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つぶやき色々


賞賛

人に褒めれらるのは嬉しいこと。
でも、褒められすぎるのはどうか。
賞賛は、される側ではなく、する側の「嗜好」に大半は拠っているのではないだろうか。
特に、身近な人の場合はそれによって醸し出される空気感の方向性に対するコントロールに、より重点があるかもしれない。
「ここで褒めておかないと、まずい雰囲気、気に入ってもらえない」
それが大衆であれば、対象への認識は余りにも薄いはず、正に、事象の伝達手段・マスコミの判断を受け入れるだけではないか。

批判も痛くない。
なぜなら、それは単に他者との認識の差に過ぎない場合が多いから。
彼と被批判者との距離感が彼の側から客観的に提示されることは、被批判者にとっては立ち位置が明確になるからである。
いわゆる感情的な批判となるのは、互いが立ち位置が1箇所しかなくて、「不倶戴天」的な考えに陥るからである。
褒められたくて何かをしているのではなく、大げさに言うならば、そのことへの限りない最善を求めている人々にとっては、
それがいかに痛烈であろうとも、本質を突いた批判こそが嬉しいに違いない。
人は褒められるだけでは、実際満足はしない。
褒められることによる、追加要素こそを欲している。
例えば、尊敬、お金、地位、今後の優位な扱い全て。
これらを欲しない人々は、現状の改善こそが望みである。
賞賛は過去のプロセスへの評価に過ぎない。適切な批判のみが、明日への改善策となるのだ。

さて、私自身のことを言えば、褒めてくれる人は多々あっても、お金も地位も貰ったことは無い。
私を味方に、少なくとも敵にはしないために口先だけで褒めるばかりである。
ずっと若い頃、褒められることなんてなくて失敗ばかりしていた時の方が、当然に私自身の能力が高まったと思う。

少しだけカッコつけて言わせて貰えば、褒められる事の少ない人はちょっと褒められると有頂天になる。
私は、もううんざりです。「武士を知るものは武士のみ」、周りには、一人もサムライ居ないのだ。