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海軍聴音所の概要
Last update on 2010/11

位  置:北緯34°16′43″
     東経135°0′13″
       烏帽子鼻の西北200mの断崖
、標高40m

建設時期:昭和16年頃

設   備:97式水中聴音機 
      92式管制機雷装置
    2kw信号灯等

存続期間:太平洋戦争終戦時まで


友ヶ島(沖ノ島)の島内でこの海軍聴音所という施設が発見されたのは、2002年という比較的最近の話で、太平洋戦争終戦後からの年数を考えると意外な話である。
理由としては、軍事的なことは常に機密であり、終戦後も一般情報として公開されていない。
この施設に従事していた部隊が終戦前に別方面に異動したので、事情に詳しい人が残っていなかった等があげられている。
しかし、島内は観光地として、戦後は長期にわたり開放されていたので、全く誰の目にも触れずにきたとは考えにくい。
ただ、これが何の施設か理解ざれずに放置されてきたのは、間違いないようだ。そういう意味では、正式に検証され始めたのは最近になってからということになる。

この施設は海軍の紀伊防備隊に所属する友ヶ島防備衛所といい、聴音所は別名ということだが、聴音所のほうが一般名称として理解しやすいため、
こちらが多く使われている。聴音所の機能については要塞関連用語のコンテンツで簡単な説明を記したが、もう少し詳しく説明してみる。

主たる設備である水中聴音機については、予め複数の捕音機(集音器、マイクロフォン)を鳥かご状のものにセットし、
これを3セット程、水深100mぐらいの海底に設置して、そこからケーブルを
聴音室まで引くのだが、
これがGPSの無い当時としても大変な作業であったようだ。
ケーブルの切断面が聴音所崖下の海岸にあるが、干潮時でなければその地点へのアプローチは難しいと思われる。
聴音室では訓練を受けた聴音員がレシーバーでその音の質で敵艦や潜水艦のスクリュー音などを察知し、
且つ複数の聴音員の聴く音の大きさを海図上で示して、その交点により位置と予測進路を把握する。

管制機雷装置は、複数の捕音機を付けた機雷を1グループとし、聴音員の左右のレシーバー音量が一定になったとき、
敵艦や潜水艦がそのグループの設置区域内に侵入したと判断し、機雷を作動させるものであった。

このような神経を使う過酷な任務を昭和18年頃の太平洋戦争半ばには4、50名の兵士が駐留して行っていたとのことだ。
周囲には、現在の池尻広場というところを中心に兵員宿舎、便所、発電所、バッテリー室、貯水槽などの兵站施設が点在している。

聴音所自体は100m2ほどの面積で、一部2階建のレンガ造と鉄筋コンクリート造併用の構造となっている。
外壁面はコンクリート下地に自然石を貼り付けるという偽装が一部なされており、そのため外壁の厚みは60cmまで達するところもあるが、
防御としての機能を考慮されたものではない。屋根面は平坦なコンクリートスラブ構造で、その上に土盛して樹木を植えるという偽装がされている。
屋根上の樹木に関しては、自然にこのようになったというこも考えられなくもないが、人工的な意図が極めて強い。
周囲の現状は樹木が生い茂り、陸上からも海上からも、その存在は認識出来ず、外部の偽装工作などは不要とも考えられるが、
建設当時のこの場所は、さほど樹木もなく、現在、磯遊び場にも利用されている景勝地の幸助松の海岸からもよく見渡せたとのことである。

聴音所内部の保存状態は良いものではない。内部の仕上げはほとんど残っておらず、鉄筋コンクリートの梁なども爆裂し、鉄筋が露出して構造的にも危険な状態である。
床面には配線用の溝が多数残されている。一部2階部分が存在するが、常時使用していたものではなく、
有事の際の望楼(見張り場所)としてハシゴで昇降し、ハッチで開閉していたものと思われる。





正面から見る
屋根は樹木、壁面は自然石で偽装してある




出入口



海側の開口部
1階の真ん中ぐらいの高さまで土に埋もれている




出入口より左手の配電室と想定されている部屋



通信室
コンクリート製の頑丈なカウンターが設置してある





聴音室の右手



聴音室の左手



2階に上がる開口部
2階は望楼であったと思われる。




天井面に貼り付けた木毛セメント板
(現在ではあまり使用されない建材)
吸音のために使用したと思われる


     参考資料:
   1.由良要塞 近代築城遺跡研究会編
   2.『日本築城史−近代の沿岸築城と要塞』 浄法寺朝美