私の思い

つらさ忘れる音楽会

昨年暮れ、胸が熱くなるクリスマスプレゼントをいただいた。
28回を迎えたメサイアコンサートに指揮者の工藤先生、ソプラノの菅英三子さんをはじめ多くの関係者の皆様の厚意により招待されました。人工呼吸器を装着しているALS患者の私にとっては苦しいこと、辛いこと等を忘れることができたプレゼントでした。
工藤先生は「雪が降らなくて良かったですね。」と挨拶に来てくださり、そして、開演直前には「間もなくはじまります。長時間です。呼吸器の電源は大丈夫ですか」と心配してくれました。
呼吸器を装着している
ALS患者さんがおられます。呼吸器の音もコンサートの一部です。の挨拶に目頭が熱くなった。工藤先生の腕が振られた途端、体温が急上昇して顔が火照り躰が熱くなり震えた。菅さんの声とアルト テノール バリトン 100人を超すメサイアを歌う会の声がある時は一体となり、ある時はそれぞれの声がホールの隅々に響き私の胸をズシーンズシーンと揺さぶった。感動をありがとうございました。

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 ALS患者に歌の贈り物 メサイアを歌う会が来月コンサート
 
全身の筋肉が徐々に衰える「筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症」(ALS)の患者らに音楽でクリスマスを楽しんでもらおうと、仙台市の「メサイアを歌う会」(柿崎六郎会長)が12月18日、青葉区の市青年文化センターで開くコンサートに患者とその家族らを招待する。コンサートは今回が28年目で、メンバーは「新たな気持ちを歌に込めて、プレゼントにしたい」と練習に励んでいる。

 メサイアはキリスト生誕を祝って歌われるヘンデルの名曲。歌う会は東北で唯一、メサイアを毎年歌い続け、100人を超える市民有志の合唱は仙台の暮れの風物詩となっている。
 歌う会が招待するのは日本ALS協会宮城県支部の会員たち。会話の力を失う患者に対するコミュニケーション支援や行政への要望活動、在宅で孤立しがちな会員の交流に取り組んでいる。
 会員を招いたクリスマス演奏会は2年前まで11年間、仙台市出身のソプラノ歌手菅英三子さんがチャリティーで催し、患者と家族の楽しみになっていた。
 菅さんに共感してステージに参加した歌う会メンバーも多く、その志を受け継いで「自分たちの演奏会を贈り物にしよう」と招待を決めた。
 長年指揮者を務める工藤欣三郎さん(69)が協会県支部長で患者の和川次男さん(60)方=泉区=を訪れ、「寒い季節ですが、心から温まる音楽をぜひ聴いてください」と招待状を贈った。
 和川さんの妻はつみさん(57)は「人工呼吸器を着け、行楽もままならない患者と家族にとってコンサートは最高の楽しみ。仲間たちに参加を呼び掛けたい」と話した。
 メサイアは3時間を要する大曲。歌う会は今月初めからメンバーが練習に取り組み、今回は演奏機会が少ない全曲版に挑戦する。菅さんもソリストとして参加し、クリスマスの聖歌も披露する。
 コンサートは18日午後2時から。前売り券は一般3000円、中高生500円。

河北新報 2010年11月28日日曜日

難病抱え還暦悲喜こもごも

私は身動きひとつできません。また、話すことも食べることもできません。自力で呼吸すらできないALS患者です。発症当時、40代だった私もこの5月に還暦を迎えます。勤めていたら定年退職です。よくここまで生きてこられたな、と家内に感謝です。その一方で、この間に多くの仲間が、力尽き旅立って逝きました。時の流れの現実を思い知らされました。救いなのは発症当時、高専、中学だった息子が社会人となり、それぞれ家庭を持ち家族も増えました。親としての責任を果たし、ああ、歳を取るのも悪いもんじゃないな。と思ったやさき、大切な人が遠いところへ逝ってしまいました。そして、恩義ある人も。やはり歳を取る共に嬉しいことも、楽しいことも、悲しいことも、辛いことも影のように一緒に付いてくるようだ。

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ありがとう


生きて還暦を迎えられるのは夢のようです

難病に負けず強く生きたい

父ちゃん、俺来年還暦なんだよ。勤めていたら定年退職だよ。と今年も墓参りができた。あと何回でき

るだろうか。来年もこれらますように。と忘れずに父に頼んだ。

以前は愚痴ばっかり言っていた。父ちゃん、俺今大変なんだよ。筋萎縮性側索硬化症という訳の分から

ない病気になってさ。食べることも話すこともできないし、体も動かないから一日中寝ているんだよ。

生きるだけで精一杯だよ。だからさあ、父ちゃんなんとかしてくれよ。父もなんとかしてくれよ。と言

われても困るだろう。あんまり愚痴ばっかり言うと、そんなに生きるのが辛いならこっちこい。こっち

はいいぞ。人工呼吸器も車いすもないぞ。こっちはいいぞ。と言われる気がする。

もうすこし生きたい。母より先に逝ってたまるか。

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弱者に優しい政治を望む

私は身動きひとつできません。また、話すことも食べることも自力で呼吸すらできない重度障害者です。

私の理解力、判断力、決断力、記憶力は元気な人となんらかわりません。家族と共に喜び、楽しみ、笑い、悩み、ときには涙を流します。本を読み、新聞を

読み、選挙をして社会に参加しています。これを支えているのが、介護保険と障害者自立支援法です。

その頼みの綱の介護保険と障害者自立支援法が昨年、見直しされました。利用者に良い見直しならいいなのだが実際には全く逆の見直しだった。負担も

大幅に増えた。介護保険では利用するサービスは厳しく制限され使いづらくなった。障害者自立支援法においては支援費をなるべくださないように理屈を並べ立てる。

その一方で国、自治体は身内に大変甘い。典型的な例は年金の着服である。着服とは辞書で調べると「金品を秘かに盗んで自分のものにする」とある。つ

まり、盗人泥棒犯罪である。その犯罪者を社会保険庁(国)自治体はかくまって、あろうことか退職金まで払っているという。まさに社会保険庁(国)自治体が

らみの共犯である。民間ではとても考えられない。政治家、役人はこの腐りきった体質を今すぐ見直すべきだ。来年は子年だ。政治家、役人は己の保身を

護るためチュウチュウと這いずり回るのでなく、弱者の為走り回ってほしいものである。

平成19年12月14日 記

 病床から母に誓う

「ほら」、と安男は背中を向けた。
「いいよ、ぼちぼち歩くから」
「だめだよ、俺がおぶってやる」
「はずかしい」言いながら背中に被いかぶさった母の体は羽毛のように軽かった。

これは私のお気に入りの本の一場面です。
この本を読むとなぜかほっとする。もう
4度読み返した。
もし元気だったら安男のように母をおぶることができるのだろうか。
母もきっと、いいよ、ぼちぼち歩くから。というだろう。
それでも階段のところは俺がおぶってやる。と言えるだろうか。
そんな夢を見てベッドの上で
10年が過ぎてしまった。
母は年に何度も元気な姿を見せにきてくれるが、会うたびに母の体は縮んで小さくなっていく。
おぶったらきっと安男の母のように軽いだろう。
部屋にはいると真っ直ぐに私の手を皺だらけの乾いた手でさすりながら、
 真面目に生きてきたのになんでこんな病気になっただろうね、と呟く。
 そして、ギュッと握った母の手から、かあちゃんも頑張っているからお前も頑張れ。と伝わってくる。
90近い母に心配ばかりさせて、かあちゃんごめんよ。俺頑張るよ。
動かぬ拳を握りしめ何度も何度も母に誓う。

平成19年6月1日 記

美しい歌声に生きる力もらう

難病(筋萎縮性側索硬化症)の患者を支援する菅英三子クリスマスチャリティコンサートが先日、宮城学院の礼拝堂でおこなわれました。雪にもかかわらず大勢の人が駆けつけてくれました。菅英三子クリスマスチャリティコンサートは今回9回目を迎えました。私自身は6回目のコンサートでした。はじめてコンサートへいったときのことが甦りました。ソプラノ歌手が礼拝堂でコンサート。患者である私にも案内がとどきました。ソプラノの意味も分らず、礼拝堂へいったこともなく、コンサートは30年ぶりの2度目。とりあえず行ってみよう、と軽い気持ちで礼拝堂へ向かいました。しかし、礼拝堂の隅々まで響き渡る菅さんの声の迫力に圧倒され軽い気持ちでいったことなど吹き飛ばされてしまいました。菅さんの声とパイプオルガンが一体となりズシーンズシーンと胸を揺さぶり心地よく染みこんできました。菅さんの、人工呼吸器の音もコンサートの一部です、の言葉に涙腺の堤防が壊れ涙が止りませんでした。それ以来、紅葉の楽しみが終わるとコンサートが待ち遠しくなりました。この病気は難病中の難病でいまだに原因が解明されず、治療法も確立されていません。取り巻く環境も厳しいですが、菅さん、雪にもかかわらず駆けつけたくれた皆さんの支援を励みにゆっくり一歩ずつ歩んでいきたいと思います。

平成18年1212日 記