第五病棟


薄暗い雑貨店の奥から
誰かが遠い夜明けを見つめていた
路地に落ちた硝子の指輪
いま
鳥たちが
いっせいに飛び立つ

第五病棟521号室
血の流れが凍りつく音

「海がいつのまにか
窓辺にまで打ち寄せている
壁から抜け出してきたあなたに
まだぼくに告げる言葉があるのだろうか
短い眠りのなかで見た夢
石狩川の河原に家族とともに
幼い日のぼくが
鉛色の空を見上げていた」

ナースセンター
机に伏す看護師の髪を
少しずつ明るませる
夜明けの光

小柄な老婆が
廊下の突き当たりに佇み
動かない常緑樹の茂みを
見下ろしている

「まるで迂回するように
少しだけ海から離れた土地を
あなたは転々としていた
恐らくは
幼い娘の瞳に
在りえない海を宿らせるために
夢のなかで
時にぼくはあなたになり
雪の降る谷の道を
娘の手をひいて歩いていた」

黒い映画館の前
座り込んだ盲人の嗅ぐ
冷たい石の香り
遠い金網の向こうに
始発列車が走りすぎる

「ぼくにはわからない
あなたが何を求め
何を失ってきたのか
雨の午後
娘の叫びを聞きながら
あなたの呼吸が途切れてから
ぼくのなかで確かに
何かが滅んでいった」

看護師が521号室のドアを開く
眠り込んだ患者たちのなかで
一人ふるえる男
最初は低い声で
次にはっきりと
その名を呼んだ

「あなたは微笑む
何のための微笑なのか
日差しに目を細める娘の姿が
静かにあなたと重なり合う
遠ざかる
これは幸福なのだろうか
それとも痛みなのだろうか
わからない、ただ
波の音が聞こえる
光が見える」

看護師の走る廊下を
老婆がぼんやりとふりかえる
その瞬間
最初の陽光が
一条の声のように
窓に差し込んできた