つぐまるの今日の言葉 
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(その3)
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 その2
 その1

人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしい。
重大に扱わなければ危険である。

(侏儒の言葉:芥川龍之介)



解説:まぁ〜そういうことであります。
確かに宇宙的規模とかでみると人の人生なんてマッチ箱ぐらい小さすぎて、
もうそれはお話にならんから真面目に考えすぎるというのもどうか?
ということだろう。

では、危険であるというケースはどんなことがあるんだろう?と思った。
人によって色々と例はあるとは思うが・・・・。

世話人の場合はこうだ!たとえば・・・好きな人がいて想いを告げるとする。
自分の人生からマッチ棒を1本出してきて擦るわけだ。
もちろん想いが強ければ、2本でも3本でもまとめて擦ってもいい。
だけど、箱の中のマッチ棒の数には限りがあるぜっ!
首尾よく火がつく場合もあるし、もう湿っちゃっていて火がつかない場合もある。
もやもやぁ〜っと煙だけがでて、もぉ〜よくわかんなくて悩むこともある。
でもいつかは火がつくんだろう。
が!ここで大事なことは、一度きっちり火がついたら、
もう後でマッチを擦ってはダメだということだ。
安易に調子よく擦り続けるとキケンだということだ。
だけどこれは原則的に・・・ということにした方がいいかもしれない。
人生いろいろあるからね。

また、こうも考える。スレ違いの恋みたいなもんがあったとする。
お互い強い想いがあるのだが、なんかの事情で誤解していて想いを告げられない状態だ。
コレがまたまたなんかの拍子で誤解が解けちゃったりすると大変だ。
想いをずっと箱にとじこめていただけに箱ごと燃えてしまう。
最終的に結果が良ければ、そりゃ〜スバラシイかもしれんけど、
きっちり想いを込めてマッチを擦るよりはキケンだ。

ここではっきりいえることは、世話人の思ったことは、
芥川龍之介が云わんとする事とは、たぶんまったく別のトンチンカンな方向に
あるものだろうということだ。

ちなみに、つぐまる達の一生も世話人の人生同様にマッチ箱みたいなもんだが、
重大に扱ってやらないとやはりキケンだ。こちらにはね返ってくる。



ねずみ男はかく生きる・・・



解説:もちろん詳しくは知らないにしても「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくる
このキャラクターの名前ぐらいは誰でも知っているのではなかろうか?
コレは単に不潔なだけの妖怪だと思っていたが、
その人生哲学には学ぶことが多いと最近知った。

ねずみ男のポリシーは、実に単純で「自分の幸せの為なら手段を選ばない」ということ
だそうである。そういえばよく鬼太郎やその仲間をハメたり、裏切ったりして
小悪さをしていたような気がする。
しかし、ねずみ男はそれによって仲間はずれにされたりすることもなく、
いつも鬼太郎のそばにいた。

ねずみ男は、自分の幸せの為・・・という明確な目的があるから、それから外れた
ところでは悪さはしない。不必要な悪事を企むようなことはない。
この点が許されていつもいっしょにいるのだろう。

ここでねずみ男に良く似たのがいることに気がついた。ウチのツグマル達である。
彼らはもう自分さえ良ければなんでもアリという連中だ。
世話人のことを考えたことは一度もない。
にもかかわらずいつも世話人のそばにくっついている。
それは何の目的もないのに意図的に世話人を困らせて、
愛想をつかされるということはなかったからだ。

ねずみ男というぐらいだから、ねずみ的なキャラかと思っていたが、
実はネコ的キャラクターだったようだ。




注)「ねずみ男汁」という缶ジュースがある。中身は夏みかんとハッサクのフルーツジュースだけど、
ネズミオトコジルと書かれるとちょっと手が出にくい・・・

*ちなみに一缶198円(税込み)だ。



吾が輩はウサである・・・



解説:もちろん本当のところはわからないが、つぐまるは自分達のことをネコだと
思っていないようだ。では、何だと思っているのか?
また、世話人のことを何だと思っているのか?興味深いところだ。

たぶん何とも思っていないだろう。

日頃の行動を見ていると、もう何でもいいやぁ〜という感じだ。
とりあえずこちらとしてはネコと決めているワケだけど、決められている方が
全く認識してないと何ぁんか意味ないような気もしてくる。

世話人は一応人間だから、周りの人がああだ!こうだ!と評価してイロイロ
決めてくれるワケだ。世話人は気が弱いから、決められたことに右往左往してしまう。
だけど、つぐまるみたいな神経していればコレはもう楽チンだ!

何でもいいならとウサギにしてみたが、さすがに不服そうだ・・・

注)ネコのかぶり物や服を売っているお店があって、いろんなバージョンがある。
購入しようかとも思ったが、イヤがったら元も子もないのでとりあえず自分でつくってみた。
結局、怪しいバニーになった。



“抜き足、差し足、忍び足”


解説:抜き足、差し足、忍び足
足を抜くようにそっと上げ、足を差すようにつま先から前に出し、
静かに歩くというご存知の意味であります。

つぐまると暮らす以前、ネコはみんなこういった歩き方をすると思っていた。

ところがこの’つぐまる’はいつもドタバタと歩いている。音がしようがその辺の物を
ひっくりかえそうが平気である。自分で獲物をとらなくて良い環境にあるせい
かもしれないが、それにしても身のこなしかたが、しなやかではない。
飛び乗った所から足を踏み外すことなどしょっちゅうだ。見ていて情けない・・・



“2001年 宇宙の旅”

解説:一世を風靡した難解なSF映画の話題作のタイトルだ。
まだビデオのないころ世話人はこの映画を理解しようと思い、映画館で1日かけて
4回も見たことがあった。尾底骨が割れるかと思った。

最初にこの映画を見たときやノストラダムスの予言を読んだときなんかもそうだけど、
20年も30年も先の話だとよくわからなくて、はぁーそうかいなぁーと思うだけで
あった。いつのまにかその時期がきてしまっているが、
人類は滅亡していないし、宇宙旅行にもいっていない。

最近あらためて思うのは先のことを考えてもしょうがないということだ。
ちなみに‘つぐまる’は先のことはまったく考えていない。(と思う)
将来の心配なんぞ何もしていない。
今、お腹がすいたとか、遊びたいとか、眠りたいとかしかない。

注)写真の‘まるも’が乗っているのは宇宙船ではなく、洗濯乾燥機である

阿吽(あうん)の呼吸

解説:ご存知のとおり息がピッタシという意味でありますが、もともと阿が吸う息、吽が吐く息
という意味らしいので阿吽の呼吸という言い方はよく考えるとなんかヘンな感じがする。

それはさておき、神社の入り口にあるのも阿吽の狛犬(こまいぬ)と言われていて左右一対で
右側が口を開いた阿形、左側が口を閉じた吽形で仁王様と同じらしい。

知らなかったけどあれは犬ではなくて獅子や一角獣がほとんどで
なかには虎のもある。でもさすがにネコのはないようだ。

つぐまるがにらみ合っている姿をみていたらなんとなくこの阿吽という言葉を思いついた。

ちなみにつぐまるのあいだにも、つぐまると世話人のあいだにも
阿吽の呼吸というのはまったく存在しない。

どんなにきちんとした家庭でも事故は起こるものである(どこかのことわざ)

解説:事故は自分や家庭のせいで起こったとくよくよと考えずにどこでも起こりうる
ことだったのだと思えば気持ちが楽になり、元気も出てくるの意

本当に元気が出てくるかは別として、どんなに気をつけていても家庭にかぎらず事故は起こるものです。
ある種の運命的なものに左右されるときはあまり思い悩まないほうがいいということでしょう。
‘つぐまる’がウロウロしている世話人の家庭にとってキチンとした状態などはあり得る訳がなく、
常にハラハラの連続であります。何が起こるかわからない、何をしでかすかわからない。
事故や事件は起こってあたりまえと世話人は‘つぐまる’から刷り込まれてしまっています。

二つの椅子の間に落ちる

解説:両方に座ろうと欲張ると二つの椅子の間から落ちてしまう。二つのものを得ようとすると、
どちらか片方だけではなく、両方ともなくしてしまう。ということわざです。

同類に‘二兎を追う者は一兎をも得ず’とか‘虻蜂取らず’とかがあって、こちらのほうが一般的です。
でもこの‘二つの椅子の間に落ちる’の方が意味がわかりやすいのではないでしょうか?

つぐまるも世話人もそれはもう欲張りだから何でも手に入れたがる。でもあまり根性がないので
すぐにあきらめて中途半端になってしまう。椅子の間から落ちまくりです。

腐っても鯛

解説: この言葉は使い方がむずかしい。誉めているのか、けなしているのか、ちょっと小バカにして
からかっているのか、はたまたなぐさめているのか、よくわからない?世話人は鯛といわれるような
ものは何一つ持ち合わせていないが、それでもさすがに腐っても鯛だなぁーなぁーんていわれたとしたら、
やっぱりオレは腐っとんのかぁーと本当に腐ってしまう。没落を前提に誉めているところにこの言葉の
問題があるのかもしれない。間違っても目上の人なんかに使える言葉ではない。
腐っても鯛だなんていわれて、オレもまんざらではないなと思う人がいるのだろうか?

つぐまるの場合は誉められようがけなされようが、腐っていない鯛にしか興味がない。

ちなみにこのことわざに似たもので世話人オリジナル‘腐ってもダイナマイト’というのがあります。
どうです。鯛より力強くて油断できないぞ!という印象を与えるでしょう。腐っても鯛といわれるよりも
気分はいいかも!その他、どんな状況にあっても脳天気に過ごしているという意で
‘腐ってもメデタイ!’というのもあります。つぐまるや世話人にピッタシ!

神様にも祝詞(のりと)

解説:わかりきっているような事でも黙っていては通じにくいもの。だから、はっきり口にだして
言うほうがよいということ。なにもかもお見通しの神様でも、なにか願い事があれば
お祈りの言葉を言わなければわかってもらえないの意から。

神様だってこんな按配なんだから人間どうしだとはっきり言葉にしないと理解することはできません。
これはもう致し方ないことです。こんなに態度で表しているのになんでわかってくれないのだ!
と思ったところでそれは言葉にしないこちらがいけないわけで、
勝手に相手を無神経人間と決めつけるのもいかがなものか・・・ということでしょう。

‘つぐまる’はあまり難しいことは考えないでとにかく要求を態度と言葉で表そうとします。
強い要求の時は自分の持っている芸をすべて出しつくすという感じです。
悲しいかな世話人は彼らの言っていることはさっぱりわからず、いつも想像で対応しています。

恋人はサンタクロース”

解説:なんじゃコレはと思ったでしょうが!世話人は決して松任谷由美の名作
‘恋人はサンタクロース’を茶化そうとか、パロッてみようとかそういった意図はまったくありません。
ただ時節柄クリスマスにちなんだ言葉を探していたら何となくこれがでたっ!

つぐまるは年間通して世話人のことをサンタクロースだと思っている。
いつも何かくれると思っている。遊んでくれると思っている。それが当たり前だと思っている。
サンタクロースに感謝するとか、労をねぎらうといった発想はまったくない。
それどころかプレゼントが気に入らないと露骨に態度にあらわす。

普通のサンタクロースだったら次の年は絶対来てくれないと思う

ビルマのウクレレ”

解説:の言葉を見て十人中十人がビルマの竪琴を連想したと思います。
が!世話人は決して竹山道夫の名作‘ビルマの竪琴’を茶化そうとか、パロッてみようとか
そういった意図はまったくありません。

ただそのシリアスな原作とは関係なくネコを肩に乗せ、ウクレレ弾きながら諸国をさすらう
お坊さんみたいな人がいてもな〜んかいいなぁ〜と思っただけであります。
現実的にはつぐまるを肩に乗せるのは大変困難で(オウムと違ってじっと乗っていない・・)、
とてもウクレレ弾くどころのさわぎではありません。そもそも我ままで何一つガマンするということの
出来ない‘つぐまる’を連れての旅などその困難は想像を絶します。
その上どう考えてもまったく形にならない異常な風体なので、
行く先々で不信な目で見られるのは間違いありません。

それにしても今回はどうも収拾つかないなぁ〜

ミイラ取りがミイラになる”

解説:人を連れ戻しに行った者が帰ってこないことのたとえ。また、説得しようとした者が
かえってその相手に説得されてしまうことのたとえ。
ミイラをはるばる捜しに行った者自身がミイラになってしまうの意から

世話人は意志が弱い!すぐにフラフラする。誰かを説得にいっても、必ず説得されてしまう。
だから相手を説得しに行く前からもうこちらが説得されてしまうような気分になる。
論理的に話をしようと準備して行っても相手が感情的にくるとズズッと負けてしまう。
また、こちらが感情的戦法で拝みたおしても、今度は相手に理詰めで丸め込まれてしまう。
ミイラを取りに行く前にもうミイラになっている感じだ。

つぐまるは意志は弱いけど我は強い、自分の主張は必ず通す。生まれてから一度も説得された事はない。

しかし、このことわざの意味を長いこと知らなかった。
たぶん子供の頃に見た‘恐怖のミイラ’というテレビドラマがあまりにも恐かったので
(今では笑えるが・・)わざわざミイラを取りに行く人がいるなんて想像できなかったようだ。
だからピンとこなかったのかもしれない。

おぼれるものはネコをもつかむ”

 
突然、風呂場でおぼれる世話人とつぐみ

解説: 正しくは’おぼれるものはワラをもつかむ’であります。(わかっとるっちゅうねん!)
しかし、おぼれているときはワラをつかんでもネコをつかんでもあまり状況に差はありません。
それどころかネコをつかむともっとおぼれてしまうかもしれない。

つぐまるにかぎらずネコは自分さえよければあとは何でもいいという性格なので、
どんなに飼い主が苦境におちいってもアテにすることはできません。まったくたよりになりません。
いっしょに暮らしているとそれはもう涙がでるくらいたよりにならないことを実感します。

普通、人間だったらこれほど他からたよりにされないとそうとうに落ち込むと
思うんだけれども彼らはヘッチャラであります。それどころか自分たちをたよりにするな!だけど
もっと愛して可愛がってくれと要求します。もうメチャクチャな考え方をします。

が!実際彼らはたよりにされていないけど愛されているわけで、結局これが通用している状態です。

ときどき世話人はこんな生きかたも人間の世界でも通用するんじゃないかと
恐ろしい錯覚をおこしそうになります。

財布が軽いと心は重い ゲーテ

 

解説: とくに解説はしたくはないけど、世話人はお金持ちではありません。ローンも大変だ。

今持っているカバンの中身が全部札束だったらどうしようとか、机の引き出しの中身がこれまた
札束でギッシリつまっていたら気を失っちゃうなぁーとかいつも考えています。

せめてポケットの財布がお札でビッシリつまっていたとしたら、心も軽くウキウキだ。

つぐまるは財布をもっていない(あたりまえだが・・)。
お金ももたせていない(ネコに小判だから・・)。

しかし、かれらほど自分の楽しみの基準がお金とかけはなれたまま生きているのをみていると
考えさせられます。自分の楽しみをあまり手広くしないでコンパクトにして、
何かに寄生して生きていくのもいいような気がします。具体的にはどうしていいかわかんないけど、
そこのところはどうなんでしょう?