d e c i s i o n
参ったわね、と呟いた声に、返事は無い。
少し本隊から離れてしまったものだから、早めに戻ろうとは思っていたのだが、運悪く敵と遭遇してしまった為に本隊を振り返ることなく戦って。
気がついた時には、自分がどこにいるのかわからなくなっていた。
「近衛騎士がマルス様から離れてどうするのよ・・・」
十分わかっているのだが、どうしてもが前線に赴くことになってしまうのは、数で不利なアリティア軍の勝利の為にはしょうがないことだ。
自分に「出来ないこと」というのは数多くあるが、その中でも最大の問題点は、この方向感覚。
どちらから来たのか分からない。どちらへ進めば良いのか分からない。
耳を澄ませばまだ、戦いの音は聞こえてくる。けれど、そちらの方向には壁がある。
適当に音の方へ進めば戻れるかと思ったが、いる場所こそ分からないものの、ここが行き止まりであることだけはにもよく分かった。
引き返すしかない。くるりと踵を返し一歩踏み出したところで、もう一度立ち止まる。
(足音・・・!)
しかし元来た道以外に、進む道は無い。
ちらりと横目で確認すればすぐそばに窓はある。
(いざとなれば窓から、ということになるのかしら)
自分の感覚が正しければ、現在の高さは3階。
の小さな自宅と違い、砦の一層一層は天井が高く、飛び降りられないことは無いが、出来れば遠慮したい。
そんなことを考えているうちに、敵兵は現れた。
いたぞ、こっちだ、と叫び声に囲まれて、彼女はすぐに飛び降りなかったことを後悔した。
(弓・・・しか持ってないわね・・・)
弓使いであるから、僅かでも動きを鋭くするためにも、最近は他の武器は持ち歩いていない。
敵は剣や斧を持っているから、誰か一人でも撃破すればその武器を奪えるかもしれないが。
室内でしかも敵が多人数。距離の近さで、弓は威力を出せないだろう。
圧倒的不利な状況に軽く眉を顰め、それでも素早く矢をつがえると、斬りかかってきた一人をかわしながら後方を撃つ。
狙いは正しく敵を射抜いたが、目の前の敵にダメージが皆無というのはやはり辛い。
このまま一人ずつ撃破?さすがの彼女にも、それが果てしなく難しいということは分かる。
(難しくても、やるしかないわ)
こんなところで、倒れるわけにはいかない。主の願いを叶える為に。
はもう一度、敵の攻撃をかわした。左腕を刃が撫でて、じわりと痛みが走る。
気になるほどの痛みでは無いが、それでもこれを繰り返していけばいずれ体力が先に尽きるのはこちらだろう。
参ったわね、ともう一度呟いた、の目の前の男が、ふいに視界から消えた。
「何・・・?」
倒れたのだと、すぐに気付く。
そしてその背に矢が刺さっていることにも。
さらに数本の矢が立て続けに飛んできて、の周囲の敵兵を正確に射止める。
「、大丈夫!?」
「ゴードン殿?」
相手を確認して、すぐさまも弓を構え直した。
自分の周囲を撃てないかわりに、通路の向こう側から走ってくるゴードンの周囲の敵を撃つ。
「ゴードン殿!こちらは、行き止まりです!」
叫んだが、彼は立ち止まらない。
全速力で走ってくると、ふわっとを抱きしめて。
「うん、行くよ?」
それだけ告げて、返事も聞かずに。
窓から身を投げた。
肩越しに、刺すように眩しい陽の光が見えて、それがくるりと反転した。
「あはは、けっこう痛いね・・・」
「だ・・・大丈夫ですか!?」
「うん、ぼくは平気だよ。は・・・怪我してるね」
左腕から血を流しているのに気付いて、ゴードンは表情を曇らせた。
は慌てて右手で怪我を覆い隠す。彼の暗い顔は見たくない。
「大丈夫ですよ、これぐらい、訓練の時と変わりません」
ちらりと上を見上げたが、窓から出てくる敵兵などはさすがにいないらしい。
一応周囲から見えない程度の位置には隠れているし、とりあえず大丈夫だろう。
「それより、3階から飛び降りるなんて・・・ゴードン殿のほうが、大丈夫ですか?」
「飛び降りる」のみならず、を抱えていたのだから、重みでどこか折れていたりしないだろうかとゴードンを見つめると、彼は「え?」と不思議そうに首を傾げ、それから苦笑した。
「、もしかしなくてもやっぱり、迷子だったんだ?」
その言葉に、も一緒になって首を傾げた。
迷子だったことは否定しないが、何故今その台詞?
そんな彼女に、ゴードンは笑って開いたままの窓を指差した。
「下から数えてみる?今飛び降りたのは、5階だよ」
「えっ!?」
5階から。を抱えて。
弓兵だって軽装とはいえ鎧も着ているし、武器だって荷物だって持っている。
「ゴードン殿・・・!」
「うん?」
「無茶をなさらないでくださいっ!」
運良くどこにも異常は無さそうだが、一歩間違えば大怪我をした可能性だってあっただろう。
まさかこの穏やかな先輩が、平気な顔で無茶なことをするとは思わなかった。
やはりどんなに穏やかに見えても、芯は「戦う者」なのだ。
ゴードンは困ったように、けれど優しい笑顔を見せた。
「ごめん。失敗したら、が危険だったね」
「私ではなくて・・・!」
そこではようやく思い出した。彼は、自分を助けに来てくれたのだということ。
そもそも自分が一人で迷子になっていなければ、彼が飛び降りることも無かった。
「す、すみません。助けていただいたのに、こんなこと」
「ううん、の言うことは正しいと思うよ」
「いえ、責められるべきは私です。本当に、ありがとうございました」
深々と頭を下げた彼女に、ゴードンは「どういたしまして」とやはり丁寧に頭を下げて、それじゃ行こうか、と立ち上がった。
「さ、マルス様のところへ戻ろう。きっと心配されているから」
「はいっ」
敵兵の気配は無い。二人はゴードンの道案内で、急ぎ本陣を目指して走っていく。
「あ、それから」
「はい?」
「迷子になったことは、ジェイガン様には内緒だよ?」
振り返って、唇に一本指を立てるその仕草はやはり少し幼くて。
はくすっと笑うと、しっかりと頷いた。