1 H教授(2003/11/1)


 大学の教養クラスを担当していた社会心理学のH教授。禿頭で小柄なおじさんという感じだった。

 1年の時クラスの数人とともに彼に食事に連れていってもらった。法被風の服を着た女性二人でやっている居酒屋だったが、どうも彼女たちには独特の匂いがあった。けばいというのか・・・愛想もけっして良いとは言えなかった。

 教授がトイレに行き彼女たちも厨房に行って不在のとき、何度か教授と飲みに行っていた一人が「あのひとたち風俗出身らしいんだ。Hさんがこの店を出すとき世話したらしいよ」と教えてくれて皆顔を見合わせた。わたしが聞いた範囲でも、マンションに若い女性と二人暮しで奥さんとは別居中らしいとの噂があった。表向きは娘ということになっているが、マルクス主義系の教授が多い学内で反共(まだソ連が存在していた頃だ)をあからさまに語る彼には反感が強く、「あれは愛人だ」という怪文書まで出たという。

 未だに真相は不明だが、プライベートに女性の匂いがたちこめていたのは確かだったと思う。

 大学2年になり、わたし個人にとって苦渋に満ちた日々がはじまった。不規則な生活が祟ったのだろうが、慢性的な食欲不振と微熱、それに時々強い頻脈発作に襲われるようになった。死への恐怖が高まり、それがますます症状を悪化させることになった。長時間行動すると具合が悪くなるので、札幌市街に買い物に行くのも一大事という有様だった。

 その年の夏、H教授が限定公開の中国映画に誘ってくれた。魯迅原作の映画で題名は忘れたが、日中戦争前の混乱期の中国が舞台で非常に暗い物語だった。貧しい商店の息子が肺結核になり、「罪人の血を含ませたまんじゅうを食べさせると治る」というあやしげな男の言葉を信じて店主夫婦が借金までして多額の代金を払うのだが、そのまんじゅうの血は貧しい人々のために革命を志した男が斬首された時のものだった・・・というような話だった。憤りと悲しみを感じるうちにわたしは頻脈発作に襲われ、それをHさんに悟られぬようにロビーに出て少し休んだ。しかし彼は気づいていて、戻ると「大丈夫ですか?・・・確かに無残な内容の映画ですが、ずいぶん敏感なんですね」と言われた。必ずしも映画のせいだけではないのだが説明するのもだるい状態だったので「いや、大丈夫です」とだけ答えた。

 その後喫茶店に行ったが、わたしの様子に影響を受けたのか、彼は自分の不安について語りだした。「世界が核戦争で滅ぶと考えると何もする気がなくなるんです」「インドに行きたい。大地とともに生きる人々の姿を見たい」今の生存に不安を感じているわたしには抽象的すぎる話だった。彼の反共は思想的なものというよりやや神秘主義的な共同体への憧憬とそれを脅かす核兵器(当時の悪の帝国はソ連だったから)への不安から来ていたのかもしれない。

 そして別れた彼はすすきのの風俗街へと消えていった。大学教授でありマスコミにも登場する彼の「現実」がおぼろげに見えたような気がした。それはわたしの「現実」とはかけ離れたものだったが、そこにはニヒリズムが見えるような気がした。ニーチェが言うような意味で。ニヒリズムとはまさしく意味の要求なのかもしれない。