鋼の錬金術師 雑感
〜 きっかけ 〜
 時折、何かにのめり込む見たくなる。で、そんな時、ビデオ屋さんへ行った時、あまり、借りられている様子がなくて、まぁ、一通り揃ってるようなやつ(勿 論、アニメです)を、問題ない(財布にも、見る方にも)量を借りて、観る。内容に関しては、そんなに無節操でもないつもり。
 「鋼の錬金術師」は、いわゆるファンサイトも、結構あるっていうのは、知ってた。ファンサイトがあるってことは、そこそこの大人の鑑賞に堪えうるものだろう、という妙な判断基準がある。
 とりあえず、最初の2巻を借りてみた。で、はまった。

〜 背 景 〜
 全くの私事だけれど、夫はchemistである。
 錬金術師のことは、alchemistというらしい。勿論、親戚言葉であり、当然、錬金術の方が、古い言葉。
 化学(Chemistry)は、錬金術(Alchemy)を母体として生まれた学問である(因みに、接頭語「al」は、アラビア経由の言葉を表しているらしい。
 土くれから、金を作りたいと願ったために、錬金術と呼ばれているが、その中には、不老不死の薬というものも含まれている。
 今、Wikipediaで調べたら、結構、色々載っていて、当然、「鋼の錬金術師」についても、記述があった(笑)。う〜ん、ここでは詳述しませんが、はまった理由の、「世界観の緻密さ」というものに、感心してしまった。
 土くれ→金、不老不死の妙薬の他に、霊魂を完璧に(神との融合)に代表されるような、存在するもの全てを完全なものに変化・精錬させるモノを指すんだそうな。
 神の御業というやつを、人の手で再現するという辺り、なんだか、今日の科学の大本になるものを内蔵している気がするのは、私だけ?
 錬金術自体は、エジプト文明あたりに端を発しており、あまねく存し、中国あたりでも、勿論、似たようなことが行われている。これらが、いつしか、「化 学」という言葉で表され、現在に至っている辺り、人間が、本質的にこれらを希求する性質を持っていると言っても、過言でないだろう?地域も、時代も凌駕し て、存在するのだから。
 
 ところで、Wikipediaを調べたのは、魔女狩りとの関係を調べたかったから。
 アニメーションの中でも、この史実について、語られるシーンが(一瞬だけど)ある。
 錬金術は、現在の化学の基礎だが、彼らは、それと知らず、多くの毒性の高い物質を生成している。当然、それらは、原因不明の死を周囲にもたらしているだ ろう(少なくとも、関わった人間には)と、推測される。それに加えて、霊魂を神と融合させたり、老いることなく、死ぬことなく…となれば、当然、魔女狩り の対象となるだろうというのが、私の推測。
 この点についての明言はないが、一説によればという条件付きで、卑金属から金を生成することを掲げることで、錬金術師達は、富裕なる者、権力者から、保護を受けられたらしいとする。
 …この点についても、どんなに、宗教が戒律を説こうと、人間の本質は、変わらないことを示している気がする(笑)。 
 そうか、そうやって、錬金術は生き残ったのか。このことによっても、魔女裁判が、いかに、人々の狂気の上に成り立った、差別による大量虐殺か推し量ることが出来る。
 
 キリスト教が持つ、「一神教」という強い排他性と、「隣人への愛」という包容性。この矛盾した性質は、勿論、キリストが説いた包容性を、政治的に利用し たために、排他性が、強くなったからに他ならない。いや、帰依さえすれば、同胞として、庇護・救済されるとしたのが、もともとか。いずれにせよ、そこに は、自分と異なるものを受容しにくいという、やはり、人間が本来持っている、気質が存する。
 けれど、これは、別にキリスト教に限ったことでなく、異なる神を慕うもの同士は、なかなか、互いを受容しにくい。それは、恐らく、全ての宗教が、人の全ての行動規範となるからだ(だから、異教徒同士の結婚というのは、すごいなと思ったりする)。
 ところで、行動規範という点において、それが最もよくわかるのが、バチカンでの科学者論議だろう。詳しくは知らないが、バチカンは、最先端の科学者を呼んでは、その研究内容について論議させるという。恐らく、世界最先端の科学を内包するのが、バチカンであろうという話。
 「神の領域」を越えさせない、その為に存するともいわれている。「倫理」と日本語で言い表される、それを、科学者に通達する場所であるのかも知れない。
 それは、「人」は「神」を越えてはいけない、という言葉を借りて、自然摂理を曲げてゆく人間への警告なのだろうけれど。
 このことは、人間の弱さを端的に表していないか?
 「神」という存在を借りなければ、際限のない己の「欲」を抑えることが出来ない。我々は、この小さな星の上に、間借りしている、生物のひとつでしかないということを、すぐに忘れてしまう。
 或いは、宗教とは、無意識のうちに、それらを忘れないようにする、戒めという重石なのかも知れない。 

 と、ここまで来て、いつになったら、「ハガレン」の話になるのだろうと、疑問に思われるだろう。 
 とりあえず、不確かなところはあったけれど、私が把握する「錬金術」というものとその背景について、書いてみた。これは勿論、現在の礎になった、私達の過去の歴史。
 錬金術は、いつしか、化学へと変貌してゆく。土くれから、金は出来ないし、霊魂を錬成し神と一体化するというのも、科学的には不可能となった。前者は不可能、後者は、気持ち次第といったところか。
 まぁ、老いぬ人はいないし、死なない人も、又いない。その自然の摂理は、曲げられない。星ですら死ぬのだから。
 さてここで、「鋼の錬金術師」(通称「ハガレン」)の背景は、錬金術が、錬金術として発達した世界。
 映画でこそ、はっきりと示されているけれど、機械技術があまり重要視されていない世界。一応、自動車とかあるんだけれど。

〜 ひと言で言えば 〜
 主人公が、天才的な少年で、というのは、よくある設定。
 欲求が倫理を越え「禁忌」を犯したところから、物語が始まる。
 ローティーンの兄弟の成長物語というのが、端的な表現なのだけれど、内包するものが、上述の事柄をベースにしており、小さな「個」が、大きな世界と繋がっている話。ということで、全13巻を見終わって、ひと言「お、重たかった〜」。でも、心地よい。
 原作は、まだ連載中らしく、後暫くは終わらないらしい。
 TVは、そうもいかず、途中から、独自路線に入ったとのこと。原作派の人には、それが気にくわない人もいるらしいし、最終回あたりに文句のある人も一杯いるらしいけれど、まぁ、それは、人それぞれということで。
 私なんかは、久しぶりに、見応えのあるもの観たなぁという感じ。
 見る人によったら、詰め込みすぎの感もあるのかも知れないけれど、登場人物それぞれに、表されるものがはっきりとしていて、ある意味わかりやすかった気がする。
 人の心に内在する、弱さと、まるでパンドラの箱の片隅に残っていたような勇気や希望を、各々が表現し、行動する。
 小学校低学年くらいでは、無理だろう。
 せめて、高学年から、中学生くらいにならないと。でなければ、所々退屈な、バトルものにしかならない。
 うちでは、10歳になったら、見せてやるからと言っている(笑)。


 ほんとは、ひとつひとつの話を思い出しながら、ひとまとまりの感想を書こうと思っていたのだけれど、ちょっと難しいかな。
 この冬、映画がDVDになるから、それを観てから、何か書いてみようか。
 はまったのが、丁度、映画の終わる頃。あぁあ、大きなスクリーンで観てみたかったな。

 因みに、お気に入りキャラは、殆ど、コナンと同様。
 軍部所属の、ロイ・マスタングと、リザ・ホークアイです。