タルコフスキーの廃墟「ノスタルジア編」
つぐまるの廃墟アワーにもどる


はじめに:
1982年から撮影が開始されたこの映画はタルコフスキー初の海外製作(ロケとしては、1970年の惑星ソラリスで
日本の首都高速道路が使われた)であった。この撮影と共にタルコフスキー自身もソ連より亡命することとなり、
故郷には戻ることはなかった。本作「ノスタルジア」というタイトルがその後の故郷への郷愁を暗示させている。



以前の作品と同様に本作もタルコフスキー映像特有の水、火、廃墟がモチーフとなっているが、
廃墟シーンについてはイタリア、トスカーニ地方でのロケということで場所などが特定され、素性がはっきりとしてきてはいる。
この点が、ソ連でのロケが主体だったため、ロケ地などが明確でなかった以前の作品との違いでもある。
今回、この「ノスタルジア」の廃墟シーンを抜粋して、それぞれ紹介し、検証をしてみたいと思う。



簡単な映画のあらすじ
舞台はイタリア中部のトスカーナ地方。モスクワから来た主人公の詩人アンドレイ・ゴルチャコフと通訳の
女性エウジェニアの二人は、18世紀にイタリアを放浪したロシアの音楽家パヴェル・サスノフスキーの足跡を追う旅を続けていた。
古都シエナ南東の村でマドンナ・デル・パルトの聖母画のある教会をエウジェニアがひとり訪れている間、
車に残ったゴルチャコフの夢に故郷があらわれる。なだらかな丘の小さな三角屋根の家。妻と子供たち、犬、そして奥の方の森。

その後、温泉広場で、世界の終末が訪れたと信じて家族と廃屋にこもるドメニコと出会ったゴルチャコフは、強く心を惹かれ、
エウジェニアを通して、ドメニコと話そうとするが、ゴルチャコフとの間で感情のもつれがあるエウジェニアは
ゴルチャコフもとを去ってしまう。自らドメニコの廃屋へ会いにいったゴルチャコフに、
ドメニコは、自分が廻りから狂信者狂人扱いされているために果たせない願いを託す。
温泉広場の端から端までロウソクの火を消さずに渡れたならば世界は救われるというものだった。

ドメニコに別れをつげ、廃墟の聖堂をさまようゴルチャコフ、ドメニコはゴルチャコフ自身を映し出す鏡となっていた。
そしてドメニコはローマへ向かい、世界の救済を呼びかけ焼身自殺を図る。
同じ頃、ゴルチャコフも約束を果たすが、力尽きて倒れてしまう。

座り込むゴルチャコフと傍らの犬、故郷の家を廃墟の聖堂が包み込む・・・

どうです?もうワケわからんでしょう?夢の話みたいで・・・
タルコフスキーの映画はもともとワケわからんので(そこが魅力だが・・)、
あらすじにするともうさっぱりわからんというのが、書く方にしてみても正直なところです。


ドメニコの廃屋
注)ドメニコの廃屋については、裏口、建物の外観と内部の各部屋は別々の所で撮影されたと思われる。
(外観)
イタリア中世の山岳都市の典型的な
街並みの中にある建物だが、
とても廃墟的だ。
よく見つけたと思う。



(内部の部屋1)

ゴルチャコフが扉を開けて、
思わず立ち止まってしまった部屋。
床がゴミのようなもので荒れているが、
カメラがズームインすると、それが故郷の
野山を上空からみた景色に変わっていく。
本編や惑星ソラリスのラストシーンに通じる
タルコフスキーらしい映像だ。

(内部の部屋2)
天井から水が滴り落ちる部屋。
前作の‘ストーカー’や‘鏡’でも
見られるシーンだ。
壁にドメニコの説く1滴プラス1滴は
2滴ではなく大きな1滴であるという
数式が見える。[1+1=1]


水びたしの病院の廃墟
注)DVDのチャプタータイトルでも本編の中の台詞でも病院という設定になっているが、どうみても教会堂かなにかの廃墟だ。
タルコフスキー日記Uでは沈める教会となっているのでその解釈が正しいのだろう。
(入り口)
ゴルチャコフが水の流れに沿って入っていく。


(その内部)
 屋根が抜け落ちて、建物の中心が池に
なっている。謎の少女(天使)アンジェラが現れる。

ゴルチャコフがロウソクの火を消さずに
端から端まで渡ろうとする温泉広場

普段はプールのような露天の温泉だが、お湯を抜いて清掃中という設定だ。
お湯を抜くと急に廃墟っぽい状態になるから不思議だ。

ここはバーニョ・ヴィニョーニという実在する温泉だ。
映画のような厳粛な感じではなく、実際はリゾート地らしい・・


ゴルチャコフが約束を果たし倒れた後、ゴルチャコフと犬と故郷の家が廃墟に包まれるシ−ン

ロケ地:トスカーナにあるシトー教会のサン・ガルガノ教会跡、
現在は屋根と床がなく、壁面とそれを支える
飛び壁(フライングバットレス)のみが残っている。

ラストシーンへの前振りで教会跡を
さまようゴルチャコフ

この人物と建物のスケール感の刷り込みが、
ラストシーンのインパクトを倍増させている。

このラストシーンに魅せられて、もうすっかりやられてしまったという人は多い。
主人公ゴルチャコフが犬といっしょに故郷の家の前に座りこんでいる。前の水たまりに柱のようなものが
映りこんでいきて、これはなんだろう?と思っているうちにカメラがジワァーと引いてきて
家の背後の森の中から巨大な廃墟が現れてくるという按配だ。



この引いてきた画面が、ちょうど主人公のいるあたりにきた頃、廃墟の左右の壁との距離感が遠近法的に
矛盾を起こし(視点が2つになる)、そのありえない空間の不安定さが
見ている側の精神的な不安定につながってしまう。
きっとコレにみんなやられてしまうのだろう・・・と個人的には推測している。

このシーンの撮影にあたっては、サン・ガルガノ教会跡のなかに土をもって小さな丘を造り、
家の模型(・・といっても1/3ぐらいのスケールでかなり大きなものだ。)をセットし、
遠近法をうまく利用して廃墟を巨大な物に見せかけている。
大勢のスタッフがこのセットのなかで記念写真を撮っているのを見るとそのスケール感のズレと、
こういったものを創りだす発想と、緊張感のあるシーンなのに実際の製作現場の空気がなにか
微笑ましくて伝わってきて妙な気がしてくる。



サン・ガルガノ教会跡のラストシーンがある絵画と酷似しているというのはよく知られている。
(2)「廃墟エルデナ」という作品で、作者は19世紀のドイツの画家、カスパル・D・フリードリッヒ。
基本的には風景画家でたまに人物が点景で出てきても皆後ろ向きとか跪いているとかでまともに書かない。
そして代表作(1)「オークの森の僧院」のように風景の中にやたら廃墟など暗いモチーフが多いというのも特徴だ。
フリードリッヒとエルデナについては2003年にNHKで放映された「美の巨人」でも紹介されている。
フリードリッヒはバルト海に面した小さな港町グライフスヴァルトで生まれた。その町にはサン・ガルガノ教会と同じシトー教会の
エルデナ修道院跡があり、その廃墟に魅せられたフリードリッヒはそれをモチーフに何枚も絵を書いている。
その一つが「廃墟エルデナ」だ。
森の中の巨大な廃墟それに包まれるように建つ小さな三角屋根の家、木立、その前に書かれた2人の人物・・・
ノスタルジアのラストの構図とほとんど同じだ。またタルコフスキー移り住んだというロシアのイグナーチエヴォ村も廃墟はないものの
構図としてはよく似ている。これらがあのラストシーンの原点になっているのかもしれない。

(1)オークの森の僧院 (2)廃墟エルデナ イグナーチエヴォ村

参考文献、資料
芸術新潮2004年1月号意中の建築 サン・ガルガーノ教会
・週刊グレート・アーティスト フリードリッヒ 同朋舎出版
・タルコフスキーatワーク  樋口 泰人編 白夜書房
・タルコフスキー、好き!  著:タルコフスキー他  発行:ダゲレオ出版
・タルコフスキー   著:タルコフスキー他 ペヨトル工房
・タルコフスキー日記     著:タルコフスキー 発行:キネマ旬報社 
・映像のポエジア  著:タルコフスキー キネマ旬報社
・DVD:ノスタルジア パイオニア