***** 芋 月 夜  ***** 


 「快斗、暗くなってきちゃったよぉ!」
 いかにも困り果てたという青子の声を背中に聞きながら、俺は必死でペダルをこいでいた。
 「あったりめぇだろ!こんな遠くまでくるから。」
 「だってぇ・・・」
 一応、自覚はあるみたいなので、自転車をこぐことに専念する。
 「だって、ここの、とってもきれいだったんだもん・・・」
 かにが泡でも吹くように、ぶつぶつとこぼす青子を、とりあえずは放置。
 あたりはすっかり暗くなってしまっている。
 「おっきぃ〜、まる〜い、きれい〜」
 カーブを曲がると、途端に上機嫌な声が聞こえる。
 ともかく、何も言わずにこぎ続ける。
 「ねぇ、快斗ったら!」
 しびれを切らしたような声に、思わず大きなため息が零れ出た。
 「ばーろぉ!俺は背中にゃ目玉はねぇんだよ!」
 怒鳴りつけたのがこたえたのか、青子は黙りこくってしまい、その代わり、俺の腰に回していた腕に力を込めた。
 「ごめん・・・」
 と、一言添えて。
 ・・・けどな、わかってるか?
 俺が今一番お前に反省してもらいたいのは、不用意に身体を寄せてくる、その無防備さなんだってこと・・・。
 俺の神経が、柔らかいものが触れている背中に、全部集中しちまうだろうが!
 
 久々にゆっくりした休日が、そろそろ黄昏てくる頃、電話が入った。
 「お月見だから、ススキを取りに行こう。」
 と最初に言われたときは、ガキみてぇだとか、まぁ、それでもあいつらしいとか、多少、心の中でこっそり、かわいいと思ったりもしたんだが、言われるがま ま、走り続けているうち、とんでもないことになりつつあることに気付き始めた。
 大体、ススキ取りに行くだけで、なんで、隣町まで走らなきゃなんないんだよ。
 そう言うと、「丁度良さそうなのがあったから」と、信じられないくらい脳天気な返事が返ってくるし・・・。 
 確かに、そこは一面のススキ野原で、風にそよぐ穂が、光る波のようだったけど。
 広い河川敷で、ススキを物色しているうちに、気の早い太陽はさっさと沈んでいき、暗くなってから、ようやく、帰途をたどり始めることとなってしまった。
 
 「ふぅっ、やっと着いた。」
 出たばかりとは言い難い月が、俺達二人の影を落としている。
 「ありがとっ!快斗。」
 自転車の後部座席から、ぴょんと飛び降りると、青子はススキの束をさわさわと揺らせながら、俺の顔を覗き込んだ。
 「お月見・・・してくでしょ?」
 月に照らされた青子の笑顔に、胸がドキドキするのを何気ない顔をして誤魔化して、
 「なんか食うもんあんのか?」
 なんていいながら、自転車を塀脇に寄せる。
 「お月見だもん。ちゃんと用意してあるよ。」
 俺に背中を見せる青子の肩で、揺れるすすきが笑っていた。
 
 「あれ、親父さんは?」
 灯りをつけながら奥へとはいってゆく青子に、声をかけると、
 「うん・・・今日は遅くなるって。」
 ・・・そんなとこへ、男連れ込んでも、俺は知らねぇぞ。
 口が裂けてもそんなこと、言えやしないけど。
 青子の親父が、休みでもない限り、こんな時間に家にいるわけなくて、しかも、一晩いないってことも、昔から日常茶飯事だった。
 だから、青子の家には友達がよく集まる。
 少々騒いだところで、うるさくお小言言われないってのもあるけれど、・・・やっぱり、あれだよな。
 ああ見えて、寂しがり屋だから。
 でも・・・、とこっそりため息をつく。
 まぁ、一人でここへやってくる男なんてのは、俺くらいなんだろうけど。
 今日は、満月なんだぜ?青子ちゃん。
 「快斗ぉ、来て。」
 台所から呼ぶ声で、俺の足はすたすたと家の奥へと向かう。
 「それ、お願いね?」
 大きな鉢に、ごろごろと積み上げられた丸いもの。
 「これ・・・?」
 「うん。」
 土ものの花瓶に、摘んできたススキを挿しながら、青子が背中を向けたまま答える。
 「お願いって・・・どうするんだ?」
 「あ、それ、リビングの窓際に持ってって。座布団置いてあるから、わかると思う。」
 「へぇへぇ。」
 これ、小芋だよなぁ・・・。すっげぇ、沢山。
 煮つけられた香りが鼻をくすぐり、つられて腹も鳴る。
 ・・・相当走らされたからな、今日は。
 用意された台に鉢を載せて、ふと、窓から外を見た。
 月明かりはあるのだが、丁度前の家の陰になっていて、月の姿が拝めない。
 「月見になんねぇじゃん・・・。」
 何気なく呟いた言葉に、返事が返ってきた。
 「え?お月様見えないの?」
 振り向くと、青子が片手に花瓶、片手に重箱といういでたちで立っている。
 「おま・・・呼べばいいだろう。運んでやるのに。」
 「いいよ、いいよ。今日は快斗に沢山手伝って貰っちゃったから。」
 持っているものを器用に置くと、青子は、さぁ、という表情を見せた。
 「食べよ、快斗。もう、お腹ぺこぺこだよ〜。」
 
 もっと味わって、食べてよ・・・というお願いも、耳をかすって通り過ぎてゆく。
 青子を乗せて、坂の多い町を通り抜け、隣町まで往復したんだ。もう、腹ぺこで。
 それに、・・・うまい。
 伊達に長年、兼業主婦をやってるわけじゃねぇ。
 おせちとまではいかないけれど、重箱に丹念に詰められた料理を平らげ、俺はすっかり満足して、ごちそうさまを言った。
 いや、さすがに、あの、芋の山は全部って訳にはいかなかったけど。
 青子が淹れてくれたお茶を飲みながら、もう一度、空を仰ぎ見る。
 気付かなかったけど、月は家陰から姿を現していた。
 けれど、俺達のいる場所まで、その光が射し込んでくることはない。
 ・・・野中の一軒家じゃねぇから、そうそう、都合よくは・・・な。
 すっかり高くあがってしまった月を、窓にはりついて見上げていると、ぱたぱたとスリッパの音が聞こえた。
 やがて、傍らに、ひょっこり青子の頭が現れる。
 「ここに立たなきゃ、見えない?」
 「あそこに座っては、ちょっと無理だろう。」
 先ほどまで座っていた座布団を目で指すと、青子は軽く肩をすくめ、おもむろに、ススキと例の芋の大鉢を窓際まで持ってきた。
 「これは、お月様のお供え物だからね。」
 真剣な眼差しに、ふと笑みが漏れる。
 それと同時に・・・。
 そろそろ「あたり」が欲しいと、願を掛けてみるか、なんてこと思ったり。
 ・・・俺らしくねぇな。
 こぼれ落ちそうになるため息を呑み込んで、そっと窓際を離れ、座布団に腰を下ろす。
 月の光を浴びて立つ青子は、小首を傾げながら、月を見上げている。
 月の女神はアルテミスって、言ったっけ・・・。 
 男嫌いの処女神・・・
 すっげぇ勝ち気で、容赦ないんだよな。 
 恋人のオリオンは、その確かな弓の腕で射殺されたんだっけか。 
 兄貴の計略にはめられたとか、オリオンの傲慢さを怒って射殺したとか・・・諸説紛々だけど・・・。
 床に落ちる光を見るともなしに見ていた視線が、ふと、窓辺に向く。
 青子がこちらを見ていた。
 部屋の電灯は消してあるから、逆光でその顔がよく見えない。
 「快斗・・・どうしたの?」
 「なにが?」
 「なんか、ぼーっとして・・・。」
 「あぁ、腹が膨れて、目の皮がってやつで・・・。」
 そういってにっと笑ってみせると、月の女神は盛大なため息をつく。
 「快斗って、ムードぶち壊しだよ、それ。」
 「へぇへぇ。」
 まさかな、「キッドなんか大っ嫌い」って言ってたお前が、腕はいいが傲慢なオリオンを射抜いたアルテミスとだぶっちまうなんて、・・・言えるわけねぇよな。
 でも、確かに疲れて空腹だったところへ、腹一杯食ってぼんやりしてたってのも事実。

 窓際を離れた青子が、俺の隣にやってきて座る。
 俺が足を投げ出して、後ろに手をついたその時だった。
 手に触れる、柔らかくて暖かいもの。
 「「あ・・・・」」
 二人であげた、微かな声。
 でも、金縛りにあったように、その手が動かせない。
 一瞬、床につくのが早かった青子の手に、俺の手が被さっていた。
 一気に血が逆流する錯覚に陥り、跳ね上がる鼓動に、胸が苦しくなる。
 別に、青子に触れるなんて、普段からあることなのに、この時だけは違った。
 このまま、満ち足りた月の力を借りて、抱き締めてしまいたい衝動にかられる。
 青子の瞳がとまどいがちに揺れ、ためらうように唇が開く。
 「えっと・・・」
 微妙な間をおいて、俺はそっと手を離した。
 「わりぃ。」
 「う・・・うん。」
 身じろぎする青子の衣擦れの音に、胸の高鳴りがなかなかおさまらない。
 
 俺がポーカーフェイスの下で、すったもんだしているうち、青子が、ふっと笑いをもらした。
 「あん?」
 つられて声をあげた俺に、とても柔らかな、微笑みが返る。
 「快斗・・・手、おっきいんだね。」
 「へ?」
 無邪気としか言いようのない言葉に、俺の中のオオカミが一瞬にしてなりを潜める。
 自分の手を握ったり開いたりしながら、青子は、キャラキャラと笑ってみせた。
 「おっきぃよ。青子の手がすっぽり入っちゃうんだもの。全然気付かなかったなぁ。」
 「そっか?」
 自分の手を開いてみると、そこに、青子が手を広げて合わせてくる。
 「ほらね。」
 ・・・おい。
 確かに、関節ひとつ分くらい、青子の方が小さくて。
 「マジックするには、やっぱり手が大きい方がいいの?」
 自分の手を覗き込みながら、とんちんかんなことを言ってる青子に苦笑しながら、俺は、心の中のもやもやを笑い飛ばしてみる。
 「青子のは、やっぱりお子様の手だよな。」
 もう少し、このままでいよう。
 せめて、月が呪われた輝きを融かしてしまうまで。
 怪盗キッドが、本来の目的を達成するまで。
 ・・・もう一人の俺が、青子に全てを告げられる日まで。
 それからだ、黒羽快斗の心を青子に伝えられるのは。
 
 ぷぅっと頬を膨らませた青子が、「どうせね。」なんて呟きながら、小さく舌を出してあっかんべぇをする。
 どんな青子も、結局はかわいくて、愛しくて、手放したくなんかない。
 だから、俺はひとつ伸びをして、よっと立ち上がる。
 「帰っちゃうの?」
 少し寂しそうな顔をしながら、青子も立ち上がる。
 「そろそろ、いい時間だし。あ、そうだ、ごちそうさん。飯、うまかったぜ。」
 「快斗も、今日はありがとう。」
 珍しく、二人で素直な言葉が零れ出て、お互い何となく照れくさく笑ってしまう。
 「気をつけてね。」 
 青子の言葉に、俺はひらりと手を振って背中を向ける。
 軽快に走りだす自転車の影。
 陽の光とは比べものにならないけれど、冷たくて、それでいて優しい光が、夜道を照らす。
 今、俺はただの高校生。
 そんな当たり前のことに、ふと笑みをもらしながら、俺は軽くなったペダルを踏む足に力を込めた。


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・・・何の話だと言われたら、なんと答えてよいのでしょう(笑)
今年は当日、ダメでしたね。ぼんやりかすんで。
でも、それまでの数日間、惜しげなく光をまき散らすお月様に、
胸がときめきました。
二人の手が触れ合うでしょう?
その瞬間を書きたいだけの、お話でした(笑)
('02.10.08)
P.S. すいません。ちょっと題名変えました。('02.10.13)