【 雷鳴が聞こえる前に 】 【6】 |
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Remainder
6 day
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“…ミー…サミー、ほら、いつまで寝てんだ ”
“そんな寝汚くてよく今まで生きてこられたな ”
“さて行くか…おい、お前眼ヤニ付いてるぞ?きたねぇな、オトコ前が台無しだ!…よし、取れた。これで今日の朝メシはお前のオゴリだな ”
ハハッと笑ってバン!と背中を叩かれる感触がする。
薄らと曇ったような視界の中で、誰かが楽しそうに話しかけてくるのが聞こえる。自分が何か軽口を言い返しているのを感じるのだが、何と言ったのかは分からない。
誰なんだろう。とても親しそうだ。良く分からないのに、自分がその会話の相手をとても信頼して、そして、―その相手に、他の人間には抱き得ない特別な感情を抱いているのが分かった。なのに、それが誰なのか。夢の中の自分には、どうしても思い出す事ができなかった。
**********
艶やかに光を弾くブラックのシボレーインパラが目の前に滑り込んでくる。かなり派手な車だ。擦れ違った近所の老婦人が訝しげに振り返るのが見えた。
「おはよう!」
目の前に停まった助手席の窓から覗き込むようにして、サムは明るく運転席へ声を掛ける。
「ヘイ、…あー、お前の車はどこにあるんだ?」
少し眠そうな顔で頷くと、ディーン―昨日知り合ったばかりのサムの最も新しい友人―は周りを見回した。
アパートの裏側に駐車してあるサムの車まで案内すると、工具箱を持ってきたディーンはボンネットを開けてじっと中を覗き込んでいる。正直言って、空けてみても車に詳しくないサムには何処がどうなっているのかサッパリわからない。パソコンの中身ならいじれるのだが、車は専門外だ。徐にディーンは持参した工具箱を開けた。中には使い込んだ道具や細かな部品が詰め込まれていて、軍手を嵌めると、手慣れた様子でディーンはバルブを外し始めた。
それを見ながらサムは昨日の出来事を思い出していた。
昨日故障した車を一緒に路肩に避ける手伝いをしてくれ、その上スタンフォード大まで送ってくれた上に、帰りも連絡しろとまで言ってくれた初対面のディーンの携帯番号に、甘えていいものなのか少し迷ったけれど、結局サムはダメ元で電話を掛けてみることにした。
面接は昼過ぎには終わり、ちょっと早過ぎるような気もしたから、都合が悪いと言われればすぐさま諦めるつもりで。
“…ハロウ”
すると、ディーンは予想外にもすぐに電話に出た。
遠慮がちに話し始める。
“ヘイ!さっき送ってもらったサムだよ ”
“あぁ。…面接はどうだった? ”
“なんとか無事に終わったよ。後はもう運を天に任せるのみさ ”
おどけて言うと、苦笑が返ってくる。
“…実は、僕の用事はもう終わってしまったんだけど…まだ、早過ぎるよね ”
遠慮がちにいうと、いや、今何処だ?と場所を聞かれる。
“えーと、さっき別れた門の近くの棟のあたりだけど ”
“俺は今構内の図書館にいるんだ。車は一般外来用のパーキングに停めてある ”
予想外にも構内にいるという返事に驚くと、用事が終わったんなら昼メシでも食いに行かないか、という誘いに喜んで同意する。
“いいね!それなら今日のお礼に、僕におごらせてよ。近くに安くて美味い店があるんだ ”
学内のカフェテリアも安くて悪くはない味だが、礼をするという名目には合わないような気がしてそう言う。さっきのところまで車を回すから少し待っててくれと言われ、一旦電話を切った。
待つほどもなく、さっき乗せてもらった黒光りする人目を引くクラシック・カーがサムを見つけて目の前に滑り込んでくる。
簡単に道順を説明すると土地勘はないようだが頭の回転が速いのか彼はすぐに理解してくれて、二度目のナビは必要なく、古めかしいクラシックロックをBGMに10分程のドライブで、二人を乗せたインパラはスムーズに店へと到着した。
ランチのピークを少し外したカフェは比較的空いていて、それぞれ店オススメのランチコースと、そして昼間っから彼はビールを頼んだ。
Two Beer、というのに、僕はいいよと言うと合格の前祝いだ、と笑って言われて断れない。昼間っから飲酒運転か?と内心でツッコミながらも苦笑して瓶を軽く合わせて乾杯をする。
「今日は本当に助かったよ。君が助けてくれなかったら、多分面接に遅刻してた」
もう一度ありがとう、と改めて言うといや、とビールを呷りながら彼は目を逸らす。
「まあ、別にお前を救ったんじゃなくて、俺は、未来の依頼人達を救ったんだな」
意味が分からなくてきょとんとするが、どうもサムが弁護士になった後の依頼人の話をしているらしい。気が早過ぎて思わず笑ってしまう。
何笑ってんだ、と憮然とする彼に、ロースクールの現状を伝える。
「アメリカではさ、弁護士って実は結構余ってるんだよね…。余ってる上に毎年膨大な人数の卒業生が飛び出していく。晴れてロースクールに受かっても、学院でトップクラスの成績を収めて学生時に司法事務所に目をつけて認めてもらえないと、弁護士としての就職なんて夢のまた夢なんだ。資格を持っていても働ける場所が無くて、法律バカの潰しがきかない資格だから、翻訳や通訳をしてなんとか糊口を凌いでいるロウヤーがたくさんいるんだって……」
今日の面接でも言われた事だった。狭き門を通ってもその先の未来は甘くないらしい。
思わず愚痴ってしまう形になったサムを、フン、と鼻で笑ってディーンはビールの瓶を、置かれたままのサムの瓶とチンと音を立てて合わせる。
「それでも、どうやっても弁護士になりたいから、わざわざ―見知らぬ、俺の車に乗ってまで、面接に通りたかったんじゃないのか?」
ハッと顔を上げる。
「なりたいんだろ、弁護士に」
ディーンは、窺うようにして顔を傾けて聞く。サムの心を見透かすように見つめる深いエメラルドを光に融かしたような瞳に、まるで魔力があるように思わず動きを止め視線を吸い込まれる。
綺麗だ、と素直に思った。こんな瞳の色見た事がない。彼が女だったらどんな男でもこの目で落とせただろう。惚れ薬を盛るまでもなく見つめるだけでイチコロだ。自分にはジェスがいるし、彼は男なのだからそれはあり得ないけれど。
その目に瞬きもせずにじっと強く射抜かれ、サムは言葉を失った。今日、初対面の彼に分かってしまう程に、自分はガツガツしてしまっていたのだろうか。
口をつけただけで置いておいたビールを取り上げてぐっと煽る。それから、ゆっくりと口を開いた。
「…あぁ、なりたいよ。僕はどうしても弁護士になって、独り立ちして…そして真っ当な、明るい世界で生きていくんだ」
目の前の彼に話す形をとりながら、自分自身に言い聞かせるようにして呟いた。
そうだ、スタンフォードの法科大学院は全米でも有数のレベルを誇っている。僕はそこを卒業して、絶対に弁護士になるんだ。それも底辺をうろつくんじゃなく、依頼が引きも切らない、一流の弁護士に。
そこへ頼んだ料理が来て、一旦話は途切れた。日替わりの分厚いステーキに、山盛りのサラダとスープに焼き立てのパンとそれぞれ格闘する。この店は量が多いのに驚くほど安く、そして値段に見合わない美味さでスタンフォードの学生達にも人気が高い。
彼も空腹だったようで、一息つくまでは無言で互いに目の前の山を崩すことに精を出す。あらかた皿を空にして、一息つき、馴染みのウェイトレスがお代わり自由のコーヒーを持ってきてくれたとき、ふと疑問に思って聞く。
「ディーン、君今日図書館にいたって言ってたよね?うちの大学の図書館は確か一般外来者の入館を認めていないと思ったけど…」
図書館に入るには、学生証と兼用のIDパスが必要になっている。
家業を手伝っていると言っていたから大学生ではないと思うが、と思って聞くと、ここだけの話だが司書を口説いてビジターパスを作ってもらったのだという。
「え、司書のエイミーに!?彼女美人だけど割と固くて、誰もまだ落とせた奴いないって友達がボヤいてたのに!」
苦笑して言うと、「俺は腕がいいからな」とニヤリとコーヒーカップを持ち上げて言う。
他の奴が言ったんなら馬鹿言うなよとツッコミたくなるセリフだが、目の前の彼が言うと素直に納得してしまう。
初対面の時にも思ったが、彼は―とても美しい風貌をしていた。
ただ姿かたちが綺麗なだけの男なら広いこの街には五万といる。だが、ディーンの美しさは―なんというか、磨き上げられた宝石になる前の石を無造作にボロ布で覆い、その隙間から洩れ出でる隠しきれない煌めきのような、何とも不思議に人目を引くアンバランスな魅力があった。
乗っている車がアレで着ているのが革ジャンに綻びたジーンズのうえ仕草がぶっきらぼうだから粗雑なイメージがあるが、よくよく見てみればつるりとした肌にセットした短いけれど柔らかそうなダークブロンド。丁寧に彫られた彫刻のような顔立ちに、向かい合って座ると、見つめているのが怖くなるほど透き通ったヘイゼルグリーンの瞳に捉えられる。
影が出来るほど濃い睫毛も男にしておくのが勿体無い程セクシーなのに、ぷるっと膨らんだ熟れた果実のようなくちびるとよく動く表情が愛嬌を感じさせ、親近感を覚えさせる。
お固いエイミーが規則を破って陥落するのも無理はないとサムは心から同情した。
「…おい、オレの顔になにかついてるのか?」
居心地悪そうにされて、自分がまじまじとディーンの顔を見つめてしまっていた事に気付いて慌てる。
「いや、ゴメン。エイミーが落ちるのも無理はないかなと思ってさ」
からかうでもなくそう言うとお前ゲイか!?と身体を抱き締めるようなポーズでサムを睨むのに笑ってしまう。
僕はゲイじゃないけど友人にはたくさんいるよ、君ソッチの人にもモテそうだよね?と澄ました顔で言うと、Oh God、と情けない声を出している。
「君はカリフォルニアに住んでるんじゃないんだ?」
カリフォルニアに住んでいてゲイ嫌悪者だなんて組み合わせが悪すぎる。
「あぁ、実家は―ローレンスだ。カンザス州の」
ぴくり、とコーヒーカップを持ち上げようとした手が止まる。
その場所は、サムにも思い出のある場所だった。ただし、悪い意味での。
「―どうした?」
動きを止めたサムを訝しげに見るディーンに、いや、と返事をして微笑を返し、平静を装う。コーヒーを啜ってから、サムは話題を変えようと口を開いた。
「―それで、君はなぜ図書館に行っていたの?」
遅いランチを取ったサム行きつけの店が、ランチタイムの終わりで一旦店を閉める時間になり、追い出されたかたちになった二人は、近くのコーヒーショップに場所を移した。
大学の図書館で司書のエイミーを口説いてまで入って、一体何をしていたのかと聞くとディーンはラテのカップを手で包み、視線を落として口を開いた。
弟が父親と喧嘩をして家出をし、音信不通になってしまったのだと。
スタンフォードに奨学金で入学したらしいというところまではわかったが学部や何処に住んでいるのかなど詳しい事はまったくわからない。
―実は、父親が、危篤とまではいかないけれど体の調子が悪く、弟にとても会いたがっている。
「…それで、俺は仕事を休んで、弟を探しにここまで来たってワケなんだ」
とディーンは目をようやくこちらに向けた。真摯な色の目だった。
「…大切な弟さんなんだね」
その目の色を見てサムが言うと、面食らったようにディーンは気まずそうな顔をした。
「…まぁな。ふたりきりの兄弟だし…」
「弟さんの名前は?」
「…実は、あー、偶然なんだが……君と同じ、なんだ」
「え…サム?サム・ウィンチェスター?ほんとに!?同姓同名だなんて、なんてすごい偶然なんだろう!!」
サムは驚いて椅子から仰け反る。名前はポピュラーだが、名字が珍しい為、今まで24年間生きて来て同姓同名に会ったのは初めてのことだった。
「…だけど、僕が四年通ってる間で知る限りでは、ウィンチェスターに学内で会ったことはないな」
申し訳なさそうに言ってから、でも大学はすごく広いから、勿論自分が会っていないだけの可能性は大きい。個人情報の保護が厳しいからどうなるかは分からないけれど、事務科に行ってとりあえず事情を話せば、連絡くらいは付けてくれるかも、と付け加える。
すると、困ったようにしてディーンは眉をしかめた。
「いや、そういう探し方をしたらたぶん弟は怒る、すごく」
それで雲隠れされても困るし、それにアイツはなんて言うか、頭いいくせにコドモみたいで、すごく気難しいんだ、本当に参るよ、と言われて苦笑する。
どうやら自覚はないようだが、彼はとてもその弟を可愛がっているらしい。サムには兄弟がいないからわからないが、そんな風に思ってくれる兄がいたら、冷戦関係の父との間に入ってくれて、父との間も少しは違っていただろうかと思う。
「でも、お父さんの具合、心配だよね。僕も、気にかけておくから」
バニララテのグランデを持ち上げながら言うと、Thanx、と小さく笑う。
猫舌なのか、サムがラテを半分以上飲んだ頃に、彼はようやくコーヒーに口をつけ始めた。
「俺も、そんなこんなで今スタンフォードしか手がかりが無くて、図書館や食堂や―人が多く集まりそうな場所とか、あいつが通りそうな場所を張って、しばらくこのあたりを探そうと思ってるんだ。だから、明日明るいうちでよければ、車を見てやるよ。多分バッテリー関係か、発電機回りじゃないかと思うから」
「本当に!?ありがとう、すごく助かるよ!」
砕顔して手を握らんばかりにして言うと、困った様に頷いて視線を逸らす。どうもこのディーンは、人から感謝されることに慣れていないのか、それとももしかしたら、酷くシャイなのかもしれない。こんなに綺麗で親切な人なのに、人間関係に疎そうだなんて不思議だな、とサムは思う。
その日は、そのあと日が暮れるまでカフェを梯子したりこのあたりが不案内だというディーンに周辺を案内しながら、いろいろな事を喋って一緒に過ごした。
下らない大学のトリビアを話し、彼の家業である便利屋のような仕事の笑える失敗を聞いているだけで、今日会ったばかりなのに、別れる頃にはすっかり十年来の友人のように親しくなっていた。
一緒に住んでいる彼女に紹介したいからと言って家に誘うと、今日はこの後用があるからと言って悪いなと断られてしまった。
残念だがまたの機会があるだろう。
そのまま朝乗せてもらった側の交差点で下ろしてもらい、サムとディーンは明日の朝の迎えを約束して別れた。
夜になって帰ってきたジェシカに今日の出来事を話すと、彼女はお湯を沸かしながらキッチンから顔を出して、もとから大きな目を更に見開いて心配そうに言った。
「それで、その人は明日も送ってくれるって言うの?なんていい人…というか、少し親切過ぎないかしら。後で法外な御礼を要求されたりとかしたりしない?」
「いや、そんな事しそうな人じゃないんだよ。お礼って言っても僕はランチ代しか出してないし、その後のカフェでは彼が出してくれたくらいだしね。本当に、今日は彼に出会えたおかげで助かったよ」
神のご加護かな、と冗談交じりに言うと、納得してくれたのか、そうね、あなたは日頃の行いがいいもの、と頬にキスしてくれる。
ふわりと優しく香る彼女のパフュームに思わず頬が緩んだ。
「―ところで、お祖母さんの具合はどう?」
「えぇ、まあまあっていうか…もう、年だしね…。でも、誕生パーティには絶対家に帰って出るわよって意気込んでいたわ」
苦笑しながら言うジェシカにコーヒーを渡され、礼を言ってキスを返す。
「出てもらえるといいね。二十二回目の愛する孫娘の誕生日だし。なんなら、病室でパーティをしたらどう?」
周りの患者さんに怒られちゃうわ、と笑って、ジェシカはバスルームに消えた。
彼女の祖母は85歳という高齢もあって、先日から体調を崩して入院している。もう何度目かの入院という事で、家族も少々覚悟をしているみたいだが、当の本人は一番可愛がっているという末の孫のジェシカの誕生パーティを何よりも楽しみにして頑張っているという。彼女も講義の合間を縫っては毎日のように病院に通い、大好きな祖母との時間を持つようにしているようだ。どんな差し入れより、孫の笑顔が祖母には何よりの見舞いなのだろう。
頑張ってくれるといいな、とサムは思う。
六日後にジェシカの家で開かれる予定の彼女の誕生日パーティには、勿論サムも出席をする予定だ。中小企業だがいくつかの会社の経営者である彼女の父親はとてもいい人で、一度会っただけのサムをとても気に入ってくれ、今までのボーイフレンドの中ではダントツだなとふざけてはジェシカを怒らせていた。母親は料理教室の講師をしていて、自宅に帰るたびに店で食べるような見事なお菓子やケーキを毎回彼女に持たせてくれる。娘の将来を思いやる父と母。郊外の一軒家に犬を飼って、可愛い一人娘の幸福を心から願っている。 それは、サムが夢に描く理想の―『普通の』生活を絵にかいたような、そんな幸福の姿だった。
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難しい顔をしてあちこちを弄っていたディーンがため息をついた。
「―やっぱり、バッテリーじゃなくて、発電機だな。このクルマ、中古で買ったか?」
「あ、うん、二カ月くらい前に―」
二カ月か、とディーンは渋い顔をする。
何かダメなのかい?と聞くと、中古車は通常購入後一か月程度までしか部品の保障をしないらしい。明らかに購入前の故障だと証明できればいいのだけれど、それも難しいから大概の場合、二カ月前だと自腹になってしまうのだという。
「それなら、しょうがないから払うよ。これも運だし」
そう言うと、自分の知っているところなら安くしてくれると思うが、取り寄せに時間がかかってしまう。この近くに整備工場があったけど、部品だけ頼んで工賃は自分が直せば必要ないから、とディーンは言った。
車で十分ほどの距離にある大通り沿いの工場は、以前ジェシカの車をぶつけられた時に修理に出したことがある。携帯の電話帳を探すと電話番号が見つかった。それをディーンに告げると、すぐに電話を掛ける。
発電機の故障らしいという状況を告げ、先程メモしておいた車の型番を告げる。通話を切ったディーンから、古い型だから取り寄せに5日程度かかると言われたと伝えられて思わず叫んで上を見上げる。
「5日も!?そんなにかかるなんて…」
思わずがっくりと肩を落とす。ロースクールの入学準備―入れればだが―に関する細々した用事や教授に卒業生に会わせてもらう予定など、大学に通わなくてはならない用事はまだまだある。ジェシカも車を持っているが、彼女は今実家と祖母の病院との往復で外出している事が多い。サムの送迎を頼むことなど出来そうにない。このアパートは車があることを前提にした場所に立っているから住み易いが車なしでは酷く不便だ。電車とバスで遠回りをして通うかレンタカーを借りるかとサムは自分のツイていなさに意気消沈していた。
すると、軽く咳払いが聞こえて、ディーンがヘイ、と口を開いた。
「俺もここ数日はまだスタンフォードの辺りを探しに行く予定だし、お前のアパートはモーテルからの道なりだから、ついでで良ければ行き帰り乗せてってやるぜ?」
それは、願ってもない申し出だった。彼はジェシカが心配したように―サムの人を見る目が確かなら―法外な御礼など要求しそうにもないし、おまけにタダで車まで直してくれるという。
「でも…そんなに甘えてしまっても、僕には大したお礼もできないのに、」
払えるとしても、普通に整備工場で直してもらった金額くらいしか。そう言うと、やはり別に礼なんていらないぜと言う。
やはり甘え過ぎのような気がして躊躇していると、ディーンはぽつりと、弟を探している時間以外は、実は手持ち無沙汰でちょっと暇なんだよな、と呟いた。
こっちには知り合いも全然いないし、と少し寂しそうに言われて、彼の事情を思い出し、胸が痛む。
弟が見つかるまでの期限付き親切だから気にするな、と冗談交じりにいわれてようやくサムは笑顔で頷いた。
大学まで送ってくれる彼の横顔を見ながら、弟さんがどうか見つかるように、自分に出来る事なら何でもしてあげよう、そう思った。
ふと学生課のシェイラの顔が浮かぶ。彼女には入学時の奨学金の手続きの時から世話になっている顔見知りだ。どうにかしてディーンの弟の事を調べられないか、ダメ元で聞いてみるのもいいかもしれないとサムは思った。
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