JaJe AU R-18 【 今日が残りの人生で最高の日 】 Today is the best day for the rest of our life |
薬が効いてきたのか、静かな呼吸音だけが聞こえる。 先にこうすれば、どんな最後でもせめて犬達だけは眠るように楽に逝けるだろう。 決断をしたのはジャレッドだった。 政府から配られたのは強力な睡眠薬。 富める者にも貧しい者にも、それは配られた。 最後は全ての者に平等にやってくる。残酷なほど。 残った薬は、ちょうど二人分。 一時間前に飲めば、誤差を考えても十分だ。 隕石が衝突する予測時間までは、まだあと12時間ある。 まだなのか、もうなのか。 この大量過ぎるビールを飲み干すには足りないかもしれないが、ささやかな心残りを解消するには十分なのかもしれないとジェンセンは思った。 電話がかろうじて繋がっていた間に家族や親しい友人には別れを告げた。 ぎりぎりまで諦めず撮影をしていた俺達にはもう何処かへ動ける時間はなかった。 飛行機も電車ももう動いていない。 どうにかして帰って来てという親に、最後に政府の広報が警告していたように、世界中が無秩序の混乱の渦に飲み込まれた今、車を飛ばして長距離を移動するのは危険すぎる事を告げる。 二度と逢えないけれど、でも皆すぐに同じ場所へ行くんだ。 だから大丈夫、と言って泣く家族を慰めた。 今ではもうその電話も繋がらなくなった。 回線がパンクしたまま放置されているのだろう。 管理する者にだって家族がいる。当然の事なのだろうなと思った。 自暴自棄になった輩はそこここで暴動を起こしている。 警察機構は完全に麻痺し、強盗も殺人も既に取り締まる者はいない。 何が起こるか分からないから、もうこの家からは出ないほうがいいだろうという結論に達した。 ひとりも助かる事は無い。 どんなシェルターも無理な地球をまるごと破壊するほどの巨大な隕石。 衝突すれば全ての生命を飲み込んだまま地球は爆発して塵になる。 たとえシャトルで宇宙へ逃げても、一生そこで生きられるわけじゃない。 いつか観た映画のような荒唐無稽な、だがそれは、いっそ滑稽なほど逃げ場の無い現実だった。 飲み過ぎて先程までくらくらしていた思考は、どこか限界を通り越してしまったのか今は冷水を浴びたように澄んでいる。 犬達が穏やかな眠りについたケージを眺めながら、リビングルームの床にぺたりと足を伸ばして座って壁に体を預け、もう何も映さなくなったテレビの砂嵐を見つめる。 「あー…ダラスカウボーイズの試合、もう一回観たかったな…」 ぽつりと独り言のようにいうと、…HDに録画してあるの見る?と隣からのんきな声が返るから、いや、いい、と苦笑して応える。 お前と、またシアトルに観に行きたいんだなんて無理なことは、もう言ってもしょうがない。 そっか、と呟くとビールからテキーラに酒を変えたジャレッドが、呷った酒瓶をん、と渡してくる。 無言で受け取ってくちをつける。 一気に傾ければ喉を焼く酒が食道を熱く通り抜けていく。 半ばその熱に押されるように、熱い息を吐いてからジェンセンは口を開いた。 「不思議だな…もうちょっとで全部終わるっていうのに」 お前が隣にいると、何も怖くない ジェンセンがそう言うと、立てた片膝に肘を乗せぼんやりしていた様子のジャレッドはこちらをふと見ると、くしゃりと人懐こい笑みを見せた。 「へえ、気が合うね。…僕も、そう思ってたとこ」 それを聞いて、最後だから何を言ってもいいかな、なんてヤケ混じりの気分で笑って言ってみる。 「この世の名残に、一発キスでもしとくか?」 すると、唐突にきゅっと眉を顰めてジャレッドは手を伸ばしてきた。 促されるまま酒を返してやると、ぐびぐびと自棄になったように一気に呷る。 ひとすじ零れた金の雫が首筋をつっと伝う。 少しだけ日焼けの残る肌に目を奪われる。 死を目前にしているからか。 舐めたい、という性的な衝動が一瞬だけ焼け付くようにジェンセンの躰を通り過ぎた。 ぷはっと酒瓶から口を離すと、手の甲で荒々しく拭って、忌々しそうに目をそらしてジャレッドは口を開く。 「…今だから言うけど…僕はさ、君に今まで手を出さないで我慢してたこと、ものすごく後悔してるんだ。 だから…キスなんか一回でもしたら、キレイな体のままでジェンを天国に行かせてあげられなくなる」 目を見開く。 ―なんだ。 あまりの馬鹿馬鹿しさに、泣きたくなる。 震えるくちびるを悟られないよう、そっと開いた。 「……気が合うな。 俺もいま…お前を、 天国に行かせてやれなくなるようなこと考えてた」 ―俺達、同じ気持ちだったんじゃないか。 ジャレッドの顔が歪む。 歪んだ顔が涙で歪み、更に見えないくらい近付く。 促すようにこちらから口付けると、脇に手を差し込まれぐいっと膝の上に引き上げられた。 背骨が軋むほど強く、絞め殺すつもりかよと思うほどの力で抱き締められて一瞬息が止まった。 負けずに筋肉の浮き出た背中をがむしゃらに抱き締め返す。 初めて、意味を持ってジャレッドに触れた。 ずっと自分を誤魔化してきた。 戒めて我慢して、周りより尚自分自身を騙しつづけてきた。 だがもうふたりを止めるものはなにひとつなくなった。 着ていた筈の服は役に立たない布キレになり 体内に残っていた筈の水分は 汗と涙と涎と精液になって出て行き 代わりに自分のものでない 汗と涎と精液が胎内へ入りこみ 最後に躰に残っていた心は全てジャレッドに渡し その代わりに彼の心をジェンセンは受け取った ―どちらにしろ、あと数時間後には全てが木っ端微塵だ。 終わりの日がくるまで気付かなかった事を 悔いるべきなのか それよりも 最後の日に気付けた事に 感謝するべきなのか もっと早くこうするべきだった こうしたかった でも、ふたりの間にはたくさんの垣根が、超え難い流れがあって、きっとこんな事にでもならない限り互いに最後の一歩を踏み出すことはできなかった ―だからこれでいいんだ、きっと きっと今日が、俺の人生で最高の日だとおもう 最後だから、何も隠さず心からそう言うと、またくしゃりと顔を歪めた泣き笑いのジャレッドは、やっぱりジェンとは気が合うね、と言い。 それに同じ笑みを返しながら、ごめん、天国で逢えなくなったけど、でも俺は幸せだから、とジェンセンは心の中で家族に謝る。 ジャレッドと一緒なら、きっと たとえ地獄に堕ちたって、そこは天国だろう。 促すように求めると、すぐにジャレッドは今日が初めてだなんて信じられないくらいに馴染み、互いの感触を覚えたキスをくれる。 ふと思い出して頬を緩める。 …あぁ、そうだ。 出来る事ならもう一度、馬に乗れたらよかったな。 ほら、テキサスに帰った時、一度お前と行っただろ? あの時お前を乗っけた栗毛の馬はもういないけど、またお前が好きそうなキュートなヒップの若い雌馬が育ったんだぜ。 お前を乗せても大丈夫な丈夫な足をしてるんだ。 またお前と行ける日を、楽しみにしてたんだけどな。 出来るなら、もう一度お前と一緒にあの草原を走りたかった。 そこで生まれ、そして受け入れられない事に一度は憎み、でもやはり何処へ逃げても結局この体を流れ続けたあの地の風を。 揺れる目の前の汗の浮き出たジャレッドの肩を強く引き寄せる。 額を預け、鼻を擦り付けて目を閉じる。 ジェンセン、と呼ばれて瞼を開け、愛しいくちびるに自分のそれを重ねる。 あぁ、とジェンセンは思った。 ジャレッドに、ジャレッドの匂いに、その口付けに、存在に。疎ましく、でもやはりどうしようもなく懐かしい故郷の香りを深く感じた。 同じ場所で生まれ、そこから遠く離れた地で俺達は出会って心を重ね―そして共に終わりを迎える。 躰の全部でジャレッドの熱い命を感じる。 俺達はまだ、確かに生きてる。 頬に笑みが浮かぶ。 笑みと共に目の端から零れた涙をジャレッドはくちびるでそっと掬ってくれた。 ジャレッドの頬を伝う汗と涙の混じった雫を同じように受け止める。 堪え切れないほどの愛おしさが体中に満ち溢れる。 最後に耳に届くのがこいつの声で、最後のキスがこいつのくちびるで、最後にするのがこいつとのセックスで良かった、とジェンセンは思った。 汗と涙でぐちゃぐちゃになった顔に、慰めるように与えられたキスが哀しいのに愛しくて、それだけで馬鹿みたいに幸せだった。 瞼の裏には、幾度もひとりで、どうしようもない思いを抱えて駆けた緑の景色が鮮やかに映る。 二度とは戻れない故郷。 でも、もう何もいらない。 ―お前が、俺のテキサスだ。 |