3 無音の音(2004/3/12)


 バブルのはじける前の年だった。その頃は転作でビートを作付けしていた。直径3センチ長さ20センチぐらいの紙ポットがびっしり並んだ長方形の苗床に播種されたものを、春先に運んできてビニールハウスの中で管理していた。

 芽が出だす3月下旬のある日、ポットから余分な芽を取り除く間引き作業をしていた。板を渡して這いつくばりながらピンセットでする根気のいる作業だった。
 午後の空は曇り、ほとんど無風のなかで雪が降り始めた。わずか0.1mmのビニールで隔てられているだけなので、さらさらというほとんど気配に近い雪の降る音がハウスのなかに響いていた。雪がいくらか厚みをもつと、時々その重みでビニールをすべりおちていく。その音ははっきりと耳に響いてきた。

 あまりに静かなので無音の音を聞いているような錯覚に襲われた。そのハウスの狭い空間が無限に何処かにつながっているような気の遠くなる感覚とともに。ふと、胸がざわめいてわたしは外にでた。雪の壁の間に見える道路を一台の赤い乗用車が通っていった。わたしはほとんど無意識に近づく車の気配に耳をそばだてていたのだ。

 (彼女か?)わたしは走って道路に出た。雪のなかにテールランプが遠ざかり、どんな車かも判然としなかった。

 「わたし、何度かあなたの家の前を通ったことがあると思うの。」
 農家を営む彼女の実家に向かうルートの一つとして可能性がなくもなかったが、実際はほとんど選ばないルートだろうと思った。しかしその言葉を発した彼女同様、わずかでも接点を求めたい気持ちはわたしも同じだった。

 冬の職場で出会った彼女とは互いを意識しながら接点を持てずにいた。しかしわたしが職場を去る時期が迫った頃、或る偶然の機会に恵まれて互いの思いを確認しあった。先の彼女の言葉はその時のものだった。

 しかし彼女は有夫の身であり、わたしは何の見通しもなかった。わたしが職場を去ると連絡を取ることがほとんど不可能になった。電話をかけたり、直接訪ねる勇気はわたしにはなかった(当時は携帯はほとんど普及していなかった)。それよりも相手の気持ちを確信できない臆病さが当時のわたしにはあったと思う。

 まだ接点を失って間もない頃なのに、わたしは遠い過去のように彼女のことを思い続けていた。或いは、思いもかけず手に入れた宝物をもてあまして失くしたかのように。

 降りしきる静かな雪のなか、遠ざかるテールランプをわたしは見えなくなるまで見つめ続けていた。