2 カイエ 1(2005/1/20)


 大向こうへの絶望は単に自分への絶望が足りないだけである。



 誰かがわたしをこのように認めてくれます、可能性を感じています、そんなことに依存しているひとは百年頑張ってもそのテリトリーを出られないから、わざわざ認められなくてもい。どうせ大したことにはならないから。

 誰に認められても認められなくてもいい、ここで、今在るかたちで話の出来る人と十全ではなくとも向き合いたい。そういう人こそ「選ばれた」人だ(誰にも選ばれていないけれども)言葉をうまく使えるなんてことはそこでは問題にならない。少しでもよく生きたい、心の底からそう思える人にあぶくのような詩壇の自意識など問題にするに足りない。

 それは優れた詩人と出会うなんてことではない。自分を(が)殺すかもしれない人と対峙することだ。その外で才能ゲームに耽りたいならそうすればいい。つまらぬ薀蓄で自他を縛ればいい。自分のためになるならともかく、たぶん自分のためになるだろうという物語の磁場を再生産することしかできないだろう。