幸せの配達人

忘れ得ぬ日

ジィジになった日

6101010分。受話器の中から息子の弾んだ声が頭の芯に心地よく響いた。
(生まれたよ)

私はこの瞬間ジィジになった。嬉しさのあまり一瞬目眩を覚え、過ぎ去った日々の思い出が走馬灯のように浮かぶ。

ALSを患って10年。終わりの見えない在宅療養に入って8年。子供の成長、家内ともうすこし一緒にいたい、を生き甲斐に呼吸器を選択した。
しかし、当時
中学だった息子の晴れ姿なんて夢物語と思っていた。昨年5月、東京で行なわれた結婚式で息子の満面の笑顔を見て、生きてきて良かった、頑張ってきて良かった。万感の思いだった。こんどは初孫誕生という嬉しい知らせだった。両腕でしっかり抱きしめたい、真綿のように柔らかな頬っぺに指をふれジィジだよと囁きたい。しかし私の腕も足も身動きひとつできない。言葉も奪われた。
それでも私は幸せ者の
ALS患者だ。

 …孫どころか子供の成長さえ見届けることなく逝ってしまった多くのALS患者…

孫の誕生で錆びかけた神経が甦り生きる喜びがまた増えた。息子よありがとう。まだ逢わぬ孫よありがとう。

                                                   平成17年6月20日 記

ご対面   9月23日

笑った。笑ってくれた。私も天使に応えようと全身を顔にして神経を総動員した。しかし、顔は知らんぷりしてほんの少ししか笑ってくれなかった。それでも彼女は笑ってくれた。私は思いが通じ安心した。クリクリと大きな瞳に見つめられて、胸がキューンとなって病気のことなど忘れてしまった。

おでことおでこを触れあった、ほっぺとほっぺを触れあった、動かぬ腕でだっこした。その感触を大事に大事に胸底へしまい込んだ。可愛い、愛おしい。食べてしまいたい、目の中に入れても痛くない。とはこのことだったのかと実感した。

いつの日か、たどたどしい喋り方で「ジィジどうして昼間から寝ているの」 「ジィジどうしてしゃべりないの」 「ジィジこれなぁーに」と人工呼吸器をいじくりまわすだろう。その日がとても待ち遠しい。花嫁姿は余りにも遠すぎて私は疲れ切ってしまうだろう。せめて、ニキビが二つ三つあるはにかんだ顔で「ジィジわたしもう中学生よ。なんか買ってちょうだい」と甘えられるまで元気でいたい。それまで、治療法は進歩するだろうか。愛おしい残像が脳裏から逃げだぬよう鍵をしっかりとかけた

                                                  平成17年10月5日 記

再会

ちっちゃな手をわたしに向けてヨチヨチと近づいてきた。あとわずかのところで、プイッと引き返し息子の足にしがみついてしまった。
器械に繋がれた私の姿にビックリしたのだろう。1年ぶりに再会した孫は、驚くほどのスピードで成長していた。しばらく息子の足元を
離れなかった孫は、部屋中をキョッロキョッロ見回しやがておぼつかない足取りで歩きだした。漫画の顔を描いたお尻をもこもこして
歩く姿が愛くるしい。1歳3ヶ月になった孫、昨年動かぬ腕で抱っこした感触が甦った。孫は家内に抱っこされて、あぁっわわっと声を出し
てご機嫌のようだ。家内も満面の笑顔で嬉しそうだ。わたしはほっとした。孫が人見知りして家内に近づかないのでは、家内ががっかり
するだろうな、と心配していた。しかし、そんな心配は無用だった。孫は精一杯の愛嬌を振りまき、わたしと家内に幸せをプレゼントして
くれた。わたしのひざで、4ヶ月の孫ももみじのような手を宙に泳がせ、キャッキャッと嬉しそうな声をあげわたしの顔を見つめてくれた。
わたしはうっとりして病気を忘れ、手を触れようとしたが、手はぴくりとも動かなかった。家内に抱かれた孫が、弟よ゛わたしお姉ちゃんに
なったのよ、と言いたげそうな視線を送ってきた。わたしは胸が熱くなり、病気なんかに負けてたまるか、と自分に言いきかせた。
温もりを胸に焼き付けながら、健やかに育て、と祈った。
                                  平成18年9月25日 記