夕 焼 け



 ふと、後ろを振り返った。
 それは、ほんとに偶然で、な〜んの意図もなく。
 ただ、単に、何気なく振り返ったのだけれど。
 その途端、私は目を見張った。
 とはいうものの、向かい風に、思わず目を細める。
 けれど、目に入ったそれは、いずれにせよ、胸の底から震えがわき上がるほどの美しさだった。

 暫く、そこに、ぼーっと立ちつくしていた私は、やがて、風景の明度が落ち、日が暮れたことを知る。
 ・・・可笑しい。
 まるで、空を燃やし尽くすような勢いの、夕暮れを見ていたはずなのに。
 日が暮れたのに、気付かぬわけがない。
 どこまでも、蒼さをたたえて抜けてゆく空に、金色に燃え上がる雲の欠片達。
 その中心で、今日最後の光りを放っていたあの星は、まるで溶鉱炉。
 横たわる山々に、姿を隠しても、残照は、今暫く、この地を照らすだろう。
 でも。
 さすがに、太陽が沈めば、夕暮れは急速に夜へと向かう。
 藍の色を深めた空を背景に、燃え残る雲は、今、深い赤へと色を変える。
 ・・・まるで、静まった炭のようだ。
 炎を出すことはないのに、見た目黒いのに、つつくと朱赤に輝いて。
 熾き火・・・と、言ったっけか。
 
 きれいだった、いいものを見た・・・と、私は、歩を進める。
 ほら、胸が、こんなに震えてる。
 息が苦しくなるくらい、よかった・・・って気持ちが溢れてる。
 だから、まだ、大丈夫。
 そう、言い聞かせるように、心の中で呟いて、日の暮れた道を、いつもより心持ち軽い足取りで、歩いていった。


 「一体、幾つ、趣味を持ってるの?」
 感心するというよりは、半ば呆れたように、周囲の人間が言う。
 そういう時は、「さぁねぇ〜」などと、笑っておしまい。
 興味のあるものは、確かに、限りがないかも知れない。
 というより、日常的に周囲にいる人間とは、いささか、内容がずれているのかも知れない。
 だから、物珍しがってくれるのだろう。
 でも、それが、単なるポーズであるということくらい、自覚している。
 いや、もっと切実か。
 生きながらえるための術。
 子供の頃の純粋な好奇心なんて、とっくの昔に、色褪せてしまっている。
 にもかかわらず、何らかのものに、興味を持って趣味と称しているのは、あの頃の生命力を維持したいからに他ならない。
 でなければ、この歪んだ心の奥底から涌いて出る、物質的な無への渇望が、ごく普通の、ありきたりの生命力を凌駕してしまいそうになる。 
 とても贅沢なことなのだ。
 何不自由なく生活し、ごく普通の日常を送っているにもかかわらず、この面倒くさがり屋は、時折、生きていることすら面倒くさくなってしまう。
 いつ頃から、こんな風になってしまったのか、よくわからないけれど、きっと、今までの人生で重ねてきた年月の間に、自分のいい加減さも、又、降り積もり、嫌気がさしてきたのかも知れない。
 恐らく、最初の頃は、本当に、衝動的に死を選んでいたかも知れない。
 尤も、いい加減な私のことだ。あまりに安直な理由で、今、思い出すと恥ずかしすぎるから、無理矢理、記憶の彼方に追いやってしまったのだろう。
 そういう時期を、繰り返すうち、身に付いたのが、多趣味という術。
 やり残しも、多くなった。
 やり遂げないうちは、未練があるだろうし。

 
 少し長めのため息が出る。
 こんなんで、もし、結婚して、子供ができたら、ちゃんと親ができるのかしら。
 ぼんやりと、そんなことを考えていると、おかしさがこみ上げてきた。
 って、まだ、相手もいないって。
 少し笑い飛ばしたら、落ち込みもほろりと飛んでって。
 見も知らぬ、思いも及ばぬ生活を心配したってなぁ。
 その頃には、私は、もう少し前向きになってるだろうか。
 ・・・相変わらずだろうか。
 まぁ、その時にならなければ、わからないのだろうけれど。
 せめて、前者でありたいと願いながらも、きっとあり得ないだろう、絶望的な自分の性格に、泣きたくなるのだった。
 
 こぼれた涙の理由を誰かに尋ねられたなら、きっと私は答えるだろう。
 「あんまり、夕焼けがきれいかったから・・・」と。