Ja/Je R-18 |
【 Absynthe 】 【2】 |
それを買ったことに、特に意味はなかった。 ただ、撮影の合間に立ち寄ったバンクーバーのホルト・レンフリューのショップで、新作として発売されていたその試供品の香りを嗅いで、ふと彼を思い出したから。 男性用と決まっているわけでもなく、また、他に渡す相手がいないわけでもないのに。何故か、彼の事しか思い浮かばなかった。 薄く透き通るボトルにとろりと満ちたエメラルド色のパルファム。 金の文字に彩られた美しい曲線を描く瓶は、その香りと共に、彼の会った人間から言葉を奪うようなあの美しい碧青の瞳に、ぴったりのような気がしたから。 ちょうどバレンタインの時期だったこともあり、丁寧にラッピングされたそれを僕は彼に渡した。 受け取った彼は、きょとんとした顔で「男に香水か?」と笑いながら、それでもありがとう、と笑顔で受け取ってくれた。 だが、それが彼から馨ることは一度もなかった。 部屋で見ることもなかったから、あぁ気に入らなかったんだな、とそう思っていたのに。 ―それなのに。 涙の理由を問い質そうと口付けをするほどに近付いた時に、彼からほんの僅かに香ったのは、僕が彼に渡したアブサンだった。 クリスチャン ラクロワ アブサン オーデパルファム 間違えようもない。 薄荷を混ぜたような、少しくせのある、つける人間を選ぶような独特の緑の香り。 驚いて彼を見つめる。 顔を背け、堪えきれずに頬を伝った、ひとしずくの涙。 最後のこの時に彼から立ち昇った、初めてのほんの僅かな香り。 なぜ、出て行くという今になって、それを。 多分、こうして彼を追い詰めなければ、僕はそのことに気付かずに彼の後姿を見送っていただろう。 抱き締めるほどに近付かなければわからない。 恐らく僕が気付く可能性は無いだろうという、 そんな自己満足にも近い、あまりにも密やかな付け方で。 ―わからない、彼の気持ちが。 そして、自分自身の気持ちも分からないまま、どうしようもない衝動に駆られ。 「ジェン、僕は」 そう、言いかけたまま、何が言いたいのかも分からず。 気付けば、僕はジェンセンを抑え付け。激しくくちびるを重ねていた。 |
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