薄紅の魔法

 「・・・・。」
 華やかな幻想を見せていた手が止まる。
 ふと、青子は快斗を見た。
 少し驚いたような、とまどったような瞳に見つめ返される。
 春特有のぬるい風が吹き抜け、髪を揺らし、頬を冷たくなでる。
 「あ・・・。」
 そこで初めて、自分が涙を流していることに気づいた。
 「どうしたんだ?」



 春休みの、穏やかな1日。
 「花見に行こう。」という話をして、快斗お薦めの公園へ繰り出すことになった。
 急な話だったので、お弁当はおにぎりと卵焼きしか用意できなかったけれど。
 快斗が迎えに来てくれたときは青空が広がっていたのに、移ろいやすい春の空は眠たげな雲をまとい、甘やかな風さえ時折吹くようになっていた。
 桜に包まれたようなその公園で、お弁当を食べ終わると、快斗はおもむろにマジックを披露し始めた。不思議に思いながらも、その意図を掴めぬまま、私の目はその手元に釘付けになる。
 途切れることなく、繰り出される鮮やかな魔法。
 いつもは、思わず歓声を上げてしまうのに、今日は重たい何かがそれを呑み込む。
 そして・・・。

 「どうしたんだ?」
 心配そうな顔に、慌てて、涙を拭う。
 でも、いつものように、「なんでもない」と言えない。
 口をつぐんでしまった私に、快斗は小さなため息をついて、こちらに近づいてきた。
 「なんか、あったのか?」
 ・・・何もなかったわけじゃない。
 「青子。」
 耳元をくすぐるのは、あなたの声?それとも、ふわりと通り過ぎる暖かな風?
 「・・・が・・・。」
 言いかけて、はっと口をつぐんだ。
 いつもの優しい声にほだされて、友達の秘密を話してしまうところだった。
 いくら快斗でも、それはできない。
 けれど・・・。
 ずっと、胸を痛めているはずの友達を思うと、やっぱり心が翳ってくる。
 そして、心の中に刺さったままの、言葉の刺。

 「え?振られちゃったの?」
 友人数人と買い物に行き、そこで初めて知った。春休み前に、友人の一人が告白して、ダメだった・・・って話。
 「知らなかった・・・。彼女、何も言ってくれないから・・・。」
 呆然としていた私に、けれど、冷ややかな言葉が浴びせられる。
 「そりゃ、相手のいる青子に、話したって・・・。」
 言葉が、いとも簡単に心を傷つける刃になるということを、このときまで私は知らなかった。
 返す言葉もなく、彼女見やると、何事もなかったように、他の誰かと話していた。

 真っ白なハンカチが目の前に差し出され、現実に引き戻された。
 「とりあえず、拭けよ。」
 こくんと頷いて、受け取ると、その中に顔を埋める。
 ポケットから出てきたばかりのそれは、ほんのり暖かく、私を優しく包んだ。
 ふいに、快斗の体温を感じたような気がして、どぎまぎして。
 「ありがと。・・・もう、大丈夫。」
 そう言って、顔を上げると、快斗は軽いため息をついた。
 「話したくないんならいいけど・・・あんまり一人で、思い詰めんなよ。」
 胸の中のかさかさをふんわり包み込むような柔らかな表情に、思わず言葉がこぼれた。
 「私も快斗みたいに、誰かを元気づける魔法が使えたらな・・・。」



 その満開の桜に包まれた公園を見つけたのは、昨夜の仕事帰り。
 空から見下ろすと、そいつは巨大な桜餅状態で、降り立ってみて、初めて公園だということがわかった。
 青子に見せたら喜ぶかな・・・。
 その表情を思い浮かべると、今回も空振りに終わって、気落ちしていた心すら次第に晴れてきて、俺は、彼女に電話すべく、家へと急いだ。
 そう、最初に会ったときに、気づけば良かったんだ。
 いつもの青子なら、笑顔を隠しきれないはずなのに。
 少し元気がない・・・と気づいたのは、公園に着いたとき。
 さすがに、満開の桜のドームに目を丸くしてはいたけれど。

 「おめーは、そのまんまでも・・・。」
 不意に口をついて出てくる言葉。
 見つめ返してくる青子の目に、自分が普段では言えない照れくさいことをいおうとしていたことに気づき、その後が継げなくなってしまった。
 
 その瞬間、思いもかけない風の塊が通り抜ける。
 半ば眠ったようなグレイの空を埋め尽くすように、花びらが舞い上がる。
 「すごい・・・。」
 目を丸くした青子の視線が追うのは、地面を転げるように走ってゆく花びら達。
 さっきまで泣いていたのが嘘のように、感嘆の笑顔を浮かべて。
 幾度となく、やってくる風の塊にさらわれそうな青子の腕を、俺はそっと掴んだ。
 え?という顔で見つめられ、俺はにっと笑ってみせる。
 「いくら出っぱりが少ないったって、一緒に転がっていきそうだからな。」
 「な・・・なによ!」
 ぷぅっと頬を膨らませて、それでも桜吹雪が嬉しそうで・・・。

 俺は、目を細めて、自然のマジックを見つめた。
 どう頑張ったところで、こいつには勝てっこない。
 そして、傍らに佇んでそれを見つめて微笑む青子に、視線を移す。  
 ・・・そう、お前にだって、特別な魔法なんて要らない。
 お前は、いつだって、俺を元気づける。



 「おめーはそのまんまで、いいんだよ。そのまんまで、ちゃんと人を元気づけられるから。」
 散りゆく桜を見つめながら、快斗がぽそっとこぼす。
 私を見てないけれど、その言葉は、私の心の中にしみ渡ってゆく。
 人の心を傷つけるのは人。
 でも・・・それを癒してくれるのも、人の心なんだね。
 「ありがとう・・・。」
 それ以上の言葉が、何も出てこなくて。
 でも、それだけで、快斗には伝わるような気がした。

 何ができるかわからないけど・・・今夜、彼女に電話してみよう。
 
 
fin

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目の前の公園の桜が散るころ、そんなこと、つらつら考えて・・・。
2002.13th May