忘れえぬ日

昨年11月、東京へ行かねばならないかもしれないと思った時から私の楽しみは始まった。
毎日ネットで検索が始まった。まずハンディキャップルームから調べ始めた。
宿泊地を決め、めぼしいホテルへ手当たり次第メールで問い合わせをして複数の候補が決まった。次に地図を調べた。目的地までの道順各候補のホテルへの道順。後は日程を決めるだけだった。1月2月は避けたかった。天候不順ということもあったが猛烈に忙しい息子に合わせるのは無理だったからだ。暮れに3月6日7日8日の2泊3日と決まった。息子が候補のホテルから部屋の広さドアの幅、エレベータの寸法を電話で確認して両国と決めた。
後は当日の天気の良いのを願うだけだ。

職場の飲み会旅行の世話役や幹事を好んで10年以上していた。時刻表 観光マップ 地図を片手に見知らぬ地に思いをはせているときは楽しくてしょうがなかった。
今はこれらを持つことは出来ないが、パソコンという文明の利器がある。なかなか思うように操作ができず歯がゆい思いをしたがそれなりにこれらの作業を楽しんだ。

この2泊3日の旅は、私の人生の中で忘れ得ぬ旅になることになるだろと確信していた。

3月6日(土)  【宮城、雪のち晴れ→東京、晴れ】

11時半出発  東北道白石インター15時半
安達太良サービスエリア16時40分
佐野サービスエリア19時
ホテル到着21時半

昨日からの雪が朝から本格になり今シーズン一番かと思われる20センチの積雪だった。東北道は上下線通行止め。不安を抱きながら11時半出発した。
国道4号は積雪の影響でノロノロ状態。東北道が通行止めなので大型車が多い。予報では雪は昼頃がピークで、午後から風が強くなると言う。いつ頃東北道の通行止めが解除になるのか。そして積雪の様子はどうなのか。白石インターに着いたのは3時半だった。普段は1時間ほどで着くのが4時間掛った。
ホテルに着くのは10時過ぎるだろうと覚悟する。1時過ぎ全面的に東北道通行止めも解除になったという
この頃には、雪も止み太陽が顔だし雪の峠もすぎたと言うことだった。後は路面に雪が残っているのか心配だった。インターに入った。20センチも降ったのに春の雪だからだろうか、路面は乾燥していた。ホットした。
在宅に入ってはじめての2泊の旅です。それも300キロを超す長距離ドライブだ。不安はあるがそれ以上の楽しみ、期待がある。懐かしさもある。女房と息子に感謝です。
国見あたりで雪がちらつき始めるが、福島インターを過ぎるとちらつきも無くなった。かわりに風が強くなり車があおられる。とくに大型車が通り過ぎる瞬間、車体が左右に流れた。安達太良サービスエリアでずれた体の位置を直そうとするが狭い車内では難しく2度3度と繰り返しようやく定位置に座ることが出来た。体がずれなくなると楽になるのだが。ここまで唾の吸引は無かった。どうよらガーゼのハンカチを噛んだのが良かったようだった。普段は頻繁に吸引する妻も今回は楽だという。今後もこのスタイルで行こう。知らない人から見たら白い布を噛んでいる姿は異様に映るだろう。しかし格好を気にする必要はない。

宇都宮インターを過ぎると俄然車が多くなった。それと車線が2車線から3車線に変わった。やはり東京に近づいたからだろう。2車線だと車椅子のステッカーを貼った我が車の前を大型車が走行する。我が車の後にも大型車が続いているのがエンジン音でわかる。前方の大型車影がズンズン近づくと圧迫感を覚えて動かぬ足に力がこもる。3車線になったらこれらも解消して、運転しているわけでもないのに、身体が楽になった。運転している息子はもっと楽なことだろう。
浦和料金所を過ぎると交通量がいっそう増加した。川口線に入ると前方に光の絨毯が止めどなく続いていた。慎重に標識に注意して走行する。頭上の看板は見づらい。路面に書かれた白字の案内を頼りに首都高中央環状線「外回り」を目指す。ほどなく目指す首都高中央環状線に入った。後は堀切JCTから向島6号上り線に入るだけだ。8時半過ぎ、首都高向島6号上り線向島出口をでる。東向島 本所 石原と過ぎた。都会の土曜の夜とはいえ下町だろうか人影はほとんど見られない。それにしても個人商店街の風景は20数年前とほとんど変わっていなかった。何故かホッとする。オフィス街でないから余り変わらないのだろう。
2度道を聞いて9時半にホテルに到着した。フロントでは10名ほどの団体客が賑やかにチックインの手続きをしていた。部屋は24階だった。客室では最上階で25階はレストランが営業していた。ハンディキャップルームはリクライニング車椅子を回転させる広さはないが支障はなかった。心配していたマットの硬さはほどよい柔らさで安心した。11時過ぎ次男達が来てくれた。5月当日の話しを聞きながら深い眠りに落ちていった。
3月7日(日)   【東京、晴れ】

ホテル10時散策  12時半戻る
13時〜15時昼食
ホテル16時出発  18時到着

ホテルは、1階はロビー フロント レストラン、2階は郵便局 レストラン ご婚礼ご宴会承り所、3階は国際ファッションセンター(展示場および多目的ホール)、4階はご宴会フロアー、5階は宴会場、6〜12階は国際ファッションセンター(関連施設およびオフィス)、13階は機械室、14〜24階は客室、25階はレストランからなっていた。なんの催し物も無く日曜とあってホテルは静まりかえっていた。
ホテルの裏口を出て周りを散歩する。出るとすぐ校庭らしき広場がフェンスで仕切られていた。両国中学だった。狭い校庭だ。これでは運動会や体育祭を行うのは無理だろう。前方正面に道路をへだてて江戸東京博物館が見えた。その隣に国技館の屋根も見える。日曜のせいか天気が良いのに歩いている人は余りいない。国技館も催し物がないのか静まりかえっていた。JR両国駅はホテルから車椅子で10分たらずの距離だった。駅前広場は余り広くなく、客待ちのタクシーが列をなしていた。乗降客もまばらで駅も閑散としており売店の人も手持ち不足のようだった。もし平日ならこうしてのんびりしてはいられなかっただろう。売店には相撲の街らしく力士の似顔絵、決まり手技などのタオルグッズが所狭しと並んでいる。横断歩道脇に力士の手形の銅像が建っている。街全体で相撲を大事にしているのがわかる。

ホテルに戻り喫茶で本来の目的である、ある家族と挨拶を交わした。初対面ですが話しをしているうちにこちらえの気遣いがわかる。ありがたいことです。
夕方、次男の運転で浅草通り、上野駅、入谷、梅田と車を走らせる。次男が住んでいるところは梅田の商店街の路地をはいりこんだ奥の2階建てのアパートだった。道は行き止まりで駐車場で方向転回するという。我が車も駐車場で方向転回した。駐車すると自転車がようやく通られるぐらいの狭い路地だった。6時ホテルに戻る。20分ほどでついた。 
車椅子で食事中夜景を楽しむ。雲ひとつ無く晴れ渡っていて、眼下に無数の光がかがやきを放っていた。月が真ん丸でやけに大きかった。

3月8日(月)   【東京、晴れ→宮城、晴れのち雪】

ホテル出発9時出発
上河内サービスエリア12時半
自宅到着15時半

30分ほど首都高を探す。向島インターに入った。ほどなく左に国技館が見えてきた。間違えて外回りに入ったらしい。20分ほど走りロータリーで内回りに入ることができた。月曜日だというのにそれほど渋滞していなかった。
東京 埼玉 群馬 栃木 福島を順調に過ぎ2時すぎに宮城に入った。泉インターを出て自宅に着いたのは3時半だった。着いたとたん大粒の雪が降り始めた。
今回の2泊の旅はなんのトラブルも無く過ごすことが出来た。体調も良かった。出がけにこそ春の嵐に見舞われたが終えてみると嬉しく思い出深い楽しい3日間だった。我が人生で忘れ得ぬ旅となった。


【今回用意したもの】

・アンビュウバック ・吸引器 (2台)・吸引カテーテル ・消毒綿  ・ ・消毒水 ・文字盤 ・バッテリー(2個)・電源アダプタ ・インバーター ・延長コード ・充電器
・人工鼻 (3コ)・カニューレ(2コ) ・注射器(カフ用) ・予備の呼吸回路 ・Yガーゼ ・テープ ・箱ティッシュ ・タオル(7枚)・バスタオル(1枚) ・足踏み式吸引機 ・ビニールテープ ・食事セット ・薬 ・注射器(薬胃ろう吸入用) ・トイレ用品 ・保険証 ・眼薬 ・眼鏡 ・デジカメ ・身障者手帳 ・特定疾患医療受給者証 ・連絡先の控え ・雨具 各種薬 体温計 パルスオキシメーター 外出用回路 呼気弁 カニューレ用ヒモ 電気カミソリ 胃ろう ガーゼ(口に噛む 多数)サングラス 高速道割引券  診断書  イソジン 綿棒  ブザー 両面テープ