........ コナン........


 蘭が俺の前を歩いている。
 「それでね、新一・・・。」
 俺が新一だと信じて、話しかける姿が痛々しいが、それと同時に、強く願っている。
 「絶対、振り向くんじゃねえぞ・・・。」
 もし振り向けば、新一だと信じて疑わない背後の存在が、小さなコナンである俺だということがわかってしまう。
 それは、決して知られてはいけない、事実だ。
 時々「新一?」と確かめるように呼びかけるのは、きっと、俺がついてきていることがわからないせいだろう。
 あぁ・・・いつになったら、この暗いトンネルから出ることができるんだろうか。
 日の当たるところで、お前を目一杯この腕の中に抱きしめたい・・・
 「蘭・・・。」
 堪えきれず、声なき声で呼びかけると、それが聞こえたかのように蘭の足が、止まった。
 え・・・?と思ったとき、蘭の髪が翻る。それは、まるでスローモーションのようで・・・。
 振り向いた蘭の視線が、捉える先を失い、すっと降りてきて、俺の視線と絡み合った。
 「コナン・・・君?」
 しまった!と思ったときには遅かった。
 俺の身体は、ねっとりとした闇に捉えられ、蘭は全身黒い衣装をまとった悪魔達に絡め取られてしまった。
 「ヤクソクヲヤブッタナ・・・」
 地の底から響くような声に、俺は全身総毛立つ。
 「蘭!・・・蘭!」
 けれど、どんなに叫んでも、腕を伸ばしても、もう蘭は手の届かないところへと連れ去られてしまった。
 その顔に、信じられない、という驚愕の表情を浮かべたまま・・・。
 「蘭!蘭!!らぁ・・・・・ん。」
 上も下もわからない暗闇の中で、俺は叫び続けた。

 その瞬間、見慣れた風景が目の前に広がる。
 いつもの・・・そう、おっちゃんの部屋。
 気が付くと、肩で息をしていた。その上、心臓が口から飛び出そうだ。
 体中が汗でべっとりしている。
 「夢・・・か・・・。」
 ほっとして、時計を見ると、丁度「丑三つ」刻だった。
 俺はふらっと立ち上がると、のどを潤しに台所へと足を向けた。 
 暗闇の中で、冷蔵庫から麦茶を出すと、コップに注ぎ一気に飲み干す。
 「なんて、夢見るんだ・・・全く。」
 人心地つくと、先ほどの夢がリアルに甦る。
 何で、あんな夢を見たんだろう・・・と考えを巡らせていると、割とすぐに原因が分かった。
 「あれか・・・。」
 それは、先週の土曜日のことだった。




 「プラネタリウム?」
 「そうよ、米花青少年科学館で、7時からなの。」
 ・・・おいおい、あそこは5時でしまいじゃないのか?
 「そんな遅くに、上映するの?」
 さりげなく尋ねる俺に、蘭はにっこり笑って答える。
 「そうよ、土曜日の夜は、特別上映・・・っていうのができたの。」
 けれど、そう言ってから、蘭は、じっと俺の顔を見た。
 俺は俺で、内心そんなところへ蘭を行かせたくないと思っている。
 だって、そうだろ、そんなの、デートスポットに決まってんじゃないか。
 「コナン君も・・・行く?」
 「うん、ボクも行く!」
 考えるよりも先に、俺は答えていた。
 「じゃ、園子に連絡しとくね。」
 ・・・あいつと一緒・・か。

 しかし、園子は来なかった。
 何でも、急に熱が出たらしい。
 「大丈夫かなぁ、園子。夏風邪って、なかなか治らないのに・・・。」
 そう呟きながら、携帯をしまうと、蘭が俺に微笑みかけた。
 「でも、良かった。コナン君と一緒に来てて。」
 周りは予想通り、アベックばっか・・・。
 どんなに手を繋いで、微笑み合っていても、せいぜい俺は保護者についてきて貰ったガキにしか見えない。
 そんな痛みを、子供らしい笑顔で隠して、俺達は天空を仰ぐ椅子に腰をかけた。
 確かに、昼間の子供向けプログラムとは一線を画した特別プログラム。
 静かな音楽と、淡々とした解説員の声。
 大人の雰囲気を漂わせながら、夏の星空が頭上に広がっていった。
 メインディッシュは、7月だし、七夕の話でもするのかと思えば、同じ星でもギリシャの悲劇、オルフェウスとエウリディケの話だった。
 こういう客層で、その話・・・?
 竪琴の名手オルフェウスが、死んでしまった最愛の人エウリディケを返して貰いに、黄泉の国へ行くって話だろ?
 しかも、やっとこ、返して貰う手はずが整ったっていうのに、不安にかられたオルフェウスは、地上を目前にした最後の最後で、「振り向いてはいけない」という約束を破ってしまい、永遠に彼女を失ってしまう。
 悲しみに狂ったオルフェウスは、歌うことも忘れ、現世をさまよい続け、やがて、我が儘なニンフ達に、引き裂かれて死んじまって、おしまい・・・。
 暗過ぎるぜ、その話・・・なんて思いながらも、鼻をつままれてもわからないような暗さの中で、いつしか、物語の中にどっぷり浸っていた。
 −−−やがて、終焉。
 いつの間にか、夏の大三角形は西へ傾いていた。
 頭上に寂しく光る秋の星座達が、物語の余韻を一層もの悲しいものにする。
 徐々に夜が明けるように明るくなり、特別プログラムは終了した。
 プラネタリウムに来た人間だけしかいないホールで、俺は、演目の効果に舌を巻いた。
 カップル達は、皆、そっと手を繋いでいたから。

 「おもしろかった?」
 尋ねられて、我に返る。
 「え?あ、あぁ、うん、おもしろかった。あれだね、お昼に見るのと、全然雰囲気違うんだね。」
 おもしろいって話じゃねぇだろ・・・。
 「そうだね。・・・」
 心の中の突っ込みに気付くわけもなく、蘭はそう言ったきり、黙ってしまった。
 視線が、どこか遠くをさまよっている。
 目の前にある、蘭の手が、微かに空を握り、思い出したようにほどけてゆく。
 「蘭姉ちゃん・・・?」
 「え?あ、あぁ、ごめんね、ちょっとぼーっとしてて。じゃ、帰ろうか。」
 そう言って、寂しそうに微笑むから、つい、言葉がこぼれた。
 「新一兄ちゃんのこと・・・考えてたの?」
 「コナン君には、なんでもわかっちゃうんだね。そう・・・でも、電話がかかってくるってことは、ちゃんと生きてるってことだし。その分、オルフェウスより、遙かに分がいいよね。」
 その言葉に、それ以上何も言えなかった。




 オルフェウスって、言ったっけ?あいつ。
 じゃ、俺がエウリディケだってか?
 ・・・だから、あんな夢見たんじゃねえか。
 しかも、蘭の方が、絡め取られるなんて、ひっでぇ逆パターン。
 ぶつくさ考えながら、おかわりの麦茶を流し込む。
 けど・・・、そんな思いをさせてるのは、間違いなく、この俺・・・。
 そして、夢は、また、心の鏡でもあるわけで。
 早く、こんな明日の見えないトンネルから、抜け出たいな、蘭・・・。
 ガラスポットを冷蔵庫にしまうと、やるせなさを背負ったまま、寝室へと向かった。
 リビングで、足が止まる。
 ドア1枚隔てた場所で、あいつは一体どんな夢を見てるんだろうか。
 「蘭・・・」
 傍にいるのに、今までで一番傍にいて、毎日顔をつきあわせているのに、俺が俺だと言えない辛さ。
 俺が俺だと知らない・・・辛さを、お前も感じてるんだろ? 
 けれど・・・と、拳を握りしめる。
 言えない。知られてもいけない。
 夢の中で、
 蘭を連れ去った、黒衣の悪魔達が甦る。
 そう・・・あの連中を叩きのめすまでは。

 再び眠りにつき、夢を見ることなく目覚めた朝、そこには眩しい夏の日射し。
 「おはよ・・・蘭姉ちゃん。」
 いつもの朝が始まる。
 「あ、コナン君おはよ。今日もいい天気だね!」
 にこやかに振り返る、蘭。
 その笑顔が、それ以上曇らないように、悲しみに暮れないように・・・。
 「うん、暑くなりそうだね。」
 何事もなかったように、俺はにっこり微笑んだ。


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オルフェウスとエウリディケのモチーフ第1弾は、コナン君。
真実を語りたくて仕方のない彼が、口をつぐんでいるというところが、
彼一番の頑張りだと思うのです。
悲しい物語と同じ轍を踏まないために、
歯を食いしばる、というのが、彼のスタンスじゃないかな。
ななみんさんちの「09Village」への捧げものです。