オルフェウスは竪琴の名手でありました。
 その歌を聴けば、人はもとより、花は自ずと咲きほころび、猛獣はおとなしく首をすり寄せ、荒れ狂う風さえ琴の音と彼の歌を聴くために、息をひそめたほどでした。
 そんな、オルフェウスが最愛の人、エウリディケと結ばれることになりました。
 分け隔てなく招待された人々や神々で賑わう、結婚の宴。
 けれど、悲劇はそんな和やかな宴の最中に起こりました。
 乱暴者のパーンが、酔った勢いで、ふざけて、エウリディケを追いかけ、逃げる彼女は誤って、草むらに潜んでいた毒蛇を踏みつけてしまったのです。
 エウリディケは、毒ヘビに足を噛まれ、そのまま黄泉の国へ呑み込まれ、結婚の宴は、一転して、喪の悲しみに包まれてしまいました。
 彼女の死が耐えられず、オルフェウスは竪琴を鳴らしながら、ふらふらと黄泉の国へと歩いて行き、その入り口で、妻を乞う歌を歌い続けました。やがて、冥土の王 ハデスの妻ペルセポネがその歌に心打たれ、夫にエウリディケを地上に返すよう訴えました。
 それは、本来許されないことであったのですが、彼女の熱心な働きかけに、ついにハデスは折れ、オルフェウスをその御前に呼んで、こう言いました。
 『今回だけ、そなたの願いをいれて、妻エウリディケを返してやろう。但し、彼女はそなたの後ろをついてゆくが、彼女が黄泉の国をでるまで、お前は決して振り返ってはならぬ。もし、振り返ったなら、その時は、二度と妻はそなたの元には戻らぬからな。』
 オルフェウスは喜んで、冥府の王に厚く礼を述べ、言われたとおりに地上への道を歩いていきましたが、その途中で、ふと足音が聞こえないことに気付きまし た。そう、ついてくる筈のエウリディケの足音が聞こえないのです。オルフェウスは心配になりました。「冥府の王は本当に、約束を守ってくれたのだろう か。」と。しかし、振り返ることは許されません。王は確かに、振り返ると、彼女は戻ってこないと言ったのです。
 幾度も幾度も、振り返りたい衝動を堪えながら、地上への道を歩いてゆき、ようやっと、出口にたどり着くと、そこには燦々と眩しい太陽の光が降り注いでいました。
 そして・・・迂闊にも、ほっとしたオルフェウスは、振り向いてしまったのです。
 確かに彼は、地上に足を踏み出していましたが、彼女は、まだ冥界の道を歩いていたのでした。
 「あなた・・・。」
 悲しげな声を一つ残して、エウリディケは冥界に呑み込まれてしまいました。そして、もう、どんなに、オルフェウスが琴をかき鳴らし、歌を歌っても、その入り口は、二度と開くことはありませんでした。
 やがて、エウリディケが戻らないことがわかると、オルフェウスはふらふらとその場から立ち去り、何も感じないままに、さまよい歩きました。
 どこにも、彼女はいない・・・ただ、そのことを感じるためだけのように。
 ある日、川辺でニンフ達がオルフェウスを見かけました。琴と歌をねだってみましたが、彼は何の反応も示しません。そのことに怒った彼女たちは、怒りにまかせてオルフェウスを引き裂いてしまいました。
 後に残った琴は、悲しみの歌を奏でながら川を流れてゆき、彼の心は、やがて白い大きな鳥となって、空へと舞い上がっていきました。
 ゼウスはこれを見て、哀れに思い、彼の遺した琴と、その心である鳥を、星にしたのでした。
 これが、夏の大三角を形作る、琴座と白鳥座の悲しい物語です。」



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