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工芸菓子(飾り菓子)

飾り菓子の歴史は、江戸時代(元禄の頃)、京都の「干菓子細工」に始まり、元治・慶応の頃、諸大名の献上菓子の需要の増大に伴い、細工菓子が多用されたことから生成発達してきた和菓子の類の中でも特殊子のジャンルでした。

その頃は、美しい文様の彩色打ち菓子に金平糖や 有平細工などを盛り合わせた単純なもので、一つのテーマのもと、平板等に盛って「飾る」ことから、「飾り菓子」と呼ばれるようになりました。

今日に至る飾り菓子の歴史にひとつのエポックを築いたのは、明治の初め、アメリカから純白の棒砂糖が輸入されてからのこと。
その純白の砂糖と米の粉を混ぜ合わせてつくる生砂糖生地(雲平生地)が考案されたことで、花鳥風月、 行事、祭事等々をモチーフに、技術的にも色彩的にも優れた、芸術性豊かな鑑賞用の特殊な菓子が発達していったのです。

この特殊和菓子を「工芸菓子」と一般的に呼ぶようになったのは戦後のことのようです。

さて、飾り菓子が世に知られるようになったのは、明治23年、東京で開催された「第3回・国内勧業博覧会(全国菓子大博覧会の前身)」に出品された「牡丹の寵盛」からでした。
また、同33年にはフランスのパリで開催された「第2回・万国博覧会」へ出品したことで、卓越した芸術的技法による工芸菓子(和菓子)の造形美は、世界的な評価を得るようになったのです。

その後「工芸菓子」は、全国各地で開催された菓子博覧会に、飾り菓子らしい高雅な気品の高い作品が創作され、それらの技術が名匠たちによって和菓子業界全体へと広げられ今日に至りました。

「工芸菓子」は現在、我が国の和菓子技術では最高峰の地位となり4年に一度開催される「全国菓子大博覧会」最大のメインとなっています。







花の画像はすべてお菓子です。
制作 大野屋
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