【 雷鳴が聞こえる前に 】
【7】















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Remainder 5 day

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翌日。

いつものようにサムを送った後、スーツに着替えて新聞記者を装い、念の為サムに会わないであろうルートを確認してから構内を歩く。面会の予約を入れてあったスタンフォードの現役の教授で、脳科学の権威かつ心理学博士でもあるテリー・ウィグラード教授の部屋のドアをノックした。

 名前で誤解していたが、教授は予想外にも女性だった。数々の優秀な論文を発表した高名な教授らしいのに、研究と執筆が主であまり取材を受けた事はないのだと喜んでくれ、秘書が淹れてくれたコーヒーを飲みながら限られた時間の中で専門分野について丁寧に説明してくれた。

「…あー、脳内の仕組みはだいたい解りました。それで、今回のコーナーのテーマである「記憶喪失の回復」についてなんですが…」

 放っておくと何時間でも記憶が作られて消えていく仕組みについて語り続けてくれそうな教授を軌道修正させるため、ディーンは咳払いをして促した。

「あぁそうでしたね。その失われた記憶の回復についてですが…科学や医学が進歩しても、まだまだ記憶のメカニズムについては分かっていない事の方が多いのです。寧ろ一度消えた記憶が何故戻ったのか?もしくは消えた記憶は何処に行ったのか?パソコンのHDDのようにはいかない。脳というのは、宇宙のようにとても未知なもので、こうすれば記憶が戻ったという例があっても、同じように他の例に通用するとは限らない。要するに記憶の回復については、まだまだ研究の余地が残されているということですね」

「そうですか…」

 綺麗な白髪をふんわりと纏めて、人の良さそうな笑顔を絶やさぬまま言う高齢の温和な教授に、ディーンは内心でがっくりと肩を落とす。記憶の権威と言われている教授にこう言われてしまっては素人には反論の余地も為す術もない。

「何か、取り戻したい記憶でもあるのかしら?」

「いや…あ、まあ、少し個人的に」

 どうも礼を言って切り上げようとすると、教授がちょいちょいと手招きをした。

「まあ、治療法としての確証のある方法ではないので保証はできないのですけれども、今までに…何故なのだか分からないが思い出した、という事例があります。それを、参考程度ですが、いくつかお伝えしておきましょう」

―貴方の大切な人が、どうか記憶を取り戻しますように。

痩せた目尻に皺を寄せて言われ、ディーンは目を見開く。父よりもずっと年を重ねた心理学のプロフェッショナルの前には、もしかするとディーンが藁にも縋りたい思いでここへ来たことも、本当は新聞記者なんかではないことも、何もかもお見通しなのかもしれなかった。

 

昼になって、図書館司書のエイミーとの約束を思い出し、迎えに行くと、彼女は覚えていてくれたのね、ととても嬉しそうな顔で待ち合わせに現れた。自分はこのあたりは不案内だから君の好きな店で、というと昨日サムとランチをした店に連れて行かれる。どうやら本当に人気の店らしい。

ランチタイムを少しずらしただけの今はほぼ満席で、二日連続だとも言えず、混雑した店内を避けて木陰のガーデンテラス席につく。楽しそうに職場の事を話すエイミーに少し上の空で相槌を打ちながらビールを飲み、また山盛りのボリュームの日替わりのランチを食べた。

「実は今日も、あなたみたいに紹介状を持たずに図書館に来て入れてくれって頼み込んできた人がいたのだけど、丁重にお断りしてしまったわ」

 食後のコーヒーを飲みながら首をかしげて笑う彼女にへえ可哀想に、俺はラッキーだったんだな、と言うと少し照れた様に笑う。

「彼と俺は何が違ったんだろう?」

 そう聞くと、大概の女性は、だって貴方はとても素敵だから、とか、誘いが上手で断れなかったの、とか潤んだ瞳で告げてくる。  

そんなことに慣れているディーンは彼女もそうだろうな、と思って深く考えることなく聞いた。

 少し考えるようにしてエイミーはコーヒーカップを手で温める様にしてから呟いた。

「そうね…初めは勿論規則だから今まで通り断るつもりだったわ。でも…あなたはなんていうか…………とても、苦しそうに見えたの」

ハッとして顔を上げる。まじまじとエイミーの目を見た。

「ここに入れなければ、もう死にそう、っていうくらい瀕死に思えたの。だから、今までに破った事のない規則を犯してでも、入れてあげなきゃと思ったのよ」

「…そんなに、俺は情けない顔してた?」

何とも言えずに誤魔化すように苦笑して言うと、いいえ、と真面目な表情で言われる。

「顔は微笑んでいたし、出る言葉はランチのナンパだったけれど、…ごめんなさいね、あなたずぶ濡れの仔犬みたいに思えたの。私が助けなかったらこの子死んじゃう、みたいな」

 困ったように言ってから、あら、そろそろ戻らないと、と立ち上がる彼女の上着を着せてやりながら、その後ろ姿にThanx、と呟く。

会計を済ませて送って別れる。何度もしてきたことだ。

狩りの情報を得る為でも、一夜の恋の為でも。

明るい日差しの下で、緑の木々が鮮やかな並木道を、また図書館でね、と手を振って去っていくエイミーは、澄んだブラウンアイズが美しいだけでなく。艶やかに波打つダークブラウンのヘアも綺麗で―目立つタイプではないが、とても柔らかく優しい顔立ちをしていることに初めて気付いた。ディーンが思っていたより、彼女はずっと素敵な女性だった。―教授もそうだ。

ちょろい女だと自惚れて、引退間近のお祖母ちゃん教授だと、軽く見ていた自分を省みて、―俺にはそれしかないのだからしょうがないと内心で言い訳がましく反論もしつつ―ディーンは、少し、今までの所業を反省したい気持ちになった。

 

**********

 

 夕方、サムからのメールで、カウンターにいたエイミーに目で挨拶をしてから図書館を出る。午後もずっとパソコンで記憶を回復するすべについて検索をしていたが、目ぼしい発見はなかった。

「ヘイ!どうしたの、目が赤いよ?」

 待ち合わせ場所で助手席に乗り込んできたサムが心配そうに覗き込んでくる。

「あぁ、ちょっと今日はずっとパソコンを弄ってたもんだから…」

「モニターは目に悪いからね。続けて使う時には一時間に一回くらいは休憩しないとダメだよ」

 目薬あるけど使う?と言われていや、ありがたいがいい、と答える。

サムが普段愛用している目薬は恐ろしい程メンソールが効いたクールな代物で、以前目がかゆい時に点されてエラい目に遭った覚えがあった。あれを点されるくらいならかゆいままのほうがまだマシだ。またあんな目にあってたまるか、とディーンが内心ブルッていると、そんな事を知る由もないサムはそう?とまだ心配そうに見ていた。

「まあ、目は大丈夫だけどさ。腹減らないか?」

「あぁ、じゃあどこか食べに行こうか!この間は肉だったから、うーん、この辺だとあと美味しいのは、中華か、あとビールとタコスの美味しいので有名な店もあるけど」

「どうせ俺は毎日このへんをウロチョロしてるんだ、全部制覇しちまうさ。というわけで、今日は中華でどうだ?」

 勿論、サムに否やのある筈もない。すぐ側の店の前に車を停め、またもや量が多くて値段が安い中華に入る。隣の席に来た餡かけヤキソバの量を見て何人分なのだとぎょっとすると一人分でたまげた。

「学生相手の商売だからさ、客を呼ぶには量で勝負しないとね。でもここは、味も保証済みだから」

 笑って言うサムとメニューを見ながら何品かシェアすることにして頼む。先に来たビールとサイダーで乾杯をした。

 フカヒレもどきのスープとエビチリ、ピリ辛の焼き飯が乗った大皿料理の味に満足して頬張りながら、ちらりとサムの様子を窺う。

 ここにあるのは、ディーンの知らないサムの姿だった。

 家族と縁を切り、闇の生き物と対峙する狩りと決別して、光の差す世界を生きていこうと必死に足掻いている。

 愛するジェスと共に幸せな日々を送っている彼に、自分の存在は厄介者でしかないのかもしれない。でも、すんなりと諦めてしまうわけにはいかなかった。

 これは、賭けだ。ディーンは思った。サムが、思い出すかどうかはわからない。だけれど、脳科学を極めた博士がいった事例をディーンは思い出す。

 

 思い出のある写真を見せ、行った事のある場所へ連れていく。諦めずに根気良く繰り返すこと。

 それで、記憶が回復した例が、いくつかあるという。偶然なのか、そのせいなのかは分からない。でもやってみる価値はあると思った。

 食事を終えて、ジャスミン茶を啜りながら懐から手帳を取り出す。

「弟と一緒に撮った写真て言うのは、殆どないんだが…荷物を整理してたら、懐かしい写真が出て来たんだ」

 挟んであった写真をちらつかせながら、見るか?と促すとへえ、見せて、と箸を置いて手を伸ばしてくる。

写真には、父と7歳のディーンと。そして、3歳の幼いサムが写っていた。まだ父とサムの諍いもなく、幼い兄弟は狩りの間ジム牧師に預けられることが多かった、平和な時代だ。

 これが君で―、と見入っていたサムの表情が、微妙に強張る。

 それに気付いていない振りでディーンは続けた。

「大人になってからは、写真を撮る習慣がなくて全然撮っていないんだが…少しでも、弟と撮っておけば良かったな。…どうかしたか?」

 本当にそう思いながら言うと、いや、別に…と言いながら、サムはその写真にまだ見入っていた。

 恐らく、写真のディーンの父が、若い頃のサムの父にそっくりで、しかも弟のサムが幼い頃の自分に酷く似ていることに気付いたのだろう。

 どうか、これが切っ掛けになってくれれば。

ビールのグラスを持ち上げながら、写真から目を離せずにいるサムを、ディーンは願いを込めてじっと見つめていた。












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