【 Trance or Real 】
Ja×D
S×Je






「カット!」


 今日数回目のカットの声がかかる。

 何テイク目かわからないそれに、深く溜息をついてジェンセンは俯いた。


 ―調子が悪い。

 同じシーンで、セリフ回しがうまくいかなかったり、立ち位置を間違えたりと、完全な自分自身のせいだけでこんなにもNGを出してしまうのは、このドラマの撮りに入ってから初めての事だった。

 スクリプトは全部頭に入っている。自分のものも、共演者のものも。
 なのにどうしても今日はスムーズにいかない。NGを出さない俳優として信用を得ていたのが、これで全部パーだ、と苦々しく自分自身を自嘲する。

 だがそんな安いプライドよりも、周囲に迷惑を掛けている、そのことが焦る気持ちを更に深く追い詰める。

 心配そうにスタッフが遠巻きに見ている視線が疎ましく、気を遣って差し出された飲み物を断り、目を背ける。

 同じセットに立っていたジャレッドが、何も言わないままふっと何処かへ行くのが見えた。


 確かにディーンのセリフがひたすらに長いシーンではある。
 そんなのは、このドラマではよくあることだ。

 だが、まだ今日は一度もサムのセリフまで行きついていない。二人だけのシーン。まだ後にも、手間のかかるシーンが山ほど残っている。

 今日は午前様かもしれない。恐らくジャレッドも呆れていることだろう。

 手にした台本を確認する素振りで、だが全く頭には入らず、ジェンセンは苛々と足踏みをした。

 監督とジャレッドが何か話をしているのが目の端に映った。


 しばらくして、タイムキーパーから

「ここでちょっと1時間休憩入りまーす!後も長丁場だから食事も済ませておいてねー!」

という声がかかって、張り詰めていた現場の空気がふっと緩んだ。

 ガヤガヤとスタッフが簡単な片付けをし、移動をし始める中で、すぐ側に停めてある自分のトレーラーに戻るべく、声を掛けようとする心配そうなスタッフに軽く頷いてジェンセンは足早にセットを後にしようとした。

 100%自分のせいである筈のこの休憩中に、後ろめたさと情けなさで、誰とも話したくなかった。

 それなのに、トレーラーのドアを閉めて、上着を脱ぎ、スクリプトを投げ付けたい勢いで、深く溜息を吐こうとした瞬間、鍵の掛っていないドアがカチャリと開いた。

「―悪いけど、一人にしてくれ」

 背後を見ずとも、ノックもせずに入ってくること、そしてその足音で、ジェンセンにはそれが誰なのかわかった。

 だが、今は、本当に誰とも話す事も、顔を合わせることすらしたくなかった。


 なのに、ジェンセンの手から上着を取ったジャレッドは、まるで拒絶の言葉など聞こえていなかったかのように、そっと後ろから癒すように抱き竦めてくる。

 衣装のままの有り得ないその行動に、ぎょっとすると共に怒りが湧いてきた。

「ジャレッド、ふざけるな。本当に、今は一人になりたいんだ。出て行ってくれ」

 感情を抑えて言うと、何も言わないままジャレッドは後ろからジェンセンの頬にくちびるを触れさせる。

 今は、いつもはただ愛しく感じる筈のその熱や匂いですら疎ましく思えた。

「ジャレッド!!」

 もぎ離そうとした手を逆にとられて、抱きかかえる様にして奥のベッドルームに連れて行かれる。

「冗談はやめろ、何考えてるんだ、出ていけ!!」

 ベッドにそっと下ろされて後ろからもう一度抱き締められそうになり、ぶん殴ってやりたい心境のままもがき暴れる。

 こいつは、俺の気持ちなんて何も分かっていない。何一つ。

 衣装で羽織っていたシャツを脱がされ、Tシャツの中に潜り込んできた手に腹を撫でられ、驚いてひくつく。

 思いっ切り蹴飛ばしてやりたいのに、後の撮影の事を考えてそれができない自分が憎い。

 首筋に高い鼻先をそっと押し付けられ、その熱に気持ちは嫌悪を感じているのに、躰は温もりを感じて馬鹿馬鹿しい程に安堵する。

「やめろ、そんな事してる場合じゃないだろう」

 ジャレッド、本当にやめろ、怒るぞ、と言っても、背後のジャレッドは何も言わず。

 次には、ベルトに手を掛けられる。手早くそこを解放しようとする動きに、怒りが驚きに変わり、腕に掛けた手が止めるまでもなく、下着の中にするりと入り込んだ手は敏感な急所をそっと握り込む。

 びくっと躰が震えてジェンセンはくちびるを噛んだ。


 何を考えているのか。

 こんなことをしてる場合じゃない。少しだけ休んだら、スクリプトを確認して、そして次は絶対にワンテイクで収めなければ。

 こんな状況で反応を返す筈もなく、力を失ったままのそれを、でも分かっているのかただ柔らかく大きな手で包み込んだままジャレッドは温める様に手を引こうとはしなかった。

 焦る気持ちをジャレッドへの憤怒へと変え、ジェンセンがどうにか手を振り払って口を開こうとした時。


「―ディーン」


 ひくっとジェンセンは抵抗を止める。

「大丈夫、僕がいるから、少し休んで」

 君は昨日眠れてない、だから疲れてるんだ。


 そう言われて、体中が心臓になったような気がした。

 ―言い間違いだ、そうだ。

 俺はうまく切り替えられなくて、よくジャレッドとサムを混同してしまうけれど、でもジャレッドがそんなことを言うなんて珍しい――

 そう思ってその言葉の意味を考えず、内心の混乱を収束しようといたのに、更に掛けられた言葉にジェンセンは今度こそ硬直した。


「大丈夫、傍にいるから安心していい」


何かあったら起こすから。


お休み、…兄貴。



 首筋にそっとくちびるを触れさせられ、まるで難しい狩りの合間に共に休息を取ろうとするかのように、ふう…、と深い息が項に掛る。

 掛けられた言葉に、行動に、ジェンセンはどうしようもなく混乱していた。後ろから抱き竦めてTシャツの内側に潜り込み腹を抱き竦める手を、外そうとしていた筈の手が震え始める。


「…ディーン?」


 眠れない…?と囁かれて、混乱は頂点に達した。

 バカ言うな、お前はジャレッドだろ。

 サムじゃない、サムはセットの中でだけ、スクリーンの中にだけいる偶像のキャラクターだ。

 違う、違う違う!

 そう思うのに、もう一度耳元でディーン、と囁かれて、素肌の腹を優しく撫で上げられ、後ろからそっと頬を包まれる。温かさに溜息が洩れそうになる。

 ディーン、と呼ばれて、混乱のまま、ジェンセンは後ろにいて自分を抱き竦める男の名を呼んだ。


「、サム…ッ」


 ふっと吐いた息が耳元にかかる。耳殻を乾いたくちびるで辿られて、そっと耳の後ろに口付けられる。

「なに…?」

 サム、サミー…ッと必死に呼ぶジェンセンを、『サム』は優しく抱き締め直す。

 そうだよ、君のサムだ。大丈夫、少し眠ったら全部良くなってる。
眠れないの?ほら、一度出したらいいよ。そしたら、すぐ眠れる。楽になるよ。大丈夫、僕に任せて…
 

ディーン。
 
決定打を打つようにそう言われ、ジェンセンは『サム』の腕を掴んだまま、その手が与える快楽に身を任せる。

―そうだ、俺は疲れているんだ。狩りは長引いている。少し休まなければ最後までもたない。

ここのところ時間が無くて自分で抜いてもいない。『サム』の手が優しく性器を包み扱き上げる刺激に、驚く程早く上り詰める。

 後頭部を『サム』の肩に擦りつける様にして、ジェンセンはディーンの衣装のまま、用意のいい彼が包み込んだティッシュの中に、小さく呻きながら欲望を吐き出す。

 それを捨てて前をしまってくれた『サム』が荒い息を繰り返すジェンセンを再び後ろから抱き締める。

 疲労と混乱と快楽とに疲れ切っていた。


 傍にいるから、眠って、ディーン。


 そう言われて、そうだ、眠るんだ、俺は眠らなければいけない、そう思ってジェンセンが体の力を抜いた時。


「…………」


 耳元でちいさく囁かれた言葉に、眠りかけていたジェンセンは目を見開く。

 衝撃と動揺に、どうしていいのか分からず、だがどうしようもなくて、散々目を泳がせた挙句、堪え切れずに嗚咽が漏れる。

 泣いたら駄目だ、目が腫れる。後の撮影に支障が出る。

 そんな俳優としての危機感と。

 なんでそんな事言うんだ、お前はサムなのに、サムはそんな事言わない、お前はサムじゃない、でもサムだ、サムなんだ


 お前は誰なんだ


 後ろから抱く手は決して逃がさないというように腕の力を緩める事をしない。

 それから逃げたいのか、それとももっと囚われてしまいたいのかが分からず、ジェンセンはただ泣きながら、まるでその腕から逃避するように眠りに落ちた。




******



 彼が眠りに落ちたのを確認してから、涙の残る寝顔を見つめてジャレッドはそっと体を起こす。

 まさか、彼があれほどまでに困惑するとは思っていなかった。


 ジェンセンは、役になり切るタイプだ。

 まるで、その役柄が乗り移ったかのように、ディーンに入り込む。
撮影の後、しばらくはぽーっとしていて、何度『サム』と呼ばれた事かわからない。

 それとは逆に、入り切れていない時は撮影中に『ジャレッド』と呼ぶことがあったりもする。

 切り替えがうまくないというより、本当に集中して役を自分に乗り移らせるから、撮影の都合や時間でぱっきりと自分と役をわけることができないのだろう。

 なのにここしばらくの彼は、どうしてもディーンになり切れていないのがわかった。

 そこここに『ジェンセン』の影が出てしまっている。

 理由は分かっていた。―僕だ。



 こんなにも、あのことに彼がショックを受けるとは思ってもいなかった。

 自分でもまだ消化し切れていなかったから、彼には話していなかったけれど、耳に入るのは時間の問題だとも思っていた。

 だがある意味クールな所のある彼は、それとこれとは別問題だと笑って割り切るのかと、そう思っていたのに。

 再会した時の彼は、痩せていた。その上調子はガタガタだった。
その事に驚くとともに、こんなにも自分が彼に影響を与え得る人間なのかと、嬉しく思う酷い自分がいた。

 ディーンになり切れないまま、でもディーンから抜け出せていない。

 半分ジェンセン、半分ディーンのような彼を落ち着かせるのに、どうしたらいいのかわからずに呼んだ名前だった。

 可哀想な程に彼は混乱し、反応して、そして泣きながら誰よりも信頼する『サム』の手に全てを委ねた。

 ようやくディーンになり掛けた彼の耳に、そっと囁いた。



『…婚約、解消したんだ。だから、…』



 それに、自分がディーンなのかジェンセンなのか、後ろにいる男がジャレッドなのかサムなのかわからなくなり、混乱の渦にのみ込まれたまま、彼は嗚咽しながら眠りについた。

 可愛かった。どうしようもなく。

 くったりと力を抜いて眠る柔らかな獲物のくびすじを尖った牙で優しく撫でる猛獣のような心境だった。



 ジェン、愛してる。

 多分もう君を離せない。



 囚われているのは自分なのか、彼なのか。

 分からないまま、ジャレッドは、眠るジェンセンの姿から目を逸らす事が出来ず。

 その哀しいまでに無垢な眠りを、いつまでも傍で見つめ続けていた。






【END】






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まき様vv素敵リクエストをありがとうございましたvv
にせものくろすおーばーでスミマセン汗


ぶらうざもどるでおねがいしますー