四日間の入院

昨年(平成21年)、928日〜10月1日の四日間、電極除去手術のため入院。11年ぶりの入院、呼吸器装着して初めての入院で不安であったが決断した。

ことのはじまりは8月のことだった。主治医の先生に家内が「先生、電極を見てください」。「うーん、抜いた方がいいですね」こうして話しがきまった。電極部の皮膚は真っ赤に腫れ、ときには化膿を10年以上繰り返してきた。この時も、真っ赤に腫れていた。

発症の翌年平成8年、腕が上がりにくくなったとき、高度医療で電極(ワイヤー)を腕に埋め込み電気を流し腕の動きをよくする電気刺激療法(FES)がある、と説明をうけた。

肩から掌まで15本の電極が埋め込まれ、電気を流した瞬間、腕がスーと上がったときの感動は今でも鮮明に覚えている。1日でも長く腕が上がるよう、家で職場で1年以上続けた。その電極をこんどは抜き取ると言うことには複雑な思いだ。

当時の担当の先生は定年退官しているが連絡がついた、と主治医の先生から電話があった。それからしばらくして、当時の担当の先生から電極部を見に行きます。私は驚いた。まさか先生が家まで来てくれるとは思っていなかった。

そして、私は当時の担当の先生と13年ぶりに再会した。「抜きましょう。私にまかせてください」先生は県境を越え何カ所かの病院の医師をしているという。今の方が忙しいですよ、と先生は笑っていた。

そして、928日入院ときまった。

928日。私は緊張していた。そんなことに関係なく家内とヘルパーさんは準備を終えた。我が家の呼吸器メーカーの担当者と、家内の運転する車で病院へ向かった。家内が手続きを終えると2階のナースステーションの真向かいの個室に案内された。ほどなく麻酔担当の先生が病室を訪れ、手術の手順を説明した。明日の晩は集中治療室にはいってもらいます。私は聞いた。ま・す・い・だ・い・じ・ょ・う・ぶ… 先生は「私は麻酔医師です。他の病院医師に教えています。安心してください」

それからは呼吸器メーカーの担当者は忙しくなった。この病院ではLTVは装備していなかった。担当者は麻酔担当の先生に用意してきた資料を渡し説明を始めた。器械担当の先生、ナースステーション、手術室担当看護師、集中治療室担当看護師にもそれぞれ同様の説明をした。LTVがあまりにも小型なので驚いていたが、内部バッテリが1時間持つことに安心したようだった。LTVの説明が終わって私はベッドに移った。

夕食の経管栄養が終わってテレビで時間を潰しいつもの眠りの時間になった、がなかなか瞼が下がってくれない。うつらうつらの眠りの中で、看護師が何度か部屋を覗いてくれた記憶があった。目が覚めると同時に看護師がやってきて点滴をはじめた。食事を終えると麻酔担当の先生がやってきて「奥さんも手術室にはいってもらいます」私の不安を少しでも取り除いてやろう、という配慮だった。それから先生は細長い厚紙を取り出した。その厚紙には「痛い」「痛くない」他の厚紙には「苦しい」「苦しくない」。「気分が悪い」「悪くない」。等大きな字で書いてあった。そして、先生は「その場に応じてこれをだしますから瞬きをしてください」と言った。先生と入れ替わりに執刀してくれる院長先生と当時の担当の先生が訪れ「安心してください」と言って出ていった。

昼近くヘルパーさんが家内の弁当を持って手伝いに来てくれた。呼吸器メーカーの担当者も来てくれた。そして、時間がきた。手術室までの移動はベッドでいく。エレベーターを降りたらいよいよ始まるんだと思うと緊張するのが自分でもわかった。

気管切開したとき、もう入院はしたくない、しないだろう、しないようにがんばらねば、と思ったことを思い出していたときベッドの動きが止まった。(ベッドを移りますよ)と誰かが言った。それはあっという間の時間だった。目をこらすと全身を白で覆われた医師と看護師がベッドを囲んでいた。同じ格好をした家内もたっていた。麻酔担当の先生が「呼吸器を替えます」「すぐ終わるからね」と言った家内がとても頼もしく思えた。(後藤さんいいですね。はじめます)「後藤さん、頑張ってね。応援しているからね」病室で看護師にいわれたことを思い出したとたん眠りに落ちた。

(終わりましたよ)(きれいに取れましたよ)麻酔担当の先生が細長い厚紙を指差した。私は「気分が悪くない」「痛くない」を瞬きした。

手術室をでたら家内、ヘルパーさん、呼吸器メーカーの担当者が待っていて声をかけてくれた。そして、一緒に集中治療室に移動した。移動中家内が「痛くない」と、何度も聞いた。

集中治療室はいろんな器械やモニターが並んだ広い部屋だった。呼吸器メーカーの担当者が看護師にLTVの説明をはじめた。説明を終えた担当者は私に「後藤さん、明後日又来ます」と言って出ていった。入れ替わりに家内が呼吸器メーカーの担当者と同様全身白ずくめで入ってきた。時間は30分という。看護師にアイコンタクトの方法、痰の吸引より唾の吸引が多いと説明し、遠慮がちにコールの取り付け許可を求めたところ、看護師はあっさり「いいですよ」家内は即座に「コールは命綱ですから」と言いながら私の額にスイッチのセンサーを貼った。「スイッチ電池!」「家庭用のコードレスインターホンですか!」と家内に訊ねた。そうです。と家内はこたえた。

ピンポーン。静かな集中治療室に響いた。「音が高すぎますね」看護師は受信機をタオルで包んだ。音が極端に低くなった。私は看護師に聞こえるだろうかと不安になった。あっという間に30分が過ぎ家内は病室に戻っていった。

看護師が吸引をすんで「奥さん病室に泊まりこんでるの」私は瞬きをした。「奥さん一生懸命なんだ。仲がいいのね」私は笑った。看護師はきまった時間をおいて呼吸器、血圧、尿の量のチェックに来る。その都度、話しかけてくれる。顔をのぞきこんで「痛い」「我慢できない痛さのときは目を長く閉じて」私は長く閉じた。ちょっと待って、とベッドから離れていった。小さい袋を持って戻ってきて点滴をはじめた。「すぐ痛みはなくなりますよ」「後藤さんのところにはいろんな人が勉強に行くんでしょうね」私は瞬きをした。室内は静まりかえっていた。私は静けさに負けて眠りに落ちていった。体位交換をしてもらったのは何時頃だろう、と思っているうちに朝をむかえた。吸引のコールをした。看護師が飛んできて吸引しながら「奥さん入り口に来てるよ。心配なんだね」壁の時計は5時を回っていた。10年以上ベッドの傍にはいつも誰かが付いていてくれていた。そのほとんどは家内だ。感謝。

「午前中に奥さんが待っている病室に戻れますよ」と言った看護師の目が笑っていた。

8時になると看護師が交代した。若い看護師が「私、ALSの人って初めて。どうして話しするの」と夜勤看護師に聞いた。夜勤看護師は、目を見て話しをするの、とこたえた。(その通り。だから話をするときはよく目を見て話すんだ)若い看護師は不安げに首を傾げた。(おいおい大丈夫か。ま、いいか。もうすぐ病室に戻るんだ)熟睡できなかったせいなのか、それとももうすぐ病室に戻れると安堵したのか眠気を覚えた。

「後藤さん、後藤さん、病室に戻りますよ」夢の中で起こされたような気がして瞼を上げたらベッドを動かしはじめていた。病室に戻るまでは痰ょあがってくるな、と喉に言い聞かせた。病室でほっとしたのは10時半だった。夜中、何度も集中治療室の前に行った家内もほっとしたような顔をしていた。午後になって尿管が抜かれ手当てもおこなわれ「順調です。明日退院できます」の院長先生の言葉にほっとした。夕食のツインラインとお茶を胃ろうで1時間かけて食べ、テレビをぼんやりと見ながらいつもの寝る時間をまった。家内は疲れ切ってソファにもたれ掛かったままだった。看護師は「痛みは」「あす退院ですね。良かったですね」「奥さん、疲れてるんだね」と頻繁に覗いてくれる。

肩の異変、退職、こどもたちに病気の説明、死の覚悟、呼吸器装着、こどもたちの満面の笑顔…頭の中で14年の時の流れが音を立て過ぎていく。

「後藤さんおはようございます。点滴です。」囁くような挨拶だった。私も瞬きで挨拶をした。ゆっくりゆっくり落ちる点滴を見ながら退院したら抜糸はどうするのだろう。心配になった。まさか通院…

7時になって私も家内も食事を終え一息ついた。家内は荷物を片付けはじめた。が様子がおかしい。流し台に顔を突き出しうなっている。かなり苦しいそうだ。そして、ソファに倒れ込んだ。しばらくしてから、きもちわるい吐き気がする、診察してもらってくるとふらふらしながら出ていった。寝不足と疲れ切っていたのだ。診察を終え戻るまでは1時間はかかるだろうと、思っていたが15分ほどで戻ってきた。

看護師が慌ただしく点滴の用意をはじめた。家内の言うには、空腹と寝不足と疲れが重なったせい、と言われた。点滴は自分が頼んだという。私はほっとした。点滴が終わるまで家内は無言だった。やがてゆっくりゆっくり体を動かし退院の支度をはじめた。1時を過ぎたところにふたりのヘルパーさんと呼吸器メーカーの担当者が来てくれた。家内はヘルパーさんに点滴のこと、夜何度も集中治療室の前に行ったこと、ペットホテルに預けたリカのこと、など堰を切ったようにしゃべりはじめた。点滴をしたのが嘘のように元気になった。呼吸器メーカーの担当者は3人の話しを遠慮がちに聞いていた。話しが盛り上がったところにゴロゴロとワゴンを押して看護師と院長先生が入ってきた。治療を終えると院長先生は「抜糸は訪問の先生にお願いしましたから安心してください」こうして四日間の入院生活は終わった。

病室 電極 術後 現在

いっときも離れず介護してくれた家内に感謝です。

毎日ボランティアで手伝いに来てくれたヘルパーさんに感謝です。

3度も呼吸器の管理に来てくれた呼吸器メーカーの担当者(フィリップス・レスピロニクス合同会社)に感謝です。

当時の担当の先生に連絡してくれた主治医(仙台往診クリニック)に感謝です。

わがままを聞いてくれた院長先生、当時の担当の先生に感謝です。

親身に接してくれた麻酔担当の先生、器械担当の先生、看護師の皆さんに感謝です。


           平成21年11月18日(水)ー平成22年8月15日 記