7 宮古のクラブ─沖縄旅行2─(2003/11/21)



宮古島


 沖縄二日目、我ら消防団は那覇から宮古へ向かった。初めて乗る小型ジェット機に少し不安を感じた。台湾旅行の時に乗った国内線のプロペラ機がすさまじく揺れて、青ざめたことがあるからだ。しかしやや窮屈だが揺れは少なくて無事宮古島に到着した。

 着陸時、島の全景を見たが、ほとんど山らしいものがなく(離島には珍しい)、畑ばかりがひろがっている(つまり田舎)ことに驚いた。遊びたいメンバーはどうするのだろうか。そのリーダー格のおやじは泳いで本島に行くかもしれない・・・なんてことをけっこうリアル(!)に考えてしまった。

 空港ビルは赤瓦屋根で鳥の形(確かサシバという名の鳥)をした珍しいものだった。北海道のローカル空港よりも個性的でいいなあと思ったが、市街地に向かうと田舎であることをひしひしと感じさせられた(汗)歓楽街はありそうだが、ススキノをよく知るメンバーが満足するとはとても思えない。旭川の三六街とも雲泥の差だ。

 ホテルは前日の恩納村のリゾートホテル(サミットでシラクが宿泊したらしい)よりは格落ちだが、それなりにきれいだった。港に面していて、伊良部島も見える。

 宮古空港に着いた時は晴れていたが、夕方から曇り始めた。風も北風になり本島にいたときよりもぐっと涼しくなった。せっかくの宮古の海(地元の人は沖縄で一番美しいと言う)も暗い色で波を打ち寄せている。

 夕食はディナースタイル。特に地元らしさもない洋食のコースを食べていると、添乗員が近くのテーブルで一人食事をしていた。誘って一緒に食べたが、遊びたいメンバーは地元の歓楽街情報を聞き始めた。「けっこういいとこありますよ」の言葉に彼らは歓喜して、早速添乗員さんと地元のタウン情報誌を見ながら検討しはじめた。
 女性スタッフが多いクラブに行き先が決まった。ごろ寝組は行く気がなかったのに、何故か全員参加に(汗)

 そもそも大きな市街地ではないのでタクシーで五分もかからないところにクラブがあった。まだ店を開いて間もない時間だったからスタッフも二三人しかいなかったが、続々と女性たちが出勤してきた。全員で泡盛で乾杯。ガラスの瓶に水で割った泡盛を入れて、氷のはいったグラスに注ぐというスタイルだった。

 隣の女の子と話すと北海道出身だと言う。「果てと果てだね」と驚くと、八人いる女性のうち七人が北海道だと聞かされ愕然とした。宮古の女性は一人だけなのだ。ススキノで飲んでいるのと変わらないじゃないか!
 「いや〜こんなに北海道の人ばかり来たことがないから懐かしい」と彼女たちは喜んでいる。
 皆明るい感じで、店自体風俗ではないから、借金や男がらみには見えなかった(たぶんそういう女性もいたと思う)。夏に宮古島に甚大な被害をもたらした台風の話など隣の女の子は熱心に語ってくれて、わたしの飲むペースも早くなっていった。

 そこに団体が入ってきた。地元の建設会社の人たちだった。
 わたしたちが北海道から来たことを知ると「それは遠いところから」と店で普通に出している泡盛よりもランクが上の酒をおごってくれた。
 隣の女の子がささやいてきた。「宮古ではお酒をもらうと順番にグラスを空けてお礼をするの」

 えっ???

 もう酒は少し休もうと思っていたのに返礼というよりも一気飲み大会になってしまった。さすがにグロッキーになっていると、一番若いYが店を出ていった。吐きにいったのか?心配していると10分ほどしてから戻ってきた。何故か北海道の焼酎「サッポロソフト」の瓶をぶらさげて・・・

 彼は千歳に着く前に寄ったコンビニで「サッポロソフト」を何本も買い込み、「沖縄でそれ飲むのか(汗)」とからかったことを思い出した。荷物検査でも見事に引っかかっていた(笑)そうか・・・沖縄の人に飲ませるつもりだったのか!

 しかし一本500円もしない安酒なのだ。彼はお礼にと団体のひとたちに「サッポロソフト」を飲ませはじめたが、わたしにはそれは強要に等しい光景に見えた。そのせいか、団体は続々と帰っていった・・・(汗)

 遊び足りないメンバーは他の店へ行くことになり、半分以下になったわたしたちはホテルに戻ることになった。たぶんもっともハイペースで飲んでいたわたしが翌日二日酔いになったのは言うまでもない・・・


沖縄関係