【 雷鳴が聞こえる前に 】
【1】















 

先が良く見えないほどの激しい雨がバシャバシャと強く地面を叩き、深い森の梢を揺らしている。

真っ暗な中に時折稲妻が鳴り響き、青い光がフラッシュする。

 

ディーンは叫んでいた。ただ、サムの名前を。

 

狩りの途中だった。

二人は、逃げながら反撃を繰り返す魔物を仕留めるために、二手に分かれて敵の居場所を探りながら前後から追い詰めていた。その矢先の出来事だった。

じりじりと遠巻きに距離を狭めていく最中、途中からスコールのように猛烈な勢いで雨が降り出した。

獣に近い属性のそれはヒトより雨を嫌う。二人にとっては恵みの雨になる―筈、だった。

先に敵を追い詰めたディーンが無事に魔物を倒した瞬間、腹に響く轟きと共に自身が立つ場所から僅か数メートルの近さの木に、爆音と共に激しい落雷が直撃した。

空気が震えるほどのそれに、相当の樹齢を誇っていた老木は、見るも無残にその幹を割られる。ぷすぷすという音と共に炎が上がる。

だがこの雨の勢いではそれもすぐに鎮火するだろうと思われた。

不意にサムが心配になり、魔物の絶命を確認してから、雨風にかき消されそうになりながらも名前を呼び始める。

答えが返らないことを不安に思い、嫌な胸騒ぎを感じてディーンは走り出した。

それほど距離のないところで、唐突に心臓が止まりそうになる。

サムは―この豪雨の中、四肢を投げ出してぐったりと倒れていた。

 

―心臓が動いていない

落雷の余波を受けたのではないかと直感したディーンがとっさに当てた手には、どこに触れてもサムの鼓動は返らなかった。

すぐさま銃を投げ出し、人工呼吸と心臓マッサージを繰り返す。幼い頃からの生活上、必須事項として父から様々の応急救護の方法は学んでいた。

だが、ディーンがどれほど的確にそれを行っても、それを一緒に学んだサムの心臓は動き出す事はなかった。

運悪く魔物を追って入ってきたここは深い森の中で、911にコールしたとしてもいったいどのくらいかかるのか。インパラで病院に向かっても、おそらく1時間以上はかかるだろう。

それでは到底間に合わない。

直感で、もう間に合わない事がディーンにはわかっていた。

だけれども諦められるわけなどなかった。

サムの名前を呼ぶ。頬を手で包み、ひたすらに叫ぶ。

戻れ、と。

まだお前は死ぬ筈じゃない、サム、サミィ、頼む。

必死のディーンの声が聞こえる事もなく、サムの身体は雨に打たれたまま徐々に体温を失っていった。呆然として気付けば、彼の耳と鼻から、いのちが零れるかのように鮮やかな色の血が滴っていた。

どうしようもなくなってディーンは震えながら頭を振り、必死にぐったりとしたサムを抱き締めた。

サムが、冷たくなってしまう。

サムを助けられない無力な自分を殺したいほど憎いと思った。無意識のまま、ディーンは喘ぐように叫んでいた。

 

頼む、何でもする、という慟哭が深い夜の森に響き渡っては消える。

 

誰か、サムを助けてくれ――――。

 

不意に、ずっと遠くでゴロゴロと不愉快な音を鳴らしていた雷が止んだ。

動かなくなったサムをかき抱いて必死に暖めるディーンの前に、気が付くと老人が現れた。

悪魔か、死神か。

深夜の森の奥に上等そうなスーツを着込んだ高齢の男が、豪雨の中に一滴の濡れもなく現れる事のすべてが、彼が普通の人間ではない事を告げていた。

だが、誰でも良かった。サムを助けてくれるのなら。

男は、黒い大きな蝙蝠傘をたたんで杖のように持っていた。

 

―そんなに願うのならサムを助けてやろう、と男は囁く。

 

腕でも足でも、目でも何でも持って行け。

その代わりサムを、と。ディーンは身も世もなく男に縋った。

いいや、と悪魔のような男は楽しそうな声で言う。

 

もらうのは―記憶だ。

記憶?とディーンはオウム返しに問い返す。

 

もらうのは、サムの中にある、お前との時間だ。

助かったサムは、お前のことを忘れる。

サムの命を救ったお前を。お前から受けた愛を。お前への思いを。

この世からお前の存在だけを、すべて忘れ去ってしまう。

 

生き返ったサムが、お前を思い出す確率は、限りなく無いに等しい。

だが、思い出さなければ、サムが生き返った一週間後にお前の命をもらう。

 

―灯したサムの命の火の代わりに。

 

簡単なことだ。どうにかして、7日間の間に思い出させればいい。そうすれば何も奪われること無く、二人とも無事に生き残ることが出来る。

 

0に近い確率だといいながら、悪魔は簡単だといい笑う。

涙に濡れたディーンの目に笑う悪魔が映る。

それでも―良いのか、と悪魔は問うた。

 

躊躇いはしなかった。

 

それでいい、いいから、サムを助けてくれ、と、力無く倒れたサムを抱きしめたままディーンは必死に願った。

悪魔の顔から、笑みが消えた。

 

―ではお前達を戻してやろう。

 

サムが望んでいた、安全で、平穏で、そしてつまらない日常に。

死んだ恋人が、生きていた時間まで。

 

―そして、お前は忘れ去られる。

 

可哀想なディーン。

 

パチン、という音とともに遠くなる声は、何処かで聞いたことがあったような気がした。












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