岡山藩主、池田光政の命により作られた手習い所(学校)。 1670年に作られ庶民にまで開放した学校としては、日本最古であり、世界最古とも言われている。 日本で一番古い庶民の学校
1670年開校
閑谷学校(しずたにがっこう) 岡山県備前市閑谷
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世界最古の庶民の学校とも言われている
士農工商の身分制度が厳しかった江戸時代中期において、武士だけでなく 農民など庶民をはじめ、他藩の者に対しても門戸を開いた当時としては 先進的な教育機関だった。
*士農工商:士と農と工と商。江戸時代の 封建社会の階級観念に従って、上位から順に並べたもの。
春がすみのある日、この門をくぐるとそこには、俗世間を離れた別天地が広がる・・・ と言っても疑う人は少ないのでは? それほどある種の雰囲気を持ったこの門は、 閑谷学校の校門である。
二段重ねの屋根にある二対の「しゃちほこ」は、備前焼。門を開閉する時、鶴の 鳴き声に似た音がするので、鶴鳴門とも呼ばれる。
建物の瓦は備前焼製である。 現在の瓦は昭和34年から37年に ふき替えられたものであるが、備前焼瓦は1700年ころから焼き始められたと 言われている。閑谷学校では、10万枚の備前焼瓦が使われている。
破損した元禄時代の古備前の瓦は、密かに愛好家の間で高値で取引された為、 元禄瓦が無断で持ち出されるのを防ぐ為、古い瓦は学校内のある場所に埋められて しまったそうだ。
しかし場所を覚えて入る人はいるのだろうか? (^.^)
中国原産の珍木「楷(かい)の木」。閑谷の秋を彩る紅葉は最高にきれい。
楷の木:ウルシ科の落葉高木。中国原産。大きな羽状複葉をつける。中国、曲阜の孔子廟の植樹と伝え る。とねりこばはぜのき。楷樹
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閑谷学校講堂は、1701年(元禄14年)に完成した。入母屋造(いりもやずくり)で 備前焼の瓦が美しい。
国宝に指定されており、閑谷学校の建築物の中でもっとも 重要な建物である。
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講堂の周囲は回廊をめぐらし、木部は全て拭漆(ふきうるし)で仕上げられており、 床板は顔が写るほど磨きあげられている。この講堂で学生たちは、 藩学である朱子学を学んだ。庶民の子弟は、1年で読み書きを学び村に帰った後、 農業のかたわら村人に習った読み書きを教えた。
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講堂内部正面。
池田綱政が書いた三ヶ条の「定」が墨書されている。
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講堂の隣には、飲室があり、生徒が休憩中にお茶を飲んだところである。 中央には1m四方の花崗岩をくりぬいた炉(ろ)がきってある。
広い講堂での中で、火の気があったのはここだけである。冬はさぞ寒かったと想像される。
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講堂に続く建物で、飲室へ続く玄関。
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1686年に完成した、創学者である池田光政を祭る、閑谷神社入り口。 学校校門をくぐり、中庭を挟んでほぼ正面にある。
池田家の「あげは蝶」の紋が付いている瓦をまじかに見ることができる。
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中庭の石塀わきにある井戸。
水は、まだ枯れていなかった。
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1701年(元禄14年)に出来上がった全長755メートルにおよぶ堂々たる 唐様の石塀である。 ちょうどカマボコ型をしていて日本では珍しい工法である。 中国の影響を受けて作られたといわれている。
さまざまな形の大小の石がきっちりと組み上げられている。 いちどでも崩れると 再び積み上げることは、不可能である。
この石塀は、軍事目的で作られたのではないか、という説もある。
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閑谷学校の校門をくぐると正面には、閑谷神社が見える。閑谷神社の軒丸瓦には、 池田家の定紋「泊まり蝶」がデザインされている。 あげ羽蝶とは、これまたおしゃれである。
備前焼で瓦を焼く事は、コスト高となる上、焼き物の性質上あまり向いていない。 なぜ、瓦には不適当な備前焼きを使ったのか? 理由は不明であるが、 儒学の殿堂としての威厳と風格をかもし出している事は確かである。
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撮影後記 1999 Nov.閑谷学校を訪れたのは、楷の木の紅葉がきれいな11月中旬だった。 場所は、山陽自動車道の備前ICと和気ICの中間である。 備前ICからだと 国道2号線に下りて西に4キロほどのところにある木谷の交差点を北へ更に 4キロほど。
山の中である。観光バス、自家用車の列であったが、広い駐車場があり 無料なのがうれしい。若い人から高齢者まで幅広い層の見学者が訪れていた。 日ごろの喧騒を離れて、ぜひ桜の咲く季節にもう一度訪れて見たいものだ。 きっと感動すると思う。
問い合わせ先:岡山県備前市閑谷784 特別史跡閑谷学校顕彰保存会
TEL., 0869-67-1436 開門9時 閉門17時
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