::: 快斗 ::: 「プラネタリウム?」 俺の目の前には、にこにこと脳天気な青子の笑顔。 「うん。」 「今度の土曜日?」 「そうだよ。・・・快斗、なんか用事ある?」 ほんの少しだけ、窺うような顔を見せるが、俺が「ある」なんて返事、すると思っていねぇんじゃねえの? 「別に、ねえよ。」 「じゃ、行こう。」 その笑顔に、お手上げ。でも、素直じゃないから、面倒臭そうに答える。 「いいぜ。何時からのに行く?」 ・・・本当は、次の予告の下見もちょっとしたかった。 「んっとね・・・。7時から。」 「そっか、じゃぁ・・・って、え?7時?」 そんな時間に、プラネタリウム? 「知らないの?快斗。土曜日は、最終放映の後に、大人向けっていうプログラムがあるんだよ。」 えっへんと、偉そうに話す青子に、ちょっとからかい心が起きる。 「けっ、じゃ、おめえは門前払いじゃん。」 「どうしてよぉ。」 案の定、ぷぅっと頬を膨らませ、ジト目な顔を俺の前に寄せてくる。 ・・・そういう、無防備なとこ・・・というのは、思っていても口にはせず、 「中身も、外も」 とだけ、答えるにとどめた。 「ひっどぉい、快斗ったら・・・」 とかなんとか言ってるのを、適当に流しながら、 「今度の土曜日な・・・・オッケー。」 とひらりと手を振った。 「ひどいこと言うから、快斗のおごりね。」 そう言って、くるりと背を向けた青子に、俺の手が止まる。 「・・・あのなぁ・・・。」 ・・・ま、いいっか。 プラネタリウムなんて・・・一体何年ぶりだろう。 窓の外は、まだまだ梅雨が明けきらない。 そう言えば、昨夜は、あの2人は、ちゃんとデートできたんだろうか? 珍しく、そんなことを考えた自分に、何となく可笑しくなってしまった。 「へ?半額・・・?」 窓口で、係員が、にこにこしている。 「はい、この4月から、高校生以下は、土曜日は、半額なんですよ。」 ・・・それって、週休2日になった影響・・・? ま、割り引いてくれるっていうのはなんでもいいや。後ろが混んでいることもあるし、さっさと切符を買うと、俺達はプラネタリウムのドームに入った。 足を踏み入れた途端、さっと緊張が走る。 ・・・何だ?一体・・・。 私服を着て、一般人の恰好をしているが、ドームの中には大量の警察官がいる。 ・・・何か、事件でもあったんだろうか。 厄介な時に来てしまったとほぞをかみながら、ふと青子を見ると、高い丸天井を見上げながら、嬉しそうにしている。その姿は、まるで、お上りさんだ。 「後がつっかえてるから・・・」とフレンチスリーブからのびる腕を掴むと、「あ、そだね。」とすたすたついてきた。 ・・・だから、そういうところがお子様なんだよ。・・・ったく、掴んでる俺の方が、青子の体温にドキドキしてしまう。 「N」と書かれた壁の前辺りに、一応、何かあったときのため、通路側に腰を下ろした。 やがて、照明が落ち、それにつれて、空調が少しひんやりとしたような錯覚に陥ると、心地よい音楽と、柔らかな解説員の声が聞こえてきた。 淡々とした声が流れる中、俺は感覚を研ぎ澄ます。警官は客席のみならず、出口という出口に、4人ずつ配置されている。 爆弾テロや、凶悪犯罪が絡んでいるというのなら、恐らく上映は中止になっているはずだ。 彼らは息を殺して、客席を見つめている。 何か・・・いや、誰かを捜しているのか? ・・・予告状はまだ出していないから、俺じゃぁねえよな。 そんなことを考えながら、俺の身体は、自然と青子に寄ってゆく。 言っておくが、妙な下心があってやってるんじゃねえぞ。何かあったときのためにだな・・・。 と、ふと、青子が俺の方へ身体を寄せてきた。 密閉された星空の下で、どくんと鼓動が鳴る。 穏やかな解説員の声は、オルフェウスとエウリディケの話をしていた。 まぁ、七夕は済んじまったからな。 ・・・けど、このアベックで一杯の時間に、その話をするか? そんなことを思いながらも、心臓の音がドームに響き渡りそうなほど、ドキドキいってる。 何も言わないし、寄せたまま身じろぎもしない青子に、ふと、眠ってるんだろうか?という考えが浮かんだ。 夜目が利くのは、怪盗の基本。 そっと、何げなさを装いながら、覗き込むと、潤んだ瞳が、レンズが作り出した満天の星達を映していた。 暗闇に浮かぶ憂い顔に、息が止まりそうになる。 ・・・見たこともない、そんな顔。 弾けるように笑ったり、真っ赤になって怒ったり、抱きしめたくなるくらい拗ねたり、寂しそうに笑ったり、実に青子は百面相だ。 その面を見てたら、大体何が言いたいかもわかっちまうくらい。 けど、その時の青子は、俺の知らない、普段からは考えられないような、顔をしていた。 今、何考えてる? ただ、オルフェウスとエウリディケの物語を悲しんでいるだけじゃないような気がして・・・。 やがて、物語は終焉を迎え、天の川は大きく西へ傾き、華やかだった空は、いつしか物寂しい秋の夜空へと移ろっていた。 降ってくる光の少なさは、俺達を暗闇の中に落とし込む。 すぐ隣に座っているのに、一瞬、相手を見失ってしまうような錯覚。 解説員は喋るのを止め、静かで心地よい音楽だけが流れている。 暗い中で、不意に、先ほどの物語が甦った。 本来なら許されるべきでないことを、何とか許しを得たのに、詰めが甘かった奴の話。 初めてその話を知ったときは、「バカな奴」としか思えなかった。 だって、そうだろ? もうょっとってとこだったのに・・・。 でも、その頃の俺は、ガキだったんだとわかる。 今こうやって、隣に座っていて、恐らく、ほんのもう少し寄れば身体が触れ合うに違いない距離にいても、静かに暗闇に抱きしめられると、青子の存在が不確かなものに思えてしまう。 あやふやにしか掴めない心ともども・・・。 ・・・俺達は、ただの幼馴染み? いつか、隣に違う誰かが座ってる? たとえば、俺がキッドだと知ったなら・・・。 相手が想ってくれていたとしても、そんな気持ちに終わりはないのだろうか。 切り裂かれてしまったオルフェウスに、痛みはあったのだろうか。 彼女を失うこと以上に、苦しいことなどあったのだろうか。 「快斗。」 ひらりと目の前に、振られる手。 「終わったよ。何ぼーっとしてんの?」 「え・・・あ、あぁ・・・。」 「どうしたの、本当に。あ、もしかして、居眠りしてたんじゃない?」 「ん・・・。」 ゆっくり立ち上がって、伸びをしながら、何気なく目をやると、どこかで見たことのあるカップル。 あの目つき・・・刑事だ。 そうか、確か、捜査1課の。 彼らは、周囲を見渡していたが、やがてため息をついて、顔を見合わせた。 その瞬間、苦笑いしてしまった。 「何、にやにやしてんの、全く。ほら、行こう?」 青子に促され、彼らの脇を通って、外へ出る。 明らかに仕事で来てたのだろうに、あいつ、しっかり、プラネタリウムの話を聞いてたんだ。 あの男の方・・・、彼女にぞっこんじゃん。 どこが・・・というわけじゃないけれど、目は口ほどにものを言う。 けれど、他人のことは言えない。 俺だって、気を抜きゃ、あんな感じになるのかも。 好きな女のことしか目に入らなくて、自分の心を真っ直ぐに注ぐことしかできなくて。 ・・・そうさ、結局、男って、そんなもんかもしれない。 全てが無に帰すかも知れなくても、バカみたいに他のことまで考えられなくて・・・。 そうだろう・・・?オルフェウス。 何事もなく建物の外に出て、空を見上げると、珍しく星がよく見えた。 台風が、大気の濁りを吹き飛ばしていったのだろうか。 風は湿っているけれど、心地よく涼しい。 「星・・・出てるね。」 空を仰ぐ青子の目は、どこか遠くをさまよってるようだった。 「珍しいな、こんなに見えるの。」 「うん・・・。」 そんなことを呟きながら、家路をたどる足が、いつもより重い。 まるで、あの静かな物語に煽られたかのように、青子を包み込んでしまいたい自分がいる。今ここで、しっかりと腕の中に抱きしめて、何があっても手放したくない、と。 数歩先を、ポシェットをゆらりと揺らしながら青子が歩いている。 ひょいと、手を伸ばせば、いつでも触れることのできる距離。 どこのどいつにだって、この場所は譲れない。 今の俺って、ポーカーフェイスができてるんだろうか・・・そんなことを考えていると、不意に青子が振り向いた。 鼓動が跳ねて、一瞬冷や汗が出るのは、もしかして、さっきのあれのせいか? けれど、俺のそんな思惑も気付かず、青子は、すっと視線を流した。 「辛かっただろうね・・・。」 「へ?」 唐突すぎて、一瞬話が見えなかった。 「・・・オルフェウス?」 すると、青子は首を横に振った。 ・・・エウリディケ? 「大切な人が苦しんでいるのをじっと見ながら、何も言えない、何もしてあげられないの・・・辛かっただろうね、エウリディケは。ただ、黙って後ろからついていくしかできなくて。」 一つ一つ確かめるように、言葉を紡ぎ出す青子。 「しかも、自分のために苦しんでる彼が、一番嬉しい瞬間に、一番どん底に落とされるわけでしょ?」 「地上にたどり着いたって、瞬間か?」 「うん・・・。」 そう言って、俯くと、青子は、ぽつりと呟いた。 「我が身を呪いたくなるほど、悲しかったろうね。」 一体、どれくらいそうしてたのだろう。 多分、時間にすれば、2,3度まばたきする間ほどだったかもしれない。 暮れたばかりの夜道で、俺達は、お互いをじっと見つめていた。 何も考えられなかった。 ただ、俺の知らない、大人の女の顔を見せた青子に、心が奪われて。 「わりぃ、俺、殆ど寝てて、あんまし、ちゃんと聞いてないんだ。」 そんな嘘が零れ出たのは、俺にしてはあまりに不出来な照れ隠しだった。 それがわかってるから、内心舌打ちしてしまうが、当の青子は、気付いていなくて。 「なぁんだ。でも、話は知ってるんでしょ?」 拍子抜けしたような青子に、ほっと胸をなで下ろす。 「あらすじは・・・な。」 とだけ答え、その話はしまいにして、俺達は再び歩き始めた。 それから、夏休みの宿題のことやら、新しくできたトロピカルシーのアトラクションのことやら、他愛もないことを話ながら、青子の灯りのない家へとたどり着く。 「じゃ・・・」 門扉に手をかけた青子に声をかけると、長い髪が揺れて、もの言いたげな瞳が振り返った。 「・・・」 声にならない声を聞いた気がして、その瞳を覗き込む。 一呼吸、二呼吸・・・次第に胸の鼓動が高まってくる。 ・・・だから、そんな顔は・・・反則だってぇの・・・。 まるで、理性に揺さぶりをかけるように、唇が僅かに開く。 「今日は・・・ありがとうね、快斗。」 「あぁ・・・じゃ、またな。」 髪を翻して、俺の手元から遠ざかる青子を見送ると、おやすみの言葉も忘れて、自分の家へと足を向けた。 数日後・・・ ほんの少し満月に満たない月の下で俺はため息をつく。 気落ちする心を紛らわすように、掌の中の輝石を予め用意した封筒に放り込むと、夜空を振り仰ぐ。 明るい月に、星達はその輝きをひそめてしまっているが、それでも、なお明るく目立つ三角形を見つけると、ほのかにときめきが広がった。 あの時、青子が何を考えていたのか、俺にはよくわからない。 ただ、あいつの心の中の、いつもは見えないものが見えたような気がして。 「警部・・・、いつか、そのブルーサファイアを頂戴したいんですけどね・・・」 それから数分後、封筒をポストに放り込んだのは、何の変哲もない、ただの高校生。 いや、もしくは、エウリディケに許しを請う、もう一人のオルフェウス・・・かもしれない。 |