*** 衣替え ***
 
 「なんで、そうなるのよ・・・」
 「っだ〜〜、さっきから、説明してやってるじゃん。」
 「え〜〜〜?」
 緑の陰が濃い公園のベンチで、俺達は、全く色気のない話をしていた。
 ・・・そう、会話に色気はないんだけど・・・。

 青子の真剣な眼差しが向かう先は、膝の上に置かれたレポート用紙。
 そいつを時々覗き込みながら、俺の目はついついよそへと引きつけられる。
 たとえば、時々掻き上げる髪とか、その度にいつもよりあらわになる、首筋とか・・・。
 大体、セーラー服ってのは、そういうところに目がいきやすいようにできてるんだ。
 「う〜〜ん、わっかんないなぁ・・・。」
 「だ〜か〜ら〜」
 授業中に解けなかった問題が、どうしても気になるらしく、レポート用紙の上には、さっきから幾度も、同じ数式が微妙に形を変えながら繰り返し書かれる。
 「ちょっと貸してみろよ。」
 「やだ。」
 で、ずーっと、この会話の繰り返し。
 俺が書けば、すぐにわかるはずなのに、それは悔しいのか、青子はシャーペンを取られそうになると、すっと右手をよけた。
 ・・・その度に、今まで長い袖に隠されていた白い二の腕が、俺の目の前に躍り出る。
 6月の声と共に、黒ずくめの集団だった俺達は、一気に白い集団と化した。
 露出度が増して、夏服になったせいだけでなく、どことなく眩しい。
 特に・・・

 「はぁ〜」
 と、軽くため息をついて、俺は両肘をベンチの背に乗せた。
 「ちょっと待ってよ。もうすぐ、わかりそうなんだから。」
 ちらっと、レポート用紙に目を走らせると・・・お、今度はなんとかなりそうじゃん。
 そこの間違いに気づいたら、あとは計算間違いでもない限り・・・
 そんなことを考えていた俺の目は、次の瞬間、青子の首筋にかかる髪に釘付けになった。
 さしもの俺も、心臓が跳ね上がる・・・。
 



 「青子。」
 声をかけられて、その声が、さっきまでと違うことに気づいた。
 「なに?」
 ふと快斗を振り向くと、青子の心臓はどきんと大きな音をたてた。
 「動くなよ。」
 いつもより低い声が、心臓の鼓動を煽る。
 快斗の瞳には、いつものおどけた光はなくて、真っ直ぐに青子を見つめてくる。
 「な、なに・・・?」
 「ぜってー、動くんじゃねーぞ。」
 動こうにも、青子は快斗の瞳に捕まえられて、動けやしない。
 ふいに、その手がのびてきて、青子の耳には、心臓の音しか聞こえなくなってしまった。
 そろそろとのびてきた手が、髪に触れた瞬間、シャーペンを持つ手が、快斗のもう一つの手に包まれる。
 身動きがとれなくなってしまった青子の手からシャーペンを取り上げると、快斗は、髪を一掴み掴んだ。
 その動きに、心なしか、血が上ってくる。
 ・・・な、なんなのよ〜。
 心の中では目一杯焦りまくってるのに、体はほんの僅かも動けない。
 ぐいっと近づいてきた快斗の顔が、手に髪を掴んだまま首筋の方に寄ったときには、何がなんだかわからなくて、目をつむってしまった。
 でも、目をつむると、感覚が一気にリアルになる。
 その押し殺した息づかいも、触れるか触れないかに感じる体温も。
 ・・・一体、どれくらい経ったのだろうか?
 心なしか、髪をくいっと引っ張られたような気もした。
 2,3度快斗の手が青子の髪を梳く。
 軽く、安堵のため息のようなものをついて、快斗がその身を離すのを感じた。
 「もう、いいぜ。」
 



 シャーペンを差し出すと、青子は目をつむっていた。
 知らず知らずのうちに、そばに近寄っていた俺はそんな青子に、一瞬頭の中が真っ白になる。
 ・・・真っ白な中で、きゅっと引き結ばれた唇だけが妙に色づいていて。
 そろそろと、まぶたが開き、黒い瞳に見つめ返されて、俺はやっと現実に戻った。
 「ほれ。」
 「・・・うん・・・。」
 差し出されたシャーペンを受け取ると、青子は、ためらいがちに口を開いた。
 「なん・・・だったの?」
 「え・・・?」
 微かに震える声に、青子が平常心を保とうとしていることがわかった。
 ・・・確かに。あんな状態だったら、誰だって・・・。
 でも、言っていいものか・・・
 「なんでもねえよ。」
 俺は一応、ポーカーフェイスなんてものをかぶって答えた。
 「なんでもって・・・。」
 ちらっと見ると、その声と同じくらい、瞳が揺れている。
 薄いワイシャツから、心臓の音が伝わってしまいそうで、俺は少し怒ったように呟く。
 「だから、なんでもねえって。」
 それは、しかし逆効果だった。
 「なんでもないって・・・なんでもないなら、なんで、あんなことすんのよ!」
 真っ赤になって、青子は怒鳴りだした。
 こうなると、ちゃんと理由を言わない限り、テコでも動きやしない。
 ・・・知らねぇぞ。
 そんなことを思いながら、きゃんきゃんわめいている青子に、俺は口を開いた。
 「おめえの髪に、毛虫がついてたんだよ!」
 
 その瞬間、青子が固まった。
 「け・・・むし?」
 しばし、頭の中で、状況を反芻していたのだろうか。
 「きゃぁ!」
 という悲鳴と共に、白いセーラー服が、俺の胸の中に飛び込んできた。
 どんなに、ポーカーフェイスを繕ったところで、心臓の音まで、コントロールできる奴なんていやしない。
 直に触れ合う腕。薄い布1枚を通して感じる体温。そして、鼻っ面でわさわさと揺れてる黒い髪・・・。どれもこれもが、健全なる高校生男子の血を逆流させるには充分で。
 めちゃくちゃなビートを刻み始めた鼓動を気づかれたくなくて、焦って離れようとしたけれど、青子は俺の胸の中で首を振りながら、叫びまくっていた。
 「やだ〜〜〜〜。もう、いない?ねぇ、もう、ついてない?」
 人間てのは、自分より、パニックに陥った人間を見ると、結構落ち着くもんだ。
 半べそになっている青子の背中をぽんぽんと叩いていているうち、自分も落ち着いてきた。
 これだけ、パニクっていれば、こちらの鼓動を気にしたところでどうってことない。
 「もう、いねえよ。」
 「本当?」
 「さっき、とっちまったから、大丈夫。」
 微かな鼻声に、苦笑しながら、俺は青子が落ち着くまで、そっと背中を叩いていた。

 「ごめん・・・ありがとう。」
 自分の行動に恥じらいを見せ、ほんのり頬を染めた青子は、ちょっぴり涙目で俺を見上げると、慌てて体を離した。
 くすっと笑いをこぼしながら、俺は青子の膝から滑り落ちたレポート用紙とシャーペンを拾ってやる。
 それを受け取って、鞄にしまうと、青子は、ぽつんと呟いた。
 「なんで、もう毛虫なんて・・・。」
 風が吹く度、心地よい音をたてている緑を見上げながら、俺は俺で、火照っているはずの顔を青子の視界からはずす。
 「そりゃ、桜の木だし・・・、今年は季節が前倒しだからじゃねぇの。」
 木漏れ日が、痛いくらいに眩しくなって、季節が順当に巡っていることを示している。
 「快斗、行こ・・・。」
 しゅんとした青子が、公園の出口へと足を向けた。
 「ん、そだな。」

 後に続きながら、俺はふと振り向いてみる。
 緑の作る陰は涼しげで、いかにも気持ちが良さそうだ。
 でも、まだ、季節は始まったばかり。
 痛い目に遭いたくなければ、暫くは、来ない方がいいな。
 ところで、毛虫の野郎共に羽が生えてしまう頃、俺の方は少しは慣れているだろうか。
 降り注ぐ陽の中に映える、青子の白い肌に・・・。

 

fin
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私事で恐縮ですが、息子が今日から衣替えです。
ぬわんと、セーラー服。
因みに、幼稚園です。