…………… ルージュとネクタイ ……………



 シャンシャンと、賑やかな音楽がどこからともなく聞こえてくる。
 重たげな空の下で、街はひときわ浮き立っていて。
 クリスマス・イブを直前に控えた、ある寒い日のこと。
 青子は、巨大なクリスマスツリーの前で、快斗を待っていた。
 意外と早く待ち合わせ場所に着いてしまって、何となく手持ちぶさた。
 「中で待ち合わせにすれば良かったかな〜。」
 コートの襟を立て、ほっとため息をつくと、ふわりと白い蒸気が上がった。
 両手は手袋をしていても寒いから、ポケットに突っ込んで。
 暫く、そうして、突っ立っていたのだけれど。
 もう一度、腕にはめた時計を見直して、周囲を一通り見わたしてから、一歩踏み出した。
 「ちょっと、中、覗いて来ようっか・・・。」
 待ち合わせの時間までは、長針が半周しなければならない。 
 いつにも増して、華やかな飾り付けをしたショッピングモール街は、そこそこ暖房が効いているようで、歩いている人の中には、オーバーや、マフラーを手に持っている人もいる。
 このまま、半時間、冷たい外気にさらされているよりは、暖かな場所でウィンドウショッピングでもしていた方が、賢明かも知れない。
 人待ち顔の多いツリーを後にすると、青子は、モール街の中へと軽やかに歩いていった。

 小さなアクセサリーがたくさんあるお店を覗いたり、可愛いランジェリーや、ナイトウェアの店先で「こういうところは、快斗と来れないもんね・・・」なんて、呟いたり。
 ぬいぐるみで埋め尽くされたお店では、思わず全部抱きしめたくなったり。
 じっくり見て回るわけではないけれど、充実したウィンドウショッピングを楽しんでいた。
 「そろそろ、戻ろうっか。」
 そう思って、腕時計から目を上げたとき、鮮やかな色彩が、目に飛び込んできた。
 それは、シンプルな店構えの化粧品店。
 青子の目を捉えたのは、そこにさりげなく飾られていた、ルージュ。
 どの色が、というわけではないが、並べられた色は、奇をてらったものでなく、みずみずしさをたたえていた。
 「きれい・・・。」
 思わず、その前に、立ってみる。
 クラスの友達の中には、こっそり目立たないように塗ってきている子もいるし、プライベートで出かければ、それなりに、うっすらと化粧をしてくる子もいる。
 青子自身は、お化粧自体にはあまり興味がないのだけれど、それでも、そのルージュは青子の心を捉えた。
 「おつけになってみますか?」
 ふと、顔を上げると、上品な女性が、傍らに立っていた。
 「え、あ、でも・・・いいかな・・・青子、高校生なんだけど・・・。」
 ためらう言葉に、女性は、えもいえぬ優しい微笑みを浮かべた。
 「そうね。その若さなら、まだまだ、お化粧は要らないかも。・・・でも、今日は唇を少しだけ、寒さから、守ってあげたらどうかしら?」
 そう言われて、青子は、そっと、口元に指をあてた。
 いつもより、ざらりとした感触がする。
 「そう・・・っかな・・・。」
 視界の端に入る赤い色に、心が吸い寄せられる。
 「ほんの少し、差すだけ、ね。」
 ちらりと時計を見て、青子は頷いた。
 まだ、時間はあるから・・・。
 アイボリーを基調にした店の奥で、青子は、腰をかけながら、目を丸くした。
 紅を差してあげるからと、連れてこられたそこには、若い男性が一人座っていたから。
 「この子に、似合う色、ほんの少しだけ、差してあげて。」
 てっきりその女性が塗ってくれると思っていた青子は、ちょっと後込みした。
 その姿に、女性がにっこり微笑む。
 「大丈夫よ。これでも一応プロだから。」
 同じように、優しそうな笑みを見せる男性が、「怖くないから」と言うのに、青子は、顔に血が上る。 
 そう言う問題じゃなくて・・・なんか、恥ずかしいんだけど・・・。
 けれど、目の前に広げられたパレットの上の紅を見ると、そんな気持ちも薄れてきて。 
 胸に「メーキャップアーティスト」と書かれた名札をつけた彼は、暫く青子と紅を見比べていたが、やがて、薄い手袋を手にはめ、長い紅筆を手に取った。
 「さ、じゃ、こっち向いて。」
 その言葉と共に、軽く顎が引き寄せられる。
 どぎまぎするまもなく、唇の上に、筆がそっと置かれた。
 どうしたらいいんだろう?なんて思っているうち、それは呆気なく終わって、満足げな笑みを浮かべた男性は、手鏡を取り出した。
 「ほら、見てご覧。」
 が・・・
 「青子、んなとこで、何してんだ?」
 やや、憮然とした声に、青子は鏡を取る間もなく、振り向いた。
 「快斗・・・え?なんでここに?」
 そこには、ジャケットのポケットに手を突っ込んだ快斗が突っ立っていて。
 「時間、過ぎてる。」
 言われて、はっと気付けば、確かに約束の時間を10分ほど過ぎていた。
 「ごめん!待たせちゃって。」
 あたふたと席を立つと、青子は、振り向いて、紅を差してくれた男性に、ぺこりとお辞儀をした。
 「あ、今日は、どうもありがとうございました。」
 「じゃ、またね。」
 男性と、いつの間にか、その傍らに立っていた女性が、微笑みながら、手を振る。
 どんどん歩いていく快斗と、慌てて追っていく青子の後ろ姿に、女性がふと口を開いた。
 「あなた、恨みを買っちゃったわよ。」
 「仕方ないさ。でも、彼が、彼女に惚れ直したのは、間違いないだろ?」
 苦笑を漏らしながら、男性は、頭の後ろで腕を組んだ。
 「ま、今のところ、あなたの最高のできだったわね。あの色を、彼女に選んだのは。」
 「近々、この色、1本、売れるんじゃない。」
 その言葉に、2人は顔を合わせると、楽しげに微笑んだ。


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 「ごめん、ほんとにごめんね。」
 ・・・快斗は、内心、こっそりため息をつく。
 怒りにまかせて、どんどん歩いていたが、はたと気付けば、周囲の野郎共の視線が、どう見ても、青子に注がれているようだ。
 何か言ってやろうかと、足を止めると、後ろを歩いていた青子が、ぱふんと背中にぶつかった。
 振り向くと、その顔には、「ごめんなさい」と書いてあって。
 「ツリーの下は、寒かったよね。遅くなっちゃって、ほんとに・・・」
 「別に、もう・・・いいって。別に、待ったわけじゃないから。」
 上目遣いの眼差しと、ほんのり色の付いた唇に、思わず視線が宙へ流れる。
 腹立たしいけれど、今の青子は、たまらなく可愛かった。
 そう、腹が立つのは、別に、青子が待ち合わせ場所に時間通りに、いなかったと言うことなどではなく。
 何しろ、快斗は、そこへ行く途中で、青子を見つけたのだから。
 ちょっと、遅れてしまったかな・・・なんて思いながら、ショッピングモールの中を通り抜けていた快斗は、たまたま、青子が、紅を差してもらうところを、見てしまったのだ。
 そう、それは、見てしまったというほかに言いようがなくて。
 しかも、よりによって、見知らぬ男に・・・
 それ以上のプレイバックは、はなはだ精神衛生上よろしからぬものだった。
 「ほんとに?快斗・・・。」
 「あぁ・・・。」
 わかってないよな・・・こいつ。
 仕方がないといえば、仕方ないんだけど。
 悪気もくそもあったもんじゃないから。
 「それより、どこ行くんだって?」
 さっさと、気持ちは切り替えるに限るとばかりに、話題を変えた。
 「うんとね、ネクタイ屋さんに行きたいの。」
 ほっとした青子が、嬉しそうに微笑む。
 それは、思わず、クロスで包んでしまいたいほど・・・つまりは、誰にも見せたくないほどに、愛らしい笑顔だった。





 ちょっと気障な若い男が、何くれと、青子に声をかける。
 モールを歩いているときならば、無言の牽制を仕掛けているだけでよかったのだが、こと、店員となると、ちょっと話が違う。
 何しろ、青子は、ここでネクタイを買うという目的を持っているのだから。 
 男の出で立ちは、さすが、ネクタイ店の店員だけあって、そこそこいい趣味をしていた。
 「ね、快斗、ちょっとここに立ってくれる?」
 呼ばれて、快斗は、青子の傍らに立った。
 いくつか手に持った、ネクタイを、青子は、快斗の胸元にぶら下げる。
 ・・・おいおい・・・。
 内心、焦るけれど、青子の目は真剣だ。
 ・・・まぁ、つき合うって、言っちまったから、しゃあないか・・・
 マネキンよろしく、つっ立ってると、件の店員が、口を開いた。
 「あ、これいいんじゃない?ほら、顔映りもいいしさ。」
 馴れ馴れしい口を利くんじゃない、と睨みつけかけて、奨められたネクタイに目が行った。
 確かに、色合いのいいネクタイで、どちらかといえば、自分好みだ。
 ・・・しかし・・・。
 「それ、確かにいいけどよ、おじさんには、ちょっと、派手すぎるんじゃねぇ?」
 その言葉に、青子が首を傾げる。
 「うん、やっぱりそう思うよね。快斗くらいならいいんだろうけれど、お父さんじゃなぁ・・・。」
 いくつかの候補のうちから、快斗は一本引き抜いた。
 「これくらいが、丁度いいような気がするけど?」
 差し出されたネクタイを持つと、青子は、再び快斗の胸元に持っていく。
 「おめぇ・・・さっきから、なんで、俺の服に合わせんだよ。」
 「ん?だって、快斗の服、お父さんが持ってる背広の色に似てるんだもん。」
 
 「いや、お父さんのネクタイ選んでるんだ。僕、てっきり、君のかと。」
 もうちょっと見てみたいという青子を待つ間、ついて回っていた店員が、快斗に話しかけてきた。
 憮然とする快斗に、お構いなく、店員は続ける。
 「でもあれだね、可愛い子だね。君、彼氏なんだろ?」
 「幼なじみ。」 
 彼氏、と言えない。
 彼女、と言えない。
 まだ、その一線を越えていない。
 「へぇ〜。じゃ、彼女、フリーなの?」
 ぎろりと睨みつけてやっても、店員は、快斗に目を向けることもなく、平然と続ける。
 「じゃ、俺、アタックしてみようかな〜。」
 その時、青子が、ため息をついて、振り向いた。
 「快斗、それにする。」 
 とりあえず、確保してある奴を指さし、こちらへ戻ってくる。
 「あいつの親父さん、警部だかんな?」
 低い声で、呟くと、店員が少しひいた。
 「冗談。」
 「まじ。」
 意地悪く、にっと笑ってみせると、少々引きつった笑顔がこちらを見ていた。
 「どうしたの?」
 不思議そうな顔をする青子に、店員は、引きつったまま尋ねた。
 「君のお父さんて、警察官なの?」
 「うん!警視庁捜査2課の警部だよ?」
 誇らしげに答える青子に、店員は、ぽりぽりと頭をかきながら、
 「そうっか。すごいねぇ〜。」
などと、訳の分からない相槌を打ちながら、さりげなく快斗の持つネクタイを受け取って、レジへと歩いていった。
 


 にこにこしながら、包みを抱きしめる青子の傍らにいても、俺は、あそこまで強力な虫除けにはなれない。
 暖房のせいか、白い肌が、ほんのり薄紅に色付いて、唇を彩るその紅が、清楚なあでやかさを醸し出す。
 きらきらと瞳を輝かせ、今度、自宅で催すクリスマスパーティの予定を、嬉しそうに話すのを見てると、笑顔というポーカーフェイスを浮かべつつ、内心、こっそりため息をついちまう。
 いつか、俺が、お前と向かい合うことができたなら。
 いつか、堂々と、俺のものだと、俺だけのものだと言えたなら。
 …二人だけのイブに、俺にネクタイを贈ってくれたりするのだろうか。
 「あなたに首ったけ」という、思いを乗せて。


 話に夢中になってる青子の向こうに、先程の化粧品店が見えた。
 店先に並ぶルージュが、俺の目を惹きつける。
 まずは、俺から、ルージュを贈ってみるか。
 「その口紅を、脱がせてみたい…」と。

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