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“経験とはあなたの身におこった事柄を指すのではなく、あなたがそれに
どう対応したか、その行動を指すのである。”

解説:この言葉には結構ドキッとします。確かに身のまわりにはいろんな困った
事等がおきますが、つぐまるも世話人も途方に暮れてボーッとしています。
たいがいそのまま時間が解決してしまうか、まわりの人が見かねて何とかする
ので、また同じ事がおこってもやはり途方に暮れてボーッとしてしまいます。
まったく対応などしないで脳天気に過ごしてきたため、今までどんな経験をして
きたかと問われると、この言葉が頭をよぎってウッと唸ってしまう世話人です。
つぐまるはそもそもこんな事考えていません。学習機能もあまりついていません。
同じ失敗をしても世話人のせいにしようとします。

解説:だいたい道を誤ってしまう代表的行動の中に、この三つがあるようです。
この言葉は現在の世話人の座右の銘の一つでもあります。
世話人には置き場がないくらい座右の銘がありますが、あまりたくさん置いても
人間的には成長しません。
‘うらやむな!’
世話人は、なんでも欲しがるクレクレタコラの研究をしているくらいですから、
すぐに人の持っているものを形のある無しにかかわらず欲しがります。そして
手にはいらないと「なんて自分の人生はつまらないんだ!なんて自分は不幸なんだ!」
と自虐的になって落ち込み、うらやましぃーうらやましぃーと念仏のように
唱えてしまいます。もしうらやましいと思わなければ、世話人はいつも満足した
人生がおくれることは間違いありません。
‘妄想するな!’
妄想は世話人の趣味の一つであります。しょっちゅう妄想にふけってニタァーッと
しています。そして建設的なことは何一つ行われず、時間だけが過ぎ去っていきます。
妄想するのをやめたら世話人の人生はどんなに充実したものとなるでしょう。しかし
妄想するのをやめることは世話人にとって睡眠をうばわれるくらいつらいことです。
‘こだわるな!’
これは何にでもこだわるなというのではなく、大事なことにはこだわって、
つまらない事にはこだわるなというように解釈するのが正しいと思います。
しかし、世話人はつまらないことにはすぐにこだわります。
こだわりまくって本末転倒状態日常茶飯であります。こだわるのをやめたら
どんなに平穏な人生がおくれるかと世話人はいつも考えています。
が!世話人はあきっぽい性格も持ち合わせているため、こだわりも途中でほうり
だしてしまうことがあります。ちなみに“つぐまる”はエサにこだわるくらいで
これらの言葉はあまり関係ないようです。幸福なやつらです。
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“ああ聖母マリアよ!かくも小さきことに悲しみ給うなかれ、
花々も星々も小さきものなれば。”

解説:これは日本でも結構人気のあるスペインの建築家アントニオ・ガウディの
作品でカサ・ミラという建物の天井に彫り込まれていた言葉です。
どこからの引用かはわかりません。
世話人が勝手に想像するには、キリストが刑を受けたときの聖母マリアの悲しみを
慰めた言葉ではないかと思われます。
つぐまるも世話人も小さいことをすぐに大きくしてしまう悪癖がありますから、
ちよっとした悲しいことも大きく悲しんでしまい、はげしく落ち込んでしまいます。
そこでこの言葉を思いうかべるわけですが、たしかに地球レベル、宇宙レベルで自分
のことをみるとかくも小さきこととなってしまうわけで、まぁーしゃぁーないなー
と一瞬さとりでも開かれた気分になります。そして、すこし元気がでます。
でもすぐに又、現実に直面してドォーッと落ち込んでしまいます。
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解説:明日はなにがおこるかわからない。だから今日のうちにやっておこうという真面目なあなた。
明日はなにがおこるかわからない。だから今日のうちにやっておきたいがめんどくさい!
と心配だけするなまけもののあなた。
どちらにしても今日眠りについて明日目覚めるとはかぎりません。今日は今日でたのしみましょう。
聖書のなかにもこんな言葉があります。“明日のことを思いわずらうな。明日はみずから
思いわずらわなん。一日の苦労は一日にて足れり。” マタイ伝6章
ただし、今日しなければならないことをいつも明日にもちこしているあなたは
(私もそうですが)、この言葉は必要ありません。
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物事には、いちいち理屈をつけるものではない。人間という生き物は理屈とは
全く無縁のものなのにどうも得てして理詰めにいきたがるのがおかしい。

解説:池波正太郎 鬼平半科帳の一節で鬼平の言葉です。解説はありません。