
は手を離さなかった。
「マルス様です」
小さく、けれどきっぱりと答えて、顔を上げる。
目を逸らしてはいられない。真っ直ぐに、答えなければ。
「ならば、戦場を見ろ」
ジョルジュの言葉はもっともだ。癒し手がすべて出払っているほどの激戦の中、2人のスナイパーを前線から失うことがどれほどの影響となるのか。それぐらい、にもよく分かる。
「お前は優秀な弓兵だ。常に一歩下がって全体を見るんだ。」
「・・・わかって、います・・・」
わかっているのだ。目の前の彼がいつも実践しているのを、間近で見てきたのだから。
だったらその手を離すんだな、とジョルジュは思いのほか柔らかく告げた。
けれどの指先には、ぎゅっと力が込められた。
「私には、わかりません・・・。あなたが、どうして私を助けたのか」
動けなくなったをかばって利き腕に怪我を負ったというのに、この人は何故、その腕でまた戦場へ戻ろうとするのか。それなのに黙って送り出せと言うのだろうか。それは彼女にとって、あまりに酷なことだ。
ジョルジュは小さく息を吐いた。
「分からなくても構わない。オレが戻らなければ、可愛い弟子やその弟にも負担がかかる。・・・離してくれ」
無理やり振りほどくことはしなかったけれど、彼女の手を離させるには十分な言葉だ。
きり、と唇を噛んで、やはりは力を緩めた。
「すみませんでした・・・」
どうしたら良いのだろう。主を守ることも、周囲の皆を守ることも、すべてを叶えたいのに、自分はあまりにも無力で。
守られて、あまつさえその相手に無理をさせることになるなんて。
もうジョルジュの顔を見る気にはなれなかった。どんな表情で送り出せば良いのか、わからない。
俯いて顔を上げない彼女に、罪悪感が湧かないわけではない。
その葛藤が理解できないわけでもない。
彼女がマルス王子の騎士である以上、自分は今、前線に戻るという選択肢しか無いのだと、ジョルジュはその冷静な目で戦場を見ていた。
彼女の代わりに、王子とそのすべての絆を守らなければならない。
「心配するな」
は顔を上げないだろうと思ったが、それでも声をかけた。
「お前はわからないと言うが、そうじゃない」
彼が彼女を助けた理由。
どんな打算があって、利き腕を負傷してまで何度も彼女を庇うのか。
「オレは、わざとお前にわかりやすいように答えを見せている。・・・お前が認めないだけだ」
視界の端で、がその両手を握りしめたのが分かった。
「お前は、誰を守る」
やはり彼女を放って行くことは出来ず、ジョルジュはもう一度尋ねた。
はぱっと顔を上げた。その表情は厳しくて、けれど泣きそうにも見えた。
こういう時ですら正面から真っ直ぐに相手と対峙する、その気概に感心する。
「マルス様と、マルス様の望む全ての仲間の命です」
一歩も引くことをしないその強い瞳に、ふっと微笑んで。
「それが分かっているなら構わない」
ジョルジュは背を向けた。
はもうジョルジュを引き留めはしなかったが、ただ一連のやり取りを思い返して再び視線を地面に落した。
答えを見せている。彼はそう言ったけれど。
(わからない・・・)
彼がゴードンに説得されてアリティア軍に助力するまでの「打算」は、なんとなくとはいえ想像がついた。認めはしなかったけれど、計算ずくであったのは間違いないことだろう。
けれど、自身に関わる彼の「打算」に関しては、本当にまったく、わからない。
一つだけ、思いつく可能性は――。
はそっと息をついた。遠くから聞こえる戦いの怒号が、夢のように霞んでいく気がした。
(打算など、何も無いとしたら)
自分だって、目の前で仲間が殺されかけていれば、思わず庇ってしまうと、そう思う。
外から見るよりもずっと、ジョルジュは自分の衝動を無理に押さえこんで生きているのではないだろうか。
冷静に見せているけれど、やはりと同じように、身体が動いてしまうのではないだろうか。
(・・・だから余計に、一族の打算を嫌っている・・・?)
いざという時、計算どおりに動ける人だとすれば、あれほどに嫌悪を抱かないのでは。
そんな可能性に辿り着いて、瞳を閉じた。
あくまで想像にすぎない。勝手に彼の内面を推し量るなど、失礼だとも思う。
それでも、あの時「オレの根底には冷たい打算がある」と言ったジョルジュを、否定したくなった。
根底にある熱い衝動を、冷たい打算でひた隠しているのではないかと、そう思えた。
彼女の脳裏で、美しい金髪の弓騎士が軽く笑った。
「オレの何を知っているつもりだ?」と。
本当に彼に言われそうな気がして、はぱちりと目を開けた。
霞んだ世界と音が戻ってくる。
遠くに見える戦場で、風が荒れ、金属音や馬の嘶きが激しく渦を巻いていた。