2 登別研修旅行-1-(2003/9/4)


 ちょうど10年前(今年同様寒い夏で冷害だった)、冬のバイト先だったホテルで研修旅行があった。ホテルは累積赤字でパンク寸前、しかしオーナーの建設会社が負債を処理して経営から撤退することが見込まれていたので、どさくさまぎれに金を使おうというせこい(笑)意図で行われた。

 送迎用の旧式のマイクロバスで登別へ向かった。泊まるのは当時の料理長Hさんの後輩が料理長を勤めるわりと有名な温泉ホテルだった。せこい意図などほとんど知らないメンバー(わたしはマネージャーから話を聞いていた)はバスのなかで大騒ぎ。一番はしゃいでいるのはHさんで、犬猿の仲だったマネージャーの隣に座り耳に息を吹きかけたりしていた。このひとは時々卒倒する病気を持っていて、しかもアル中だった(笑)はげ頭で小太り、ちょび髭をはやしていた。年は50前後だったと思う。昔はRED(ウィスキー)をストレートで飲んでいて、病気が悪化してから「焼酎ならいいだろう?」と別に医者の許可もないのに勝手に解釈して焼酎を一気飲み(仕事中でも)するつわものだった。今、生きているのだろうか・・・。彼こそこの旅行のまぎれもない主役だった。

 到着後、一風呂浴びてから和室で宴会があった。かなり豪勢な二の膳料理で、その上Hさんの後輩の料理長が2メートルぐらいの巨大な船盛をサービス(!)で出してくれた。ふだん、「このアル中おやじ」と馬鹿にされているHさんがこの時ばかりは尊敬のまなざしを一身に集めた。

 宴会も盛り上がってきてカラオケタイムになった。なぜかわたしが最初に歌うことになった。嫌だとじたばたしたが無駄な抵抗だった。宴会部長の清掃のおばちゃんがマイクを持って迫ってくるのだから(恐)観念して浜田省吾の「片思い」を歌った。当時のわたしの代表的(?)持ち歌だった。

 せつなげに(そういう歌なので)歌っていると、Hさんが後方の隅で「ムード出しやがって・・・この、この!」とわめいている。それだけならまだしも勢いで真新しい窓の障子にジャブを繰り出している。最初は笑っていた皆が凍りついた。

 障子がぼろぼろに破けている・・・(涙)

 「H!」Hさんの料理の師匠でもある社長が真っ赤な顔で怒鳴った。Hさんは海坊主のような体を小さくして正座してうなだれている。その姿が子供みたいで妙におかしかった。宴会中なのでそれで収まったが、後で謝りに行ったらしい。

 普通それでおとなしくなるはずだった。しかし夜遅くなってHさんの第二の暴走事件が発生した。その話は、また後日・・・