*** 風になりたい ***

 ジィーーーーー・・・・
 夜の底を這うような、静かな音。
 虫の声なんだろうか。鳥・・・じゃないよね。
 耳から、心の中にしみこんでくるその音を聞きながら、ぼんやりとした月を眺めている。
  冬の間は、煌々と冴えわたっていたのに、おぼろまではいかない今日の月は、とても静か。宵闇が、まるでビロードのように、月の光を吸い取っていくみたい。
 真っ黒な中に浮かぶ、静かな月を見つめながら、言葉がこぼれる。
 「今日は、風がないな・・・。」

 今日は、怪盗キッドの予告日。
 数日前に予告状が来てから、お父さんはそわそわと落ち着かなかった。
 「今度こそ、捕まえてやる。」
 そう言っていたのは、今朝のこと。
 ・・・でも、今回も、ダメだったんだね。
 ニュースは、キッドの勝利を告げていた。

 腕にのせていた頬を、右から左に換えてみた。
 「快斗・・・。」
 その名前を口にすると、胸の中が、苦しいような、暖かいような奇妙な思いに捕らわれる。
 快斗の隠している秘密。お父さんが見つけだせない秘密。
 そして、なぜか、青子が気づいてしまった秘密が、胸を締めつける。

 ビル街の中には、ビル風という風が吹くと聞いた。
 建物が作り出すその、不自然な風は、快斗を助けてくれるのだろうか。
 ・・・何も風だけが、彼の逃走手段ではないだろうけれど。
 
 ふと、目を閉じて、彼を思う。
 意地悪そうにからかうときも、華やかなマジックを見せてくれるときも、他愛ないことで喧嘩するときも・・・そして、青子のとっておき。居眠りから目覚めた瞬間も。
 その瞳は、吸い込まれそうなくらい深く澄んでいて。
 亡くなったお父さんをあんなに尊敬してる快斗が、マジックを使った、ただの愉快犯なんて、あり得ない。
 快斗の隠している、快斗がキッドであるという秘密を知ってしまったのに、なぜ、キッドをやっているのかという秘密まではわからなくて、中途半端なまま不安だけが募る。
 ・・・お父さんなんかに、つかまっちゃダメだよ・・・。
 そっと目を開けると、ぼんやりした月は、水の底のように揺らめいた。
 全身、傷だらけになって、学校を休んだこともあった。
 ふざけて、背中を叩いたら、こっちがびっくりするくらい、痛がったことも。
 17歳の誕生日には、素敵なイルミネーションをプレゼントしてくれたけど、来てはくれなかった。・・・あの日、キッドの予告日だったよね。
 ねぇ、きっと、危ないことをしてるんでしょう?
 警視庁相手にしてるんだよ?
 高校生の男の子がだよ?
 ・・・世間を騒がす、キザな怪盗なんだって・・・

 時折、快斗の瞳が、遠くを見ていて、不安になるの。
 いつも傍にいてくれたのに、いつか、私の傍からいなくなるみたいで。
 ううん・・・もう、私のことなんか、本当に、ただの幼馴染みで・・・。
 わかってる。
 この気持ちを伝えた訳じゃないから、快斗にとっては、青子なんて、ただの幼馴染みでしかないんだろうけれど、それですら、この手の間からすり抜けていきそうで。
 
 でもね、快斗。
 青子は、ずっと快斗が好きだよ。
 たとえ、キッドだとしても。
 ・・・大嫌いなんて言っちゃったけどね。
 ずっと、ずっと、快斗のことが好きだよ。
 だから、こんな夜は、思ってしまう。

 風になって、快斗のことを包んでしまいたいって。
 快斗が快斗であるために。
 快斗がキッドであるために。
 
 時折浮かぶ、遠く悲しげな瞳が、明るさを取り戻すまで・・・。
 そして、それからも・・・
 ずっと・・・

 ねえ・・・
 この身が風になってしまえたら・・・
 そしたら、いつまでも、快斗の傍にいられるかな・・・


fin


************************************************************

ゴスペラーズの「永遠に」は、私にとって、快斗を想う青子ちゃんの歌に聞こえてしまうのです。
(2002. 27th May)