【 If you love me 2】















「―兄貴の様子がおかしいって?一体どんな具合におかしいのか話してごらん。あ、十分後には来客の予定があるわ。あたしは忙しいんだから、簡潔にね」
ディーンの様子が変であることを伝えると、ミズーリは電話の向こうでいつものようにふんぞりかえって座っているのが見えるような、謡うような口調でサムに水を向けた。
「どこがっていうか、…僕も、うまく説明できないんだけど…」

とにかく、どこかぎこちなくてそわそわしている。

落ち着きが無くて、サムと目を合わせようともしない。
かと思うと、背中に視線を感じて振り返るとぱっと目を逸らすところに出くわしたりする。
次の仕事に取り掛かろうとしても、「まあしばらくはいいんじゃないか」とかワケの分からないことを言ってふいっと居なくなってしまい、深夜になるまで帰ってこなかったりする。
―あんなに仕事をしたがっていたくせに。

極めつけは、この間テイクアウトの中華を食べながら何気なしにTVのチャンネルを変えていた時のこと。

この映画つまんなかったんだよな、と言いながらぷちぷちとチャンネルを変えているのを見ていたら、たまたまポルノチャンネルに行き当たった。よくあることだ。
そうして、ぶるんと画面いっぱいに揺れる胸と、甘く喘ぐオンナノコの声が部屋に響いた瞬間。
ディーンは唐突に立ち上がってぶちっとTVの主電源を切ると、無言で自分の分の残りをかっこみ。
そのまま、妙な雰囲気に声をかけそびれたサムがディーン?と声をかけるよりも早く、上着を掴んで部屋を出て行ってしまったのだった。
いつものディーンならそのまま見入ってしまい、サンプル動画が終了して有料に切り替わるまでニヤニヤ愉しみ、
「食事中に見るもんじゃないだろ!」とサムが突っ込んでリモコンを没収する、そんな感じなのに。

―完全に、おかしい。

おかしいことを自分でも認識しているのか、「どうかしたの?」とサムに問いかけられるのを怖れているようなふしさえある。
「何故こんな風にディーンが不安定になったのか、理由がわからないんだ。だから、数日前の狩りで何かヘンな霊でも拾ってきちゃったのかなと思って、連絡させてもらったんだけど…」
 どう思う?と聞くと、ミズーリはフーッと大きく息を吐いた。
「サム…あんた、今幾つだった?」
唐突に関係のない事を聞かれて面食らう。
「この間、25になったばかりだよ」
その夜は祝いだと言ってバーで飲んでいたら、ディーンがいらないというのに無駄にオンナノコを引っかけて来てくれて、一夜の火遊びをするつもりのないサムは軽そうなオンナノコにノリの悪い奴という目で見られてとてもありがたくない思いをした。
その後、モーテルに帰ってケンカになりそうな時に、ディーンが忘れずにちゃんと用意していた、サムの大好きなケーキとホワイトチョコの詰め合わせを出されて渋々機嫌を直したのだけれど。
「25と言えば、もういいオトナだわ。今までに多少なりと恋愛経験も積んできているんでしょ。それでもわからない?」
恋愛経験?恋愛経験と、ディーンのこの不可思議な様子と、いったい何処が繋がるのだろう。
「ミズーリ、悪いけど、もっとはっきり……」
ハーッ!といらだちを含んだため息に遮られる。
「あたしは兄貴の方に同情するわね。捧げる相手がこんな鈍感じゃやってられないわ。…あぁ、もう時間切れね。いい?一度しか言わないから、よく聞きなさい。
“ 砂漠の奥深くに、100年に一度しか咲かない碧いバラがある。それがどうしても見たいの ”
 もし、今までに一番愛した彼女にそう言われたら、―あんたはどうする?」

思わずぽかんと口を開いてしまった。
サムの質問と、切り返されたミズーリの問いはあまりにかけ離れている。
全く脈絡のない荒唐無稽な話をされて返事に詰まるが、とにかくどうにかアドバイスが欲しくて考えることにした。

ジェスが、もしそれを欲しがったなら…?

「 “見つかるかどうかわからないし、危ないから違うバラで我慢して”…って言うかな」
「そうね。まあ、あんたがトレジャーハンターでもない限り、それが普通の対応だわね。
 …じゃあもし。ディーンが、同じことを言い出したら?」

ディーンが?砂漠の奥地に咲くバラを欲しがったら?
想像もできない。というかそんなものまったく欲しがりそうにない。
もしもサムがそれを欲しがったら「そんなものあるわけねえだろ。お前大学で何のおベンキョーして来たんだ?」と鼻で笑いそうだ。
よくわからないけれど、これが今の事態の打開につながるんだろうか。
不審に思って問いかけようとすると、いいから答えな!と厳しい答えが返る。
仕方なく、彼がそれを欲しがったと想像して、思ったままを答えた。
「 “…そんなの絶対に見つからないから諦めろと止めたいけど、…でもきっとディーンはあきらめなさそうだから、だったら仕方ないから僕も一緒に行く”…って言うと思う」
あの兄貴のことだ。言い出したら殴って止めても倍返しがくるだけでサムの言う事など聞きやしないだろう。
だからといって一人でそんなところへ行かせると尚危険だ。
仕事はきっかりとこなすし場数も踏んでいるから頼りになるが、ディーンは自分の願望で動くと何故かコケるタイプだ。
どこでどんなトラブルをしょいこんでその挙句、地球の裏側からヘルプミーコールがかかるくらいなら一緒に行ったほうが話は早い。
そんな風にシミュレーションをして、そのままをただ率直に答える。
ふと、念願の碧いバラを見つけて目を輝かせるディーンの姿が、一瞬目の裏に浮かんだ。
「そう、それが、答えね。じゃあ」
「じゃ、じゃあって、ちょっと待って!?」
なによ、と不服そうな声を必死に止める。
「まだアドバイスをもらっていないよ!?」
「だから、今のが答えだと言っているじゃないの」
ピンポーン、と電話の向こうでチャイムが鳴る。
「あぁもうお客が来ちゃったわ。…いいこと?問題は、あんたに自覚が足りないこと。あんたは今までのどんな彼女より、ディーンを愛してる」
真剣に聞いていたら、とんでもない事を言われて思わずゴホッ!と咽る。呆れたようにミズーリは続けた。
「―寝たんでしょ?相手の気持ちくらい、童貞でもあるまいしに、理解してから寝なさいよ」
ハッと息を呑む。どうしてそれがわかったのか―彼女には様々な事を知る能力があるのだから、当然と言えばそうなのかもしれないが、でも―
気まずさに黙り込むと、諭すように彼女は言った。
「ジョンに顔向けが出来ないなんて言わないわ。愛に貴賤はないもの。同性でも、たとえ兄弟でもね。―だけどもそれは、あんたの気持ちが本気なのならの話ね。
本気でないのなら、兄弟である分ただのあそびで乗り捨てるより、ずっとタチが悪いわ」
その時、もう一度待ちかねたようにチャイムが響いた。
どうして兄貴の様子がおかしくなったのか、自分の胸に手を当ててよおく考えてごらんなさい、と早口に告げて電話は切れた。
***********

―尚、訳が分からない。
思わず携帯をぽいっとベッドに放り出して、その上にぼすりと腰を下ろす。
砂漠に咲く稀少なバラの喩え辺りからさっぱりわけがわからなかったけれど、誰にも言っていない兄弟の間の事でさえ、ミズーリには全てがお見通しらしい。
先ほどの彼女のように、膝に肘をついて頭を抱え、フーッ…と深くため息を吐く。

言わなかったけれど、サムには、ディーンがおかしくなった理由についてたった一つだけ、心当たりがあった。
ディーンの様子がおかしくなったのは二週間前から。

―その夜、サムとディーンは一線を越えた。
ディーンの命が自分のせいで残り一年になってしまったことへの罪悪感と、そんなとんでもない契約をサムの為に結んできたディーンへの苛立ちと。
諦めるつもりなど絶対になかったけれど、彼を救う方法はどんなに探しても見つからない現実。
そして一人この世界に取り残される不安と、地獄へ連れ去られた後のディーンの事を思うと。
ただ普通に立っていることすらできなくなりそうな程、サムはその日を怖れていた。

ディーンが自分を生き返らせた時とは、事情が違う。
あの時。サムが行くべきは地獄ではなかった。
天国ではないかもしれないけれど、地獄ではない事は確かだった。
だけれども、今ディーンがサムを呼び戻す為に自分の寿命と引き換えにしてまで買ったのは地獄への片道切符、しかもキャンセル不可の指定席で。
後を追って死んだとしても、サムが追い掛けていくことすらできない場所への特急列車だ。
今までに地獄へ落ちた人間が、その人間の人格のままで、人間として戻れた例はどんなに過去まで遡っても一例たりとも記録がなかった。
戻れる時には―悪魔として。別の肉体に憑依する他には道はない。
そうできたとしてもそれですら帰還の可能性は低い。
このままでは、サムはディーンを永遠に失う。
取り戻す事はけして叶わない。
必死にディーンを助ける方法を探しながら、サムはどこか気付いていた。

地獄には行きたくない―そう言いながら、ディーンが、何処かでこの運命を受け入れてしまっていることに。
何故なのか、考えなくとも分かる気がした。

彼は、サムを失って寿命を全うし、そうして天に召される平穏な人生を受け入れるよりも。
サムをこの世界に残したまま、ひとり地獄に落ちる方が、―まだ楽なのだ。
地獄が想像を遥かに超えた筆舌に尽くし難い煉獄であることは、悪魔達から漏れ聞く様子で分かり始めていた。

それでも、自分の命を泡銭に替えて売り払ってまで。
この兄は、サムを喪失した世界に耐えられない。

わかっていた。それは昔からだ。擦り込みのように幼い頃から父がディーンに掛けた呪いは、父が死んでも解けることなく彼を縛り続けている。
彼のせいじゃない。でも、赦せなかった。
責めても仕方無いと、分かっていても何故とまた責めてしまいそうで。
そんな自分を戒める為に、狩りを終えた夜、サムはバーで一人飲むことにした。
いい加減に前後不覚になりそうになった頃、のんきな顔をして賭けビリヤードで今夜の稼ぎを終えてやってきたディーンは、カウンターにビールを注文しに行ってバーテンのオンナノコといちゃつきだした。
ちらりとこちらへ目線をやって二人で笑い合う。
店がうるさくてよく聞こえないが、多分また連れはカタブツなんだとサムを笑いのネタにしているんだろう。ノースリーブのシャツを着て胸元を大きく開けた彼女は、満更でもなさそうな顔をしてディーンに何かメモを渡している。
それを受取って何か囁いてから二つジョッキを持ってディーンはニヤついたままサムの顔を見て眉を上げた。
「おいおい、カレッジボーイは珍しく呑み過ぎじゃないのか?これで最後にしておけよ」
呑みかけのウイスキーのグラスを取り上げて口をつけ、サムの前にジョッキをどんと置く。
ムッときてぐーっとジョッキを空ける。
流石に呑み切れなくてドン!とジョッキを置くと、ディーンは目をぱちくりさせて「…いい呑みっぷりだな」と見当違いなことを呟いた。
「帰る…」
ふらつく足を誤魔化してノートパソコンを鞄に突っ込んで立ち上がる。
ビールを飲もうとしていたディーンは、少しだけ呑むと、首をすくめてジョッキを諦め、サムの後を追った。

そうして、二人でモーテルへ戻り、ディーンがウィスキーを煽ってぐっすりと眠った後に。
それを確認したサムは、耐え切れなくなってパソコンを開いた。

ディーンには絶対に見つからない様に、隠しファイルにしたお気に入りには、男同士のセックスを行う為のマニュアルを羅列したサイトが網羅されている。
今すぐやれ、と言われても粗相なくそれを遂行出来そうなほど、サムの脳内にはそのマニュアルが既にインプットされていた。
ちらり、とベッドを見やる。
そこには、安らかな寝息を立てて気持ち良さそうに眠るディーンがいた。

僕は君とこういうことがしたいんだけど、とサムが言ったなら。ディーンはどんな顔をするだろう?
ふざけんな!と思い切りゲイ扱いされて、部屋から追い出されるかもしれない。
だが、もう限界と言っていい程サムの理性は切れそうだった。

今までは、我慢が出来た。どんなにディーンが女の子達と遊んでも、朝帰りをしても、彼は必ずサムのところへ戻ってくる。
―だが、地獄には行ってしまったら戻れない。
二度と触れることすら叶わなくなる。

期限がじりじりと近付いてくる事の苛立ちと、気付かないディーンの鈍感さへのムカつきと、そして自分の馬鹿さ加減への嘲笑が入り混じってサムの心はマーブル模様の様相を呈している。
パソコンの電源を切って、パタンと閉じる。

―君を失う僕に、せめて躰だけでもくれというのか。
サムが欲しいのは、そんな容易く手に入るレベルのものではないというのに。
そうして、鈍感で天然な兄への意趣返しのように、バスルームで無邪気な寝顔とくちびるを散々に犯す妄想を描いて吐き出した。

 そう、それだけで終わる筈の出来事だったのだ。
 翌日、罪悪感にやけに早く目が覚めてしまったサムは、ディーンの顔をまともに見られずに買い出しに行くと言って部屋を出た。
そうしたら、あれだけ禁止だと言っておいたのにも関わらず、ディーンはサムのパソコンを勝手に開き。
いつもは厳重に隠してあるお気に入りの中のフォルダ―昨夜酔いに任せてうっかり隠しそびれた、それを。
全部見ました、という履歴までもがご丁寧に残ったパソコンの前で、サムは頭を抱えた。
一旦は逃げたディーンが、戻ってきた事に苛立ちと歓喜を覚えて、そうして。
自棄交じりながら、ディーンに、自分の欲望を告白して押し付けた。

君は一人で逝ってしまうくせに、と言う言葉だけは、絶対に口にしないようにした。
それを言えば、罪悪感からいとも簡単にディーンは身を任せるような気がしたからだ。
自分の意志で、サムの気持ちを理解して受け止めて欲しかった。

 そうして嵐のような、一夜が過ぎ去った後。
朝目覚めて、サムが腕の中にいたディーンの不在に気付く、までの間に。
 ディーンは、再び失踪していた。
 電話を掛けても、メールを入れても、一切応答がなかった。こんな事は未だかつてない事だった。
 二日経って、耐え切れず、ディーンの携帯に「死にそうだ」とメールすると、ディーンはようやく能面のような無表情を繕ってサムの前に姿を現した。
その時は、ディーンが帰ってきただけでいいとそう思ったのだ。
もう、あの夜の事は胸の奥にしまって忘れよう、一度きりの夢だったのだと思おうと。
そのすぐ後に、怪しそうな事件が見つかり、ディーンの地獄行きを回避できそうな事例にサムは飛び付き、
いけにえから臓器を奪い、永遠の命を貪っていたマッドな医師を葬ってから、サムはようやく。ディーンの様子がおかしいことに気付いた。

 理由はよく分からない。
 丸二日も逃げていたのだから、ディーンがあの夜の事を後悔しているのは間違いない。
 サムにとっては人生で三本指に入る程の喜びを得た、記憶に残る夜だったのだけれど。
 けれど、きっと兄の立場としては、弟から強い欲望をぶつけられ、あまつさえバックバージンまでもをゆるしてしまったという複雑な屈辱があるのかもしれない。
 サムは金を払いはしたけれど、その後調べると受け取ったカードは使われておらず、ディーンは今のところ、何も受け取らずにサムに身体を与えた事になる。

 金を受け取ることすら嫌なほどなのか、とサムはディーンの対応を自嘲気味に受け止めた。
 自分は、振られたのだと。
 記憶は間違えようもなくはっきりと残っていたけれど、実際に夢のような気さえしていたから、鉄壁のポーカーフェイスで感情を押し込めれば、これからの日常も、問題はない筈だと思っていた。
 兄弟の縁を切るわけにはいかないのだから、きっとディーンもその方が楽なのだろう。

 そんなサムの様子に気付いたのか、そのせいかはよく分からないけれど、気付けばディーンは視線を彷徨わせ。くちびるを噛んで不安定そうな様子を覗かせながらも、サムを怒る事も詰る事もからかう事もしないまま、「いつも通り」の演技を続ける弟の後姿だけを曖昧な視線でただ見ている事が多くなった。


「どうしろっていうんだ……」
 ベッドに腰かけて頭を抱えていると、ガチャッとドアが開いて、紙袋を抱えたディーンが帰ってきた。
「お帰り」
「あぁ」
 コーヒーショップに寄ったらしく、カフェラテらしいカップを渡されてサンクス、と受け取る。
その時、ほんの僅か指が触れ。
硬直したようにディーンは手を引いた。
「うわっ!!」
受け止めようとしたサムの手をすり抜け、カップはゴトッと鈍い音を立てて床に落ちた。
みるみる床にコーヒーが広がっていく。
慌ててタオルを取りに行くサムの間の前で、ディーンは呆然として立ち尽くしていた。
後始末をしてふと見ると、上着も脱がないまま、ディーンはベッドに座り、ぼんやりしているようだった。
「…ディーン?どうしたの、大丈夫?」
「あぁ、…悪かったな、コーヒー」
「いや、そんなのは全然いいけどさ」
珍しく疲れた仕草で額に手をやっているディーンに、散々迷った挙句に、サムは勇気を出して問うてみる事にした。
「あのさ…この間の…、夜の、事:なんだけど」
曖昧な言い方だったが、ディーンにはそれがなんの事なのか、すぐにわかったらしい。
「―あぁ、いい、あれはもう忘れた」
顔をそむけ、吐き捨てるように言われて、ムッとする。
サムなど、昼間は取り繕っていても、毎夜ディーンが夢に出て来ては悩ましく誘われているというのに。
「:本当に、忘れられるの」
「あぁ勿論だ。あの金も返す」
未練など全くないような素振りで財布からカードを出されて、心底ムカついた。
「返さなくていいよ、あれはディーンにあげたものなんだから」
「いらねえっていったらいらねえ!」
テーブルに向ってカードを投げ捨てられる。
それは、サムが四年間の時間をつぎ込んで必死で貯めた汗と涙の結晶の詰まった金だった。
だが、それを知らないディーンに今怒っても仕方がない。
「落ち着いて、話をしよう?ディーン」
「俺はお前と話す事なんかなにもない」
身を翻してドアの方へ行こうとするディーンを、サムは体ごと引き止め抱き竦める。
その中で、されまいと激しくディーンはもがいた。
「離せ!」
「離さないよ、また逃げるつもり?
 ―どうして逃げたの、あの時、僕から」
 がっちりと捕まえて、後ろから両手を交差させた状態で掴む。こうすれば肘鉄を食らう事もない。
だが、本気になれば逃げる手段はいくらもある。決めるのはディーンだ、とサムは思った。
「目が覚めたらディーンがいなくて、どんなに連絡しても帰ってこなくて、…僕が、どんな気持ちだったか分かる?
あぁ、振られたんだなって。
僕は何かヘマをやって、ディーンはそれが気に入らなかったんだろうって、:すごく落ち込んだよ」
耳元に、囁く様にして言うと、身を竦め、怯えるようにしてディーンは身体を固くしてサムの言葉を聞かされていた。
ディーンが逃げず、大人しく腕の中にいてくれることに安堵してサムは続けた。
「それでも、君が戻ってくるんなら、また兄弟をすればいいって思った。縁を切られるよりその方が、ずっといい。
僕が、必死にそう思っていつもみたいに取り繕っているのに、君は…」
そこまで言った時、ディーンが抱き竦められたまま顔を伏せてしまっている事に気付いてサムは慌てた。
「ディーン?大丈夫?!」
ディーンは、何故か。耳まで真っ赤になって、サムから隠れるように顔を伏せていた。
それを目にして、サムはようやく状況を悟る。
「ディーン、ディーン、君、もしかして……恥ずかしいの?」
すると、頭突きをするように頭を上げ、ディーンは怒鳴った。
「んなわけねえだろ、何言ってんだお前!」
そうは言いながらも、驚いた事に。ディーンは何故か、猛烈に照れているようだった
そうして、ようやくサムはディーンのこの、一連の行動を理解した。

ディーンは、多分体を繋いだ日の翌日、サムにどういう対応をしたらいいのか分からずに逃げだし、どうにかポーカーフェイスを取り戻し普段通りの顔を作れるようになってから恐る恐る戻ってきたのだと。
そうして、ようやく自分が落ち付いて状況を確認できる状態になった頃には、サムは全くいままで通りの兄弟のように振る舞ってあの夜の事をなかった事にしてしまっていて。どうしていいのやらわからなくなり、困惑してしまったのだろう。
ディーンを抱き竦めたまま、サムはくゥッと息を呑みこんだ。

―可愛過ぎる。ディーンは、かなりのツンデレだった。
僕のこの二週間の地獄のような絶望の日々は一体何だったんだ、とサムは思う。
ディーンの気持ちをハッキリと理解した瞬間、サムは覚悟を決めた。

「―ディーン」
耳元で呼び掛ける。
「…また、したい」
びくっと強くディーンの体が強張った。
「ふざけんな、もう俺はゴメンだ」
「嘘。ディーンが僕の事好きなのはもう確認済みだから。ディーンの了承はいらない」
何か反論しそうなディーンを抱き竦めたまま、頬に唇を這わす。そのまま、顎を掴んで二週間ぶりのディーンのくちびるにそっと口付けた。
くそっと口の中で小さく呟いただけで、ディーンはそれを受け入れる。胸のあたりにふれたディーンの手がサムの服をぎゅっと掴む。

―何だ、僕達って両想いだったんじゃないか。

柔らかく蕩けそうなふっくらとしたくちびるを貪りながら、サムは頭の隅であまりの馬鹿馬鹿しさに涙が出そうだった。

こんなに側にいるのに、毎日一緒に居たのに、わからないことだらけだった。
何か言う度に、ふざけんな、とかうぬぼれんな、と悪態をつきながら、照れ隠しをしながらも何処もかしこをも曝け出し、ディーンはもう一度、サムに全てを明け渡した。
強く突き上げると仔猫のような鳴き声を漏らして達する。
絶対に今回は、夢にはしないとサムは誓った。
必ず、ディーンが目覚めたとき、自分は起きていようと。そして、もう逃がさない。どんなにディーンが照れても、恥ずかしがって暴れてたとしても。

二度目のセックスは、一度目よりは、もう少し、ディーンを満足させられたように思う。
だけれども、わからない。聞かないと世の中はわからないことだらけだ。
わからないから、どうだったか、三回目の為にさりげなく後で本人に聞いてみよう、とサムは思った。

**********

目の端を赤く腫らしてサムの隣で眠るディーンの横顔を見つめながらミズーリの問いを思い返す。

―100年に一度だけ、砂漠に咲く碧いバラ。

そんな与太な伝説のような花、ある筈がない。
100年一度ってサイクルも微妙だし、碧いバラは自然界には存在しないというし、まず赤道に近い砂漠に薔薇が咲くわけがない。

そう思って、初めて、サムは気付いた。
咲くはずのない花を、欲しいと言われて、遥か遠くまで海を越え灼熱の砂漠に足を踏み入れて、一緒に探しに行くほど相手の為に馬鹿になれる。

それは、恋の病というものに近い。しかもかなりの重症だ。つける薬はない。
自覚もないままに、お前は、それほどまでにあの兄貴が好きなのではないかと。
そう言いたかったのではないのだろうか、ミズーリは。

ジェスの事を、心から愛していた。
だけれども、サムは彼女の為に碧いバラを探しに砂漠へ向かうことはできなかった。

―それなのに。
ディーンがそれを欲したなら、サムは一緒に行く外に選ぶ道は無かった。
まさしく、選択肢はないのだ。
砂漠でどんなに迷おうが、存在する筈のない稀少なバラがどれほど厳重に守られていようが、ディーンとふたりならなんとかなる気がした。

ディーンの為に手に入れてやりたいとか、喜ばせてやりたいとか、そう言う気持ちもなくはないが、正しくはそういう事ではなく。
そう、ディーンの為にサムが砂漠へ赴くことに、理由などなかった。

ディーンが行くのならば、僕も行く。
―その行く先が、たとえ地獄であったとしても。

そのきもちを、愛という名前で呼ぶのなら、確かに。
サムはディーンを、この世の誰よりも愛していると自覚せざるを得ないのかもしれなかった。

**********

「ン……」
頭にそっと手を伸ばして撫でてやると、甘えるように擦りよる仕草をする。
仔犬に甘えられたみたいに、胸の奥の柔らかな部分をそっと握り締められたかのように、甘い疼きが過る。

サムは今まで、恋愛に関しては酷く臆病だった。
相手から好意を示されない限り、自分から強く押す事はしなかった。今までの彼女も、ジェシカも、皆自分からサムを好きになってくれた。好きになってくれたから愛せた。

ディーンはサムを、弟と言うよりも母親が子供を育てる様にして育てた。
母親の喪失と父親の不在を言いつけ通りに補ってサムを守る事で、自分の寂しさを紛らわせているような節があった。好きとか嫌い以前に、長い間ディーンはサムの世界の殆どを占めていた。

だが、長じるに連れて、先生の言うことよりも父親の命令を厳守し、学校に行くより狩りをしたがる兄に普通の生活に憧れるサムは失望し始めた。
それでも、狩りの時には父の背中を守れるほど頼りになり、徐々に片腕として腕を磨いていく兄を尊敬もしていた。
オンナノコにモテ始めて、狩りをしていない間にたまに外泊する様な事があっても、ディーンの一番はサムだったから我慢ができた。
ある時、多分その時付き合っていた彼女に、愛の言葉を吐くディーンの姿を見てしまったことがあった。
その時、何故だか、ものすごい嫉妬が胸の奥から込み上げてきた。

ディーンが他の人間にそんな事をいうのは嫌だった。だがそんな風に思う自分の感情が理解できなかった。環境が異質なのは仕方無いと納得していたが、自分の内面までそうだとは認めたくなかった。
そんな感情を記憶の奥深くに押し留めて、程なくサムにも初めての彼女が出来た。

それを知るとディーンは酷く喜んで、お前はまだダメだと禁じられていたビールを出してきて乾杯してくれた。サムのディーンに執着する気持ちと、サムが大人になることを喜ぶディーンの思いは、すれ違っている事に気付いた。

そのとき、サムは育ってきた異質な世界から出ていく決心をした。

ディーンが母親の代わりに必死に整えた、ささやかで暖かい褥にくるまっている事はもう出来なかった。
誰にも言わずに準備を重ね、全てが整ってから兄と父に告げた。

怒る父と、困惑する兄を、説得できるとは思っていなかった。
最後まで父との間を取り持とうとし、嘘だよなと言って見詰めてきたディーンの険しい顔をした自分の映る澄んだ瞳を、振り切るのは覚悟が要った。
母親と繋がる命の絆である臍の緒を、自分の手で切り離す赤子のように、胸に痛みが走った。

血を吐くような思いで振り切ったそこへ、サムはまた帰ってきてしまった。
そうして、結局また執着するのはディーンだけ。

慣れ親しんだ彼の匂い。古ぼけたクラシック・ロック。親父のお下がりの革ジャン。
数日づつ移動する住処。手入れが大変なマニアック・カー。

ディーンは、少し身体を鍛えて逞しくなった以外は、何一つ変わっていなかった。

サムを誰よりも愛している事も。
そう、命を差し出してしまうくらいに。

―求められれば、誰にも披いた事のない身体を、拒み切れずにサムに捧げてしまうくらいに。

「馬鹿だな……」
ミズーリが呆れるのも、ディーンが困惑するのも、当然だ。
指摘されるまで、サムは本当の意味での、自分の気持ちに気付いていなかった。
ディーンに欲情している事はずっと前から認識していたけれど。気付かないまま、彼を欲しがる本能のような深層心理に導かれて彼の中に押し入った。
想いを告げる事もないままに。

「ごめん、ディーン……」
 
眠るディーンの髪にそっと手を触れさせる。
見た目よりずっと柔らかなダークブロンドが気持ちがいい。
目が覚めたら、何と言おう、とサムはディーンの髪をゆっくりと撫でながら考える。

愛してる?好きだ?ごめん?

どれも言いたい言葉とは、近くて遠い気がした。

―諦めない。

「僕は、君を、絶対に諦めないよ…」

絶対に。例えディーン自身が諦めても、サムだけはディーンを諦めない。
全てを捨ててサムを呼び戻したディーンを、今度こそ、サムの手で連れ戻す。

そうして。自分に、もしできるのならば。
ディーンをしあわせにしてやりたい、とサムは心から思った。

今まで多くの過酷な試練に晒されてきた彼を。
サムが傍にいる事がしあわせなら、ずっと側にいる。
地獄へ行く契約をどうにか回避出来たら。

―ずっと二人で狩りをしていこう。
インパラで旅をしながら、時にはケンカをしながら。
これからは、もう離れることなく、僕が、ずっと君のそばにいる。

胸の中で語り掛けながら見つめていると、ぴくっとディーンの瞼が震える。
ゆっくりと濃い睫毛が揺れ、夢を見る様に瞬きをした後、ぼんやりと瞼が開く。

「…ディーン?」

呼びかけると、何も着ていない肩がぴくりと揺れる。
恐々とこちらを振り返るディーンに、苦笑しながらサムはディーンの上に屈んで、軽く頬にキスを落とす。
固まったままのディーンに、おはよう?、と至近距離のまま言うと、何も言わずにずるずるとそのまま布団にもぐってしまう。
おーい、ディーン?と布団ごと揺すると、

「朝っぱらからカユい真似すんじゃねぇ!」と彼らしい答えが布団越しにくぐもった声で聞こえ。
想像以上に照れ屋なディーンのまた見知らぬ顔を一つ見つけ、サムは苦笑しながら、もっとカユいマネしてあげるよ、と優しくミノムシになっているディーンから布団を剥いだ。

【END】










ぶらうざもどるでおねがいしますー