【 雷鳴が聞こえる前に 】 【20】 |
********** ディーンの様子がおかしい。 元からおかしかったが、もっとおかしい。その事に、ようやくサムは気付き始めていた。 病院を無理に退院した、その翌日。 「いい加減に、言ってもらうよ、ディーン」 耐え切れなくなって、バスルームから出ると、サムは我慢していた口を開いた。 「はぁ?何のことだ?」 ぐったりとベッドにうつ伏せになっていたディーンは、先程サムが着せかけた上掛けをはらりと落としてだるそうに身体を起こそうとする。慌てて駆け寄って背中にクッションを入れて起き易くしてやるが、その時に何も身に着けていないディーンの胸元に、自分が先程吸い付いたキスマークがいくつも残っているのに赤面して顔を背けた。 少し体重が落ちた肌に、ついたしるしは全てサムの記憶にあるものだ。ぷくんとしたままの乳首も、吸われ過ぎて濃いピンクに染まったまま腫れている。それもこれも――。 「ディーン、君おかしいよ。身体はまだ辛い筈なのに、こんな、欲しがってばかりで。…絶対に何かあったんだ。そのくらい僕にだって分かる」 「…一回死に掛けたから、弟のアリガタミってのが分かったんじゃねえのか」 そんなんじゃない、とサムは言い切った。サイキックじゃなくてもそのくらいのことは分かる。 ビールもジャンクフードも禁止。そう言って、オートミールや野菜スープのテイクアウトを用意したサムに文句は言っても黙々と食べる。薬も嫌がらずに飲むし、外に出たいともバーに行こうぜとも言わない。 世話をするサムの方が驚くほど、言葉で悪態はつくが大人しくなり、―ただ、サムを欲しがる。 セックスという意味でなくとも、傍に居ないと不安になり、目に入る位置にいる時にはずっと目で追っているのが分かる。サムが触れていないとうまく眠れないようだったし、触れると心底安堵しているのがわかる。 普段の彼なら、そんな弱さをサムに見せる事を嫌う。そんな彼から躊躇いを剥ぎとった何か。形振り構っていられないようなそんな出来事があったのではないか、とサムは悟り始めていた。 魔物を倒す時に何かあったのか。もしくは落雷に遭う前に悪魔に何かをされたのではないか、と。 散々問い質すが、ディーンは口を閉ざしている。 だが、そんなに僕が信用できないなら出ていくよ、と脅され。結局、ディーンは迷いながらも一連の出来事をサムに伝える羽目に陥ってしまった。 ********** 「僕が‥ディーンの記憶を、なくしていた…?」 呆然としてサムは繰り返す。 大まかに説明しようと思ったのに、誤魔化そうとするところ毎に細かく突っ込まれ、結局ディーンは、あの7日間の一部始終を―風呂上がりにサムを誘ったことは除いて―すっかり吐かされてしまう事になった。 思い出しても辛く、語るのにも長いその話を、聞き終わったサムは信じられない、というかのように口元を押さえて目を伏せている。 「ごめん……」 ぽつりと呟かれて、ディーンは驚く。 「どうして、…あれは、お前のせいじゃないだろ」 「だけど…辛かっただろう?僕なら、もし君に忘れられてしまったら、きっと、すごく辛いよ…」 耐えられない、そう言われて、ディーンは思わずくちびるを噛む。目の奥が勝手に潤んできそうになるのをぐっと堪えた。 極力自分の感情を排除して伝えたつもりだったが、ディーンが死を覚悟するほどに苦しんだ日々が、サムには伝わってしまったのかもしれない。 だけど、どうしてディーンは戻ってこられたんだろう、僕は思い出せたんだろうか、と聞かれて考え込む。 多分、あの時。本当は、期限までにサムの記憶を取り戻せなかったディーンの上に。雷は落ちる筈だったのではなかったのだろうか。 雷鳴が聞こえた時、何故だかディーンは、自分の命が尽きる予感を感じた気がした。 そして、あの時の約束どおり、願いの代わりに命を持っていかれる筈だった。 だけれども、そこへサムが追いかけてきて、そして―落雷がもう一度サムに落ちた、だから――、違う。その前に、サムはディーンを追い掛けて来てくれていた。 まだ何一つ、ディーンの事を思い出せていない筈だったのに。 何故なのだろう。今のサムに聞いても分かる筈もなく。答えは永遠の謎になるようだった。 サムが倒れていたあの豪雨の狩りの日から、ディーンが倒れていたあのときまでの、全てが夢だったのだと思えば合点がいくが、それにしてはあまりにも全てがリアルで、残酷で―そして、夢にしてはあまりにも全てが長過ぎた。 「―たぶん、……コレ、のおかげかもな…」 首から下げた、焼け焦げた様子もなくいつも通りの鈍い金に光るアミュレットを指差す。サムが、幼い頃にディーンにくれた御守り。それ以来、いつでもどんな時でも、それはディーンと共に有った。 ふうん、と納得したようなしていないような顔で、サムはディーンの首に下がっているアミュレットのヘッドを掴むと、顔を寄せてチュッと口付けた。 「な、なにすんだ!」 驚いてディーンがひったくると、サムはきょとんとした顔で言う。 「これからも、いつでもいつまでも、ずっとディーンを守ってくれますようにって―お祈り」 毒のない顔で笑うサムの子犬のような笑顔が、今のディーンには心から愛しく感じる。死に掛けたばかりなせいか、皮肉なジョークを言う気は微塵も湧いてこなかった。 「…お祈りなんて無駄な事すんなら、…」 “俺に、しろ ”と言いたくて、でもそんなバカバカしいことは言えずに、言葉を止める。 だがサムには通じてしまったらしく、すぐさま酷く熱いキスが降ってきた。ディーンの体調を気付かってか、いつもよりずっと優しく丁寧に扱われる。もっとサムを深く感じたいディーンには、それがやけにもどかしかった。 サムの熱くて薄い唇と焼けるような舌を感じながら思う。 俺を救うのは、やっぱりいつでもお前なのかもしれない。 今までは、ずっと後ろを着いて来ている弟だと思っていた。助けたり、助けられたりでも、自分が先頭を切って弟を守っているつもりでいた。 だけれども、気付けばいつのまにか後ろから来るその光に、行く先の道を照らされてる。 ―どこまでも、サムと一緒なら歩いていける。 どれだけ血を流しても、どんなに険しい道程がこの先に待っていようとも。お前がいれば―――。 「ディーン……?」 そっと唇を離され、優しくゆびさきで目元を拭われてようやく、また自分が涙を流していた事に気付いた。 見られたくなくて、手荒くシャツの袖でぐいぐいと拭ってから、気を取り直して、サム、と呼ぶ。 心配そうに見下ろしていた弟は、それを見てようやく少し困ったような笑みを浮かべて近付いてきた。 ―したいことをしよう。人生は長くはない。 今、俺がしたいのは一体なんだ?考えろ、ディーン。 自問自答をしながら、両手を伸ばして、何より大切な弟の熱く大きな背中をぎゅっと抱き締める。 あぁ、サムだ。俺の、――。 まだ強くは力の入らない腕で必死にしがみ付けば、それ以上の強さで抱き返される。サムと触れているところからじんわりと熱が広がる。 ―サムが、生きている。俺を知ってる。そして―ここにいる。俺の、側に。 それだけで、もう、なにもいらなかった。
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