私の思い

 あなたなら

 あなたは、話せない、家族の顔が見えなくなって、わずかに動いた指や額が動けなくなって、意思疎通がまったくできなったらどうしますか。   わたしは筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症して21年になります、わたしや多くの仲間はわずかに動く指や額でパソコンや文字盤で意思表示します。この病気の残酷さはこれらをすべて奪っていく。最後の砦の見ることさえ奪っていく。瞼がさがり闇の世界に突き落とされます。いつかくるだろうそのときがくるまで日々闘っていきます。いろんな病気や障害で日々闘っている人がいるということを多くの人に知ってもらいたいと切に願っています。この文章を書くため30時間以上の気の遠くなるような時間と労力を費やしました。それでもわたしは動くところがあるかぎり書き続けます。家内のため。家族のため。支えてくれるすべての人に感謝を込めて命のあるかぎり、

 9月1日―平成28108()


決定打がほしい!

わたしは筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者です。
身動き一つできません。話すことも自力で呼吸もできません。それでもわたしは家族と共に喜び、楽しみ、笑い、悩み、ときには涙を流します。本を読み、新聞を読み、選挙をして社会に参加しています。全国に大勢のおなじ仲間が医学の飛躍的な進歩を今か今かと待ちわびています。野球でいうと単発なヒットはでるがこれぞという決定打がでない。この決定打をでるのを待ちきれず多くの仲間が力尽きて旅立っていきました。わたしも決定打が早いか、生きてやる、仲間の分まで生きてやる、という思いが強いか、毎日が競争です。

旅立った仲間よ 呼吸器も無い車椅子も無い故郷の原っぱで手足を思い切り伸ばしこどものようにたわむれ、故郷の地酒と地ビールをたらふくお飲みください                
そしてゆっくりゆっくりお休みください  

平成25619()―平成26717()  記

生かされた命大事に生きたい

人工呼吸器を装着している私にとって電気は命綱。その命綱が3月11日の激しい揺れに奪われた。

家内とヘルパーさんは呼吸器の電気を確保するためバッテリに繋いだ。車のシガーソケットから取る準備もした。私はそれを見ながら真っ先に考えたことは停電が何時間何日続くかだ。ラジオから次々と悲惨な状況を伝えていた。私は大津波が沿岸地域を襲う現実を想像した。だが私の想像など木っ端みじんに吹き飛ばされたことを後で思い知らされた。

家内の顔も見えない明かりの中で(死ぬかもしれない)頭の片隅に浮かんだ。家内は(大丈夫命守るから)と、励ます。今まで頑張って生きてきたんだ。ここで死んでたまるか。と、自分を励ます。その一方で40代でALSを発症したとき一度は諦めた命。ここまで一生懸命生きてきた。子どもの成長を見届けた。孫にも逢えた。親の責任を果たした。与えられた時間は充分生きた。

少し疲れた。呼吸器も車いすも無いところでゆっくり眠りたい。家内を自由にしてやりたい。思いが広がっていた。命綱が復旧した。涙でテレビが霞んで見えた。思いを恥じた。必死で生きようとしている、必死で命を守ろうとする姿が目に突き刺さってきた。不眠不休で命を守ってくれた家内。生きた命。生かされた命。大事に大事に生きたい。

                    平成2372()ー平成23719() 

つらさ忘れる音楽会

昨年暮れ、胸が熱くなるクリスマスプレゼントをいただいた。
28回を迎えたメサイアコンサートに指揮者の工藤先生、ソプラノの菅英三子さんをはじめ多くの関係者の皆様の厚意により招待されました。人工呼吸器を装着しているALS患者の私にとっては苦しいこと、辛いこと等を忘れることができたプレゼントでした。
工藤先生は「雪が降らなくて良かったですね。」と挨拶に来てくださり、そして、開演直前には「間もなくはじまります。長時間です。呼吸器の電源は大丈夫ですか」と心配してくれました。
呼吸器を装着している
ALS患者さんがおられます。呼吸器の音もコンサートの一部です。の挨拶に目頭が熱くなった。工藤先生の腕が振られた途端、体温が急上昇して顔が火照り躰が熱くなり震えた。菅さんの声とアルト テノール バリトン 100人を超すメサイアを歌う会の声がある時は一体となり、ある時はそれぞれの声がホールの隅々に響き私の胸をズシーンズシーンと揺さぶった。感動をありがとうございました。

平成221220() 〜平成2314() 


 ALS患者に歌の贈り物 メサイアを歌う会が来月コンサート
 
全身の筋肉が徐々に衰える「筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症」(ALS)の患者らに音楽でクリスマスを楽しんでもらおうと、仙台市の「メサイアを歌う会」(柿崎六郎会長)が12月18日、青葉区の市青年文化センターで開くコンサートに患者とその家族らを招待する。コンサートは今回が28年目で、メンバーは「新たな気持ちを歌に込めて、プレゼントにしたい」と練習に励んでいる。

 メサイアはキリスト生誕を祝って歌われるヘンデルの名曲。歌う会は東北で唯一、メサイアを毎年歌い続け、100人を超える市民有志の合唱は仙台の暮れの風物詩となっている。
 歌う会が招待するのは日本ALS協会宮城県支部の会員たち。会話の力を失う患者に対するコミュニケーション支援や行政への要望活動、在宅で孤立しがちな会員の交流に取り組んでいる。
 会員を招いたクリスマス演奏会は2年前まで11年間、仙台市出身のソプラノ歌手菅英三子さんがチャリティーで催し、患者と家族の楽しみになっていた。
 菅さんに共感してステージに参加した歌う会メンバーも多く、その志を受け継いで「自分たちの演奏会を贈り物にしよう」と招待を決めた。
 長年指揮者を務める工藤欣三郎さん(69)が協会県支部長で患者の和川次男さん(60)方=泉区=を訪れ、「寒い季節ですが、心から温まる音楽をぜひ聴いてください」と招待状を贈った。
 和川さんの妻はつみさん(57)は「人工呼吸器を着け、行楽もままならない患者と家族にとってコンサートは最高の楽しみ。仲間たちに参加を呼び掛けたい」と話した。
 メサイアは3時間を要する大曲。歌う会は今月初めからメンバーが練習に取り組み、今回は演奏機会が少ない全曲版に挑戦する。菅さんもソリストとして参加し、クリスマスの聖歌も披露する。
 コンサートは18日午後2時から。前売り券は一般3000円、中高生500円。

河北新報 2010年11月28日日曜日

難病に負けず強く生きたい

父ちゃん、俺来年還暦なんだよ。勤めていたら定年退職だよ。と今年も墓参りができた。あと何回でき

るだろうか。来年もこれらますように。と忘れずに父に頼んだ。

以前は愚痴ばっかり言っていた。父ちゃん、俺今大変なんだよ。筋萎縮性側索硬化症という訳の分から

ない病気になってさ。食べることも話すこともできないし、体も動かないから一日中寝ているんだよ。

生きるだけで精一杯だよ。だからさあ、父ちゃんなんとかしてくれよ。父もなんとかしてくれよ。と言

われても困るだろう。あんまり愚痴ばっかり言うと、そんなに生きるのが辛いならこっちこい。こっち

はいいぞ。人工呼吸器も車いすもないぞ。こっちはいいぞ。と言われる気がする。

もうすこし生きたい。母より先に逝ってたまるか。

平成20819() 

 

弱者に優しい政治を望む

私は身動きひとつできません。また、話すことも食べることも自力で呼吸すらできない重度障害者です。

私の理解力、判断力、決断力、記憶力は元気な人となんらかわりません。家族と共に喜び、楽しみ、笑い、悩み、ときには涙を流します。本を読み、新聞を

読み、選挙をして社会に参加しています。これを支えているのが、介護保険と障害者自立支援法です。

その頼みの綱の介護保険と障害者自立支援法が昨年、見直しされました。利用者に良い見直しならいいなのだが実際には全く逆の見直しだった。負担も

大幅に増えた。介護保険では利用するサービスは厳しく制限され使いづらくなった。障害者自立支援法においては支援費をなるべくださないように理屈を並べ立てる。

その一方で国、自治体は身内に大変甘い。典型的な例は年金の着服である。着服とは辞書で調べると「金品を秘かに盗んで自分のものにする」とある。つ

まり、盗人泥棒犯罪である。その犯罪者を社会保険庁(国)自治体はかくまって、あろうことか退職金まで払っているという。まさに社会保険庁(国)自治体が

らみの共犯である。民間ではとても考えられない。政治家、役人はこの腐りきった体質を今すぐ見直すべきだ。来年は子年だ。政治家、役人は己の保身を

護るためチュウチュウと這いずり回るのでなく、弱者の為走り回ってほしいものである。

平成19年12月14日 記

 病床から母に誓う

「ほら」、と安男は背中を向けた。
「いいよ、ぼちぼち歩くから」
「だめだよ、俺がおぶってやる」
「はずかしい」言いながら背中に被いかぶさった母の体は羽毛のように軽かった。

これは私のお気に入りの本の一場面です。
この本を読むとなぜかほっとする。もう
4度読み返した。
もし元気だったら安男のように母をおぶることができるのだろうか。
母もきっと、いいよ、ぼちぼち歩くから。というだろう。
それでも階段のところは俺がおぶってやる。と言えるだろうか。
そんな夢を見てベッドの上で
10年が過ぎてしまった。
母は年に何度も元気な姿を見せにきてくれるが、会うたびに母の体は縮んで小さくなっていく。
おぶったらきっと安男の母のように軽いだろう。
部屋にはいると真っ直ぐに私の手を皺だらけの乾いた手でさすりながら、
 真面目に生きてきたのになんでこんな病気になっただろうね、と呟く。
 そして、ギュッと握った母の手から、かあちゃんも頑張っているからお前も頑張れ。と伝わってくる。
90近い母に心配ばかりさせて、かあちゃんごめんよ。俺頑張るよ。
動かぬ拳を握りしめ何度も何度も母に誓う。

平成19年6月1日 記

美しい歌声に生きる力もらう

難病(筋萎縮性側索硬化症)の患者を支援する菅英三子クリスマスチャリティコンサートが先日、宮城学院の礼拝堂でおこなわれました。雪にもかかわらず大勢の人が駆けつけてくれました。菅英三子クリスマスチャリティコンサートは今回9回目を迎えました。私自身は6回目のコンサートでした。はじめてコンサートへいったときのことが甦りました。ソプラノ歌手が礼拝堂でコンサート。患者である私にも案内がとどきました。ソプラノの意味も分らず、礼拝堂へいったこともなく、コンサートは30年ぶりの2度目。とりあえず行ってみよう、と軽い気持ちで礼拝堂へ向かいました。しかし、礼拝堂の隅々まで響き渡る菅さんの声の迫力に圧倒され軽い気持ちでいったことなど吹き飛ばされてしまいました。菅さんの声とパイプオルガンが一体となりズシーンズシーンと胸を揺さぶり心地よく染みこんできました。菅さんの、人工呼吸器の音もコンサートの一部です、の言葉に涙腺の堤防が壊れ涙が止りませんでした。それ以来、紅葉の楽しみが終わるとコンサートが待ち遠しくなりました。この病気は難病中の難病でいまだに原因が解明されず、治療法も確立されていません。取り巻く環境も厳しいですが、菅さん、雪にもかかわらず駆けつけたくれた皆さんの支援を励みにゆっくり一歩ずつ歩んでいきたいと思います。

平成18年1212日 記

幸せの配達人

ジィジになった日

6101010分。受話器の中から息子の弾んだ声が頭の芯に心地よく響いた。
(生まれたよ)

私はこの瞬間ジィジになった。嬉しさのあまり一瞬目眩を覚え、過ぎ去った日々の思い出が走馬灯のように浮かぶ。

ALSを患って10年。終わりの見えない在宅療養に入って8年。子供の成長、家内ともうすこし一緒にいたい、を生き甲斐に呼吸器を選択した。
しかし、当時
中学だった息子の晴れ姿なんて夢物語と思っていた。昨年5月、東京で行なわれた結婚式で息子の満面の笑顔を見て、生きてきて良かった、頑張ってきて良かった。万感の思いだった。こんどは初孫誕生という嬉しい知らせだった。両腕でしっかり抱きしめたい、真綿のように柔らかな頬っぺに指をふれジィジだよと囁きたい。しかし私の腕も足も身動きひとつできない。言葉も奪われた。
それでも私は幸せ者の
ALS患者だ。

 …孫どころか子供の成長さえ見届けることなく逝ってしまった多くのALS患者…

孫の誕生で錆びかけた神経が甦り生きる喜びがまた増えた。息子よありがとう。まだ逢わぬ孫よありがとう。

                                                   平成17年6月20日 記

ご対面   9月23日

笑った。笑ってくれた。私も天使に応えようと全身を顔にして神経を総動員した。しかし、顔は知らんぷりしてほんの少ししか笑ってくれなかった。それでも彼女は笑ってくれた。私は思いが通じ安心した。クリクリと大きな瞳に見つめられて、胸がキューンとなって病気のことなど忘れてしまった。

おでことおでこを触れあった、ほっぺとほっぺを触れあった、動かぬ腕でだっこした。その感触を大事に大事に胸底へしまい込んだ。可愛い、愛おしい。食べてしまいたい、目の中に入れても痛くない。とはこのことだったのかと実感した。

いつの日か、たどたどしい喋り方で「ジィジどうして昼間から寝ているの」 「ジィジどうしてしゃべりないの」 「ジィジこれなぁーに」と人工呼吸器をいじくりまわすだろう。その日がとても待ち遠しい。花嫁姿は余りにも遠すぎて私は疲れ切ってしまうだろう。せめて、ニキビが二つ三つあるはにかんだ顔で「ジィジわたしもう中学生よ。なんか買ってちょうだい」と甘えられるまで元気でいたい。それまで、治療法は進歩するだろうか。愛おしい残像が脳裏から逃げだぬよう鍵をしっかりとかけた

                                                  平成17年10月5日 記

再会

ちっちゃな手をわたしに向けてヨチヨチと近づいてきた。あとわずかのところで、プイッと引き返し息子の足にしがみついてしまった。
器械に繋がれた私の姿にビックリしたのだろう。1年ぶりに再会した孫は、驚くほどのスピードで成長していた。しばらく息子の足元を
離れなかった孫は、部屋中をキョッロキョッロ見回しやがておぼつかない足取りで歩きだした。漫画の顔を描いたお尻をもこもこして
歩く姿が愛くるしい。1歳3ヶ月になった孫、昨年動かぬ腕で抱っこした感触が甦った。孫は家内に抱っこされて、あぁっわわっと声を出し
てご機嫌のようだ。家内も満面の笑顔で嬉しそうだ。わたしはほっとした。孫が人見知りして家内に近づかないのでは、家内ががっかり
するだろうな、と心配していた。しかし、そんな心配は無用だった。孫は精一杯の愛嬌を振りまき、わたしと家内に幸せをプレゼントして
くれた。わたしのひざで、4ヶ月の孫ももみじのような手を宙に泳がせ、キャッキャッと嬉しそうな声をあげわたしの顔を見つめてくれた。
わたしはうっとりして病気を忘れ、手を触れようとしたが、手はぴくりとも動かなかった。家内に抱かれた孫が、弟よ゛わたしお姉ちゃんに
なったのよ、と言いたげそうな視線を送ってきた。わたしは胸が熱くなり、病気なんかに負けてたまるか、と自分に言いきかせた。
温もりを胸に焼き付けながら、健やかに育て、と祈った。
                                  平成18年9月25日 記