しかし、均、満の兄弟はスペインで交通事故を起こし均は半身不随となり、その責任が満にあるとして、満が所有する神前亭に対抗するため
ホテル「カルタヘーヤ」を建設し、このあたりからこの街は急速にリゾートタウンに変身します。しかし、叔父の義正はこのキンピカの街を嫌って
姫島という近くの島から出てきません。彼の所有する街の持ち分は植物園にしていますが、これも観光地としての魅力を感じさせます。
シリーズで全て登場するのはカルタヘーヤに事務所を持ち、クルージングの会社を所有するソルテイと呼ばれる若月という36歳の男と
1年に1冊しか本を書かない群という作家です。本の内容は絶望的な暗さを持っていますが、日本より海外で評価が高い小説家です。
背景説明だけでこの分量になりました。
今回は均・満の最後の決戦で、「バレンシアホテル」の存在を賭けて、N市からはホテルを守るために川中陣営の高柳という若い男がこの街に入り、これに対抗して、
満陣営の人間や広域暴力団の出入りが始まります。元々素状のはっきりしない借用書が「バレンシアホテル」を経営している中本という女性の元同棲した人間と大野という
人間が5億の借用書を交わし、その担保に取り立てるため、N市でおなじみの弁護士「キドニー宇野」が登場します。
しかし、この5億は川中と群が調達し債権関係は消滅します。残るは暴力団崎田という水無月会をしきる男達と川中とこの街をしきる若月や水村達の連合軍との戦いになります。
この話で一番以外だったのは虚無的な作家群が「バレンシアホテル」の女社長に恋をすることです。彼女を守るために得意の示現流の日本刀を持ち、ホテルに泊まりこむことです。
どういう結末になるかは読んでもらうしかありませんが、両方のシリーズの特徴でもありますが、仲間内に必ず死者がでます。川中も若月もその死者の重みを背負ってこれからも生きていくのでしょう。
柳生博さんは俳優であり、名作NHK「生き物地球紀行」のナレーターとしても有名です。また日本野鳥の会の代表でもあります。
彼は八ヶ岳の麓に土地を買い、30年かけて静まり帰った針葉樹林を、生き物が活動している広葉樹林の里山に変えたのです。
腐葉土が堆積した中からミミズが現れた瞬間を彼は息子と一緒に喜んでいます。ミミズを土の中を耕し、その排泄物などを餌に
様々な植物が育ち、植物には蜜を求めて鳥たちが集まり、受粉をしてゆきます。また、鳥たちの排泄物には消化されない種があり、ここでも植物はエリアを拡大します。
また、栄養に満ちた土地からは様々な昆虫が育ちます。それを鳥たちは食べ子育てをして次の世代を育てるのです。この生体系の頂点に猛禽類がいます。
彼らは種類によって餌が違いますが、やはり小鳥が中心でしょう。この本にも書かれていますがイヌワシはその頂点にいますが、餌がなければ子育ても繁殖もできません。
最後のほうにはイヌワシのつがいが観察されています。柳生さんの長い年月の努力が新しい生命を呼び込みました。
この本には外国の野鳥をかなり観察してあります。一番感じたのはオオムジアマツバメの行動です。イグアスの滝という水量の豊かにこの親鳥は危険を顧みず滝の中に飛び込み
子供に餌を与えているのです。彼らも苦労して滝の向こうに入りますが、そこには餌を子供与えることの親の喜びを感じたようです。
動物の世界はいかに自分の種族を強くして繁栄させていることにあるでしょう。餌をしっかりと食べ、一番強いパートナーを選ぶことが彼らの一番重要な生き方です。
この本は読んでいて楽しかったのは、柳生さんが森を歩くと、シジュウカラ、コゲラ、ゴジュウカラなどが後をついてくることです。
柳生さんが土を掘り返せばそこには地中の虫が現れ、彼らのおいしい餌となるわけで、そこまでの信頼関係をつくることができた筆者に乾杯します。
また八ヶ岳で育った息子も自然に興味を持ち、今はNHKの園芸番組の先生として出演しています。我が家は夫婦ともフィールドワークが好きですが、3人の子供は全く興味を示しません。
柳生家では孫たちも八ヶ岳に登場し、いつも小鳥と一緒にいる柳生さんのことを「ピヨピヨじいじ」と呼んでいるそうです。このように自然を愛する家系がつながることはとても素敵なことです。
里山を維持するにはかなりのエネルギーがいります。私も小さな里山を守る会に参加していますが、真夏の作業の厳しさなど半端ではありません。しかも仲間は殆ど年上の高齢者です。
柳生さんも死ぬまで八ヶ岳の里山を守ってください。野鳥の会の一員として応援します。
104.東京の小さな喫茶店・再訪
2009年8月5日(月)
作者:常盤新平
発行:リブロアルテ

歳をとるに連れて読書傾向も変わるものですね。私が常盤新平さんの名前を知ったのは早川書房で出版する「SFマガジン」の編集長だったころです。
私もこのころは海外のミステリーしか読まない時代でした。同じ出版社の「ミステリーマガジン」の愛読者でもありました。
しかし、日本の冒険小説が活気が出て以来あまり海外小説から離れて行きました。代表的は北方謙三さんも前回の紹介した時代小説が多くなり、国際的は暴力の現場を
書き続けた船戸与一さんも現在日中戦争の長い物語を執筆しています。
常盤新平さんも自分では書いていませんが、自分の好きな時代小説の本とか講演を行っています。一度講演を聞きましたが志ん生さんみたいなゆたっりとした語り口でした。
この本は時代小説とは関係ありません、衰退してゆく「まちの喫茶店」のお話です。今都心で個人経営の喫茶店を探すのは非常に困難です。
この本で一番面白かった店は平井にある「ワンモア」というお店です。福井さんと絹代さんが二人で経営しています。狭い店ながら自家焙煎にこだわりご主人は汗をかきながら焙煎をしています。
しかし、面白いのはこの店に魅かれてやってくる人達の絡みです。特にユニークなのは熊撃ちが好きな高橋さんで、料理が得意で夫婦に食べてもらうためにいろいろな食べ物を持ち込みます。
そのため高橋食堂といわれていて、常連さんからは次はこれにしてと注文が出るそうです。みんなから食堂経営を勧められますが、彼は配管工事の社長なのです。
彼はまた、歌の名人であり、常連客の一人洋子さんが経営するスナック「パルマ」で最後に「そっとおやすみ」を歌いますが、その途中で「ーーー只今流れている曲を持ちました本日の営業を終了させていただきます。
また、明日のご来場を従業員一同御待ち申し上げています」と述べた後、また「そっとおやすみ」を歌うのです。これに対して百貨店勤務の皮肉屋の小島さんがパチンコ屋であるまいし、とつぶやきます。
なんせ従業員といっても洋子さん一人の店ですから。このような人間模様が描かれていて、ひとつの短編小説のようです。
私は平井という町は知りませんが、平井という町は総武線っで北口と南口と分断されていて、あまり交流がないそうで、洋子さんもお客さんの紹介で1年前に初めてワンモアを訪ねたそうです。小島さんも洋子さんの
紹介で知ったそうです。逆に福井さんも「パルマ」の存在を知らなかったわけで、この町のありかたも面白いものがあります。
「ワンモア」は一つの店の話ですが、ここには前回訪問してまだ健在な店とすでに廃業した店が沢山描かれています。最後に現在営業している地図が掲載されていますので、
機会があればどこかに行きたいと思っています。
103.黒龍の柩
2008年11月27日(金)
作者:北方謙三
発行:幻冬舎文庫

この日付を見ると5ヶ月の間何も書いていませんね。
理由は簡単です、本人のやる気のなさです。本は年間もうすぐ200冊になるくらい読んでいます。何しろ事務所の前が図書館なので
予約はするし、読む本がなくなるとすぐに借りにいけるのですから。
さてこの本の主人公は新撰組副長土方歳三です。北方さんは現代のハードボイルドから急に中世の歴史小説を書いたり、剣豪小説のシリーズまで書き、
今は三国志や水滸伝という各対象を変化させています。
この本は幕末を土方歳三をとうして北方風の解釈があります。土方歳三は新撰組ではかなり厳しい規律をつくり厳格に実行しています。
しかし、一枚のイケメンの写真と五稜郭で最後まで戦い戦死した、男らしい生きざまにみんな感動するのでしょう。
結核で死んだ沖田総司は女性に人気がありますが、現実の写真があればイメージは変わる可能性があります。
基本的にこの本の基調に流れているのは、勝海舟等が唱えた、国内戦争を起こせば外国に侵略されるから、坂本竜馬が唱えた公武合体の新しい国をつくることに彼も同感していることです。
こういう目線の土方はあまり描かれていないでしょう。武装革命を狙う西郷隆盛を最大の謀略家として捉え、暗殺の機会を狙いますが、いつも中村半次郎にはばまれます。
最後には榎本武揚とともに五稜郭まで、そのプロセスがこの本のメインのプロットになっていますので書きませんが、このアイデアは彼のオリジナルでしょう。
話は関係ありませんが、いつも幕府の伝習隊の責任者大鳥圭介が登場しますが、この人は負けてばかりいて、最後には降参して政府の高官になるのですが、その人の別荘の跡地が我が家の近くに
記念碑として残っています。彼に比べたら男の価値が全く違うでしょう。
この本を読むと西郷隆盛は相当なワルですね。相良総三、益満休之助達は西郷に利用されながら死んでゆくのですから。西郷伝説の本当のところはたぶんブラックボックスなのでしょうか。
もう一人新撰組に料理人として入りこんだ九兵衛という歴史にはないキャラクターでしょうが、この存在がこの本の厚みを増しています。
思えばこの作家のサブキャラの扱いは非常に上手ですね。
とにかく北方ハードボイルドの文体で描かれたこの本は面白い。
102.写楽・考
2008年6月27日(金)
作者:北森鴻
発行:新潮文庫

異端の民族学者蓮杖那智(東敬大学助教授)もシリーズ第3弾です。かなり前にハードカバーで読みましたが、文庫化されたので再び読みました。
これは短編集ですが、最後の作品がこの本タイトルになっているのです。しかも、この直前に書いたフェルメールの絵が謎のキーワードになっていて、
フェルメールが利用したとされている、カメラ・オプスキュラも小道具の一つになっています。これはピンホールカメラの原型です。
蓮杖那智は日本人ばなれした美女で、他人の事を無視して自分の行動を貫きます。元々民族学は仮設の展開で、これが絶対というものがないのが特徴でしょう。
この先生は常識化した通説を自分の視点で切り開いていくので、学会では異端しされているのです。また、学校の予算も気にしないで、どこでもフィールドワーク
に出かけて行くので、それは尻拭いする助手の内藤三國です。今回から新しい女性の助手が増えました。それに教務部主任の狐目の男から、予算についていつも
文句を言われているのですが、この男は実は蓮杖那智と同じ時期に民俗学で華々しい活躍をした人ですが、師との葛藤で学問を捨てた人だったのです。
この写楽・考ではこの人の論文を大金持ちで独身の男の名前で異端な学説を発表してから混乱が始まります。学説の根拠となる古文書は見に招待されたのですが、
本人の行方が不明です。
民俗学はやはり推理する学問であり、推理小説と似た構造があるのでしょう。出雲の国、吉備の国などの歴史は天下を取った大和王朝によって改竄されてゆくのですね。
日本書記や古事記が天武から持統天皇の裏にいる藤原不比等の作った歴史という梅原猛先生などの説が主流を占めているようです。
このような複雑なテーマをミステリーするこの作者の博学も凄いと思います。今回も、カメラ・オプスキュラを復元するために冬狐堂が現れます。
いつも新しいレシピを考え、古美術を考え、そして民俗学まで追いかけるこの作者のタレント性は凄いと感じます。
この本で三角形をした鳥居の存在を知りました。さすがインターネットの時代です。墨田区の鳥居のある神社があることを知り、出かけましたが工事中で中に入れませんでした。
しかし、ネットの世界は凄いですね。北森鴻の掲示板にも書きました「早く香菜利屋を復活して欲しい」と。
101.真珠の耳飾りの少女
2008年5月23日(金)
作者:トレイシー・シュヴァリエ
発行:白水社

少しでも絵に興味のある方はこれはフェルメールの描いた少女だとわかるでしょう。
モナリザの神秘さとは異なり、一目でこの少女の美しさ純真さを感じるでしょう。しかし、この少女が誰か書いてある解説書はありません。
しかし、この作家はこの少女に「フリート」とい名前を与え、フェルメール家の女中という設定をしています。
ストリーはフェルメールの数少ない絵を参考にこの画家に死にいたるまでのフリートの生活を描いています。私が最初に見たのは初めて日本に来た
「牛乳を注ぐ女」ですが、これは先輩の女中「タンネケ」という設定になっています。
フリートが女中になったのはガラス職人の父親が釜の爆発で失明したからです。弟は親の後を継ぐために徒弟奉公に出ていて、残るのは母親とまだ10歳の妹だけでした。
この妹もペストで亡くなりフリートの家族はもう一体感を喪失したようです。
フリートの関心はフェルメール家に移っていきます。この少女は気が強く、陰湿ないたずらをするフェルメールの娘を平手打ちをしたりします。また、その母親である
カタリーナともあまり折り合いがよくありません。奥様は子沢山でこの時点の6人の子供がいて、いまを大きなお腹をしています。
フェルメールはあまり沢山の絵を描きません。そのためにこの家の経済は苦しいのですが、旅館を経営している義母マーリア・ティンスが補助をしているようです。
この義母はフリートの味方で、いろいろフリートを助けています。
フェルメールの部屋を掃除するのがフリートの仕事ですが、置いてあるものは一切動かしてはいけない、といいつかります。
ある時パトロンであるファン・ライフェンの夫人を描いている時、フリートにとってはテーブルクロスの配置がどうも構図的におかしいと感じ、その形を変えてしまいます。
しかし、フェルメールはこれを咎めませんでした。この作品が「真珠の首飾りの女」という絵となって残されています。
いろいろな事情があり、フリートはアトリエの屋根裏部屋に住むことになり、フェルメールの手伝いをすることになるのです。
女たらしのパトロンからフェルメールはいろいろ苦労してフリートを救います。しかし、この小説ではフェルメールの個性はほとんど表現されていません。
カタリーナの気持やフリートの感じで彼女がフェルメールを慕っていることが伝わります。
というような展開が仮想な少女「フリート」の動きで、オランダの天才画家フェルメールの人生がわかるようになっている小説です。
この本を読み、図書館へ行き、フェルメールの図鑑を借りて、この小説とのつながりを少し理解しました。
この画家のリアリズムと光の使い方の凄さがよくわかりました。しかし、「真珠の耳飾りの少女」にまさる作品はないでしょう。