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第五砲台の概要
Last update on 2010/11



位  置:北緯34°17′01″ 東経135°0′16″ 駒ヶ崎海岸、標高35m

建設時期:明治36年10月〜37年8月

備  砲:12cmカノン砲x6門 3砲座(各2門)(明治37年11月設置完了)

首  線:南西10° 射 界:160° 存続期間:太平洋戦争終戦時まで




第5砲台は友ヶ島砲台群の中では最後に建設されたもので、その構造もレンガ造からコンクリート主体のものになっている。
砲台の規模も砲台群最小で、備砲も12cmカノン砲x6門と比較的小能力であったが、
一時期、交戦国の捕獲品で24cm榴弾砲を据え付けたとのこと。しかし、カノン砲と榴弾砲では砲床が違いすぎるが、その据え付け方法も場所も不明だ。
不明という点では、第3砲座左翼砲床位置に4m四方程度のコンクリート製貯水槽が現在も設置してある。
非常に場違いな存在で、その設置時期、用途とも今のところ把握出来ていない。

構造主体はコンクリートであると記したが、胸墻、横墻部壁、背墻面の砲座壁部は石積みとし、横墻下棲息掩蔽部砲側庫の正面壁や
背墻面砲座床はねだし部分にある即要砲弾置場の間仕切は、従来のレンガ造としており、それぞれの必要強度とコストを計算した築造設計がなされていると思われる。

横墻下棲息掩蔽部砲側庫は、小規模ではあるが奥の壁が、直線ではなく平面的にRをとっており、そのためにその部分の天井面が半球体となり、特徴的な形態をなしている。
胸墻面側の空間の壁としては、耐力的に有利なものであり、コンクリート構造としたことで可能になった部分である。

なお、第2砲台と同じくカノン砲台である第5砲台には、観測所がない。直接に照準を定め効果が確認できるという理由ようだ。
兵站施設は、砲台左翼側に広場があり、ここに集中していた。井戸、貯水槽、便所跡が残る。





第3砲座の左翼横墻下棲息掩蔽部砲側庫
小規模のものだ。




横墻下棲息掩蔽部砲側庫 内部から



横墻下棲息掩蔽部砲側庫 R状の奥の壁面に
つながる天井面が半球体となる。




第3砲座の左翼と砲側庫



第1砲座の左翼横墻下棲息掩蔽部砲側庫



右のコンクリートの壁のようなものは、
第3砲座左翼砲床に後で設置された貯水槽設備




第2砲座。樹木で覆われている。




砲座に上る石積みの階段




第1砲座と左翼横墻下棲息掩蔽部砲側庫

     参考資料:
   1.由良要塞 近代築城遺跡研究会編
   2.『明治期国土防衛史』 原 剛
   3.『日本築城史−近代の沿岸築城と要塞』 浄法寺朝美