1 私的断章(カイエ) 1(2005/1/4)


 離人症的感覚や状態はそれ自身ではラディカルであることと何の関係もない。逆に判断停止につながる。薬物も同じである。薬物が必要な現実がある、ということも同じである。



 他人の10のポイント(評価)を笑い、自分の1ポイントを過大評価する。自分は他人と同一線上にはいないという主張と何ら変わらない。



 「麒麟」のように当時のヨーロッパ(特にフランス)の最先端の思想を導入して皆イデオロギーから解放された(らしい)が、実は先鋭的(に見える)スタイルが覇権を握ったというのが実情ではないのか。中心的詩誌の投稿欄を昔と比較するとよくわかる。どんな高尚なイデオロギーもそれにはかなわない或る関係性がつくられたのだ。まさしくオタクの世界。しかし意識としてはオタクよりも何倍も高度な「つもり」の世界が。



 一応特定できない第三者の前でしている雑談なら、くそまじめに反省する必要はないにしろ、自分がそこで何を語っているのかを考えるためにもLOGを保存するほうがいいのではないのだろうか。自分が可能性ではなく「現に」やっていることがよくわかるよい機会なのだから。