2002/07/03 ワールドカップをめぐる感覚の違い

 

ワールドカップ、終わってもうた。論議が湧くのを横目で見つつ、ひとつ「なるほど」と思ったことが。

フットボールのレベルとしては物足りない部分は確かにあった。ただ、別の側面で、色々と思うことがあったのも事実で。

どこかで、こんな文を目にしたんす。

『韓国人は韓国が好き、日本人はワールドカップが好き』

韓国と日本との温度差というか、感覚の違いを捉えるとき、「ふむふむ」と妙に頷けてしまった。

ワールドカップ全体としてのシナリオよか、国の威信。象徴的なのは韓国vsポルトガル戦で、他会場の経過、ポルトガルの退場者を考え、ポルトガルがFWを下げれば「引き分けましょう」の合図、実際、韓国は引き分けでも1位通過なわけで。

ところが、韓国はパク・チソンくんのスーペル・ゴールで、予定調和を破壊、ポルトガルはおさらば。そのときに、「おいおい、場の雰囲気を考えろ」と思いつつ、ふと考えたのは、アジアの大会でアジアなりの流儀でやっただけの話で、あの応援の中で、FWを下げてみたポルトガルがマヌケだったなと。

別に自分のフットボールを見る目が肥えているとも思わんが、どこかで「ワールドカップかくあるべき」をイメージしていて、それとのズレを感じていたな、と反省。本当は、きな臭いヨーロッパ式の慣れ合いを吹っ飛ばして、痛快なハズ。

色々な要素が絡んで、おかしなイメージが韓国に定着してるものの、考えようによっては、勝った相手がポルトガル、イタリア、スペインだったからいかんのか、と。同じベスト4でもパラグアイやトルコに勝ってなら誤審があっても反発は小さかったのでは?恐らく、ワールドドカップも「国を背負ったフットボールの激突」にはなり得ないな。というか、それを露骨に望んだのが韓国人であったわけで、彼らは「ショウ」としての要素など望んでいなかった。韓国戦以外のチケットが売れるはずもなく。

日本人は…?

日本戦以外のスタジアムも埋まる=チケットをお金を出して買う人が多い=「ショウ」の要素が受け入れられている。

そう考えると、開催国として、適しているか否かについても、考えてしまうのですねー。これは個々の国の良し悪しの問題ではなく、「競技」としてのフットボールと、「ビジネス」としてのそれとのバランスの問題なのだが。国と国の戦争(by. ラモス)とは言うものの、23人ずつ集まって、無人島で試合するかと言えば、そんなもんじゃない。

本来的には、チーム同士の戦い、しかし現実として、もはやビジネスの器に乗らずには、戦えない。アジアの虎の背中は、ちょっと収まりが悪かった。

日本は…。前回が初出場、下手すれば出られないかもしれん状況で、開催が決まった。本当は時期尚早だったかも。ただし、今回このタイミングで開催できんと、Jリーグがヤバかったのかも。「J」が一本立ちするか否かは、実は重要。それも、世界的なビジネスベースの話になってしまうけど。

本当は、今回のワールドカップを機に、「J」に接する人々が増えなければ、日本にフットボールは根付かず、ただ4年に1回のオリンピックと同じ周期で盛り上がるだけになる可能性が高い。「日本人はワールドカップ好き」にはその面で納得。

なんだか、いつぞやの千葉すずの逆ギレ発言(「メダル、メダル、とやかましい。選手はオリンピック以外の時から頑張ってる。そこを知らずに何をや言わん。」みたいな感じ。個人的には大拍手。)を思い出す。

前に、「浦和レッズとは言わんが、自分の応援できるクラブを身近に…」と言ったのは、まさにこの事。

ボクの個人的な願いは、日本に日本なりのフットボール文化(ヨーロッパ・南米のサルマネでなく)が根付くことであって、ミーハーだろうが、決勝を観たと思しき、ブラジル代表ユニ姿のおばさんが、電車の中でブラジル対ドイツの話をしていたときはちょっと嬉しかった。そして、飽きないでいてくれ、Jの試合も見てね、と祈るのでした。偏屈なサッカー通だけいたって、ダメでしょ。

最低限、今回のワールドカップで、色んな文化が垣間見えたことに、もっと多くの人々に気付いて欲しかった。2010年には、ワールドカップはアフリカ開催になるのかな。実績から行けば、アジアに先んじてもおかしくなかったわけだし。

アフリカ…。

ビジネスの「器」として考えると、今回以上に波紋を呼ぶな、こりゃ。誤審の件を一緒に考えると見えにくいものの、フットボールがヨーロッパ・南米だけ、からグローバル化していることを考えると、他の文化的なズレ・違和感は、ちょうど良いくらいだったのかもしれん。