つぐまるの今日の言葉のバックナンバー(その2)
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 その3
 その1

理詰めより重詰め”

 

解説:その意は理屈一辺倒で相手を納得させるよりも相手が喜ぶものでも提供してなごやかに
話し合う方が、万事、事はうまく運ぶということ

世話人は屁理屈はよくこねますが、きちんとした理屈ははあまりこねることが出来ないので、
理屈一辺倒で相手を納得させるという事は得意とするところではありません。
ですからなるべくお膳立てしてまあまあと日本人的に物事は処理したいと考えています。

しかし、つぐまるはそもそも物事の理屈自体わかりませんから、
よく言い聞かせたり説明したりすることは意味をなしません。(それでも一応試みていますが・・)
それどころかつぐまるの喜ぶものを与えてやっても、喜ぶことをしてやっても
その時喜ぶだけでそのあとは決して言う事を聞きません。
理詰めは無視されて、重詰めだけを食べられてばかりいるという状態であります。

うらまれないで、つぐまる的生き方ができればなぁーと思う世話人です。

“台風一家”(たいふういっか)

 

解説:正確には、と言うよりも正しくは台風一過であります。
台風がアッという間に通り過ぎていってしまう。まあそんな意味です。

が!・・

世話人は近年までこれを台風
一家
と信じこんでおり、その意は、台風シーズン等に
大小続々と台風がでてきて、あたかも家族をなしているような様子。
災難がさったあとでもまた次の災難が続々と来る場合もあるのでゆめゆめ油断めさるな!
というものでありました。

また、続々とやってくる災難を達観して受け止めるという意味で

“台風一家みな兄弟”
というのもあります。

笛吹けど、踊らず”

 

解説:言葉の意味はご存知だと思います。

‘つぐまる’はいつもネコまるだしでありますから、
世話人の思い通りにはほとんどなりません。

それどころか、食べたり寝たりしている以外はいつも騒ぎたがっていて
相手をしろしろとせがみます。しかし、世話人も会社から疲れて帰ってきて、
そうそう‘つぐまる’の相手ばかりなどしていられません。

そして休みの日にちょっと相手をしてやろうかと思うと
今度は迷惑そうな顔をして寝返りをうちます。なかなかかみ合わない。

世話人は実生活において、いろんなことがあってもそこはまた
それなりにしなきゃならないので、笛を吹くふりをしたり、踊るふりをしたりします。

‘つぐまる’はその点割り切っていて、ふりは絶対にしません。
笛を吹いても踊るか踊らないかです。

ちなみにこの言葉の語源を調べてみたら聖書だったので驚いた。

見つめる鍋は煮立たない”

 

解説: 待つということは時間が長く感じられてつらいということ

(鍋を火にかけてほかのことをしているとすぐに煮えたように思えるのにじっと鍋を
見つめて物が煮えるのを待っていると、ひどく時間が長く感じられるの意から)

画面をじっと見つめながらパソコンが立ち上がるのを待つのは長いでしょ!
コレですよ、コレ!
このホームページだってダウンロードされるのを画面を見て待っていたら
長く感じたと思います。

つぐまると遊ぶのはツライ! とにかく、つぐまるはタメが長ぁーい。ネコじゃらしに
飛びかかるような姿勢をしたかと思うと机のかげに隠れて待ち伏せしたり、
また出てきたりで1回飛びかかるのにえらく時間がかかります。
その間ずっとネコじゃらしを振りつづけるのはかなわんので何かほかのことを
しようとすると猛烈に抗議してきます。
片手間に遊んでもらうというのが生意気にも抵抗があるらしい。
しかし世話人だって貴重な人生の中でつぐまるのタメにつきあってただ漠然と
待っている時間というのは非常に長く感じる。
早くつぐまるが遊びにあきてくれるのをじっと待つのはツライ!
だけど遊びに手をぬいてカーペットはがしや壁紙はがしに拍車がかかってもこれまた困る。

 アンコウの待ち喰い”

解説:一般的には働きもせずにじっとしてご馳走にありつこうとするたとえとされていますが、
これではあまりにアンコウがかわいそう。何もしないで待つのはつらい。
待つことのリスクだってあるんだし、アンコウだってそれなりに一所懸命やっているにちがいない。
なのにこの世間の評価です。

つぐまるはネコ科の動物ですからもともとこの待ち喰いばかりやっています。
世話人も実は人生においては待ち喰い専門です。
が、つぐまるも世話人も待つのは苦手、じっとおとなしくは待つことができません。
ガマンがたりないのでいつもギャァーギャァーいいます。
そしてチャンスを逃してしまいます。

これからすこしはアンコウを見習おうとつぐまると話し合っています。
ちなみに世話人はアンコウの肝が大好きです。

 

寺からでれば坊主”

解説:そう思われても当然だ。やむを得ないという事。寺から出てくるものは
僧侶と思われてもしかたがないの意から(日本のことわざ)

日本のことわざのなかでもけっこう決めつけているというか、
逃げ場が無いというか、かなりムリというか、強引に感じる類のものです。

しかし、口にはださねど他人のことは寺からでれば坊主式に決めつけて、
自分のことは寺からでれば坊主式に見られたら困る、いろいろ事情が
あるのだから弁解させちくりーという事がままあるのではないでしょうか。
世話人はしょっちゅーであります。

つぐまるはその点、寺からでれば坊主式にしかものごとを考えません。
世話人が古雑誌でもしばろうと思って、うっかりヒモなど手にしようものなら、
遊んでくれるものと思って足にしがみついてきます。

こんなあんばいで寺からでれば坊主式にしか考えないものには、
寺からでれば坊主式に受けとめてやらねばしょーがないのかと考える、
今日このごろの世話人です。