1 死(2004/10/3)


 死者を悼むことに公式などないだろう。しかし死とはいつも社会的なものであり、厳密には個人の死は存在しないと思う。葬儀はどこか酷薄で、残酷ですらある。それは死者を徹底的に死者として現存する社会関係から消し去ることだからだ。

 身を引き裂かれるような当事者から「言葉」が出てくるまでにどれだけ時間が必要なのか想像がつかない。しかし時々「わたしが一番(ここでは)つらい」などと特権的に死者のことを語るひとがいる。他人の死者への悼みにお礼までして回る。わたしはそれに反発を感じる。ネット上であれ友人が死んだらとても言葉が出てこない。死者を語る気力など出てこない。それが一般的であるかどうかはわからないが。誰も死者の代表などできないはずなのに。ましてや当事者ならば。